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自傷行為についての考察


高2のときに自傷行為をしていた時期があったので、自分の自傷行為について考察しました。
「自分の」ですのでそこはご了承ください。


自傷行為の経緯


私が抱えていた大きなストレスは自分への不満だ。対人関係や自分がいる環境に対しての不満は無く、とても恵まれていると感じる。その分自分自身にフォーカスが当てられる。
怠惰な性格が許せない。怠惰なくせにそれが許せないってのはわけが分からない。許せないんだったら直せばいい話だが、それが出来なくて困る。許せないくせに怠惰。怠惰が許せないという感情を持ち合わせているのに怠惰である。本当にわけが分からない。私の怠惰は人並みではない。
怠惰が許せないし、規則正しい生活はもっと許せない。受け付けない。きちんと朝起きてバランスの良い食事をして適度な運動をしてお風呂に入って睡眠時間を確保してと、この「きちんと」をすることが受け付けられない。好きじゃないしやらなくても生きていけるし、疲れる。もっとも、「生活の基本」をきちんとすることは疲れる。学校とか遊びとか「生活の応用」をしていたら基本が疎かになる。どちらも手を抜かずにやるわけにはいかない。疲れるからだ。たまに呼吸や心拍を意識してしまってそれだけでくらっとするほど疲れてしまう。息をするだけで疲れる。寝るのだって疲れる。こめかみの脈がウジムシを埋め込まれてるみたいでイギャーと叫びたくなったりする。発狂することは無かったが全てが馬鹿みたい。

そして努力ができない。小中学は頑張らなくてもある程度なんでも出来たが、高校生になってそうはいかないことが多くなってきた。努力が出来なかった。しなかった。頑張ろうって思えなかった。私は行動を本心にしてしまう癖がある。頑張らないってことは頑張りたくないやりたくない本気に思っていないということだ、という認識をしてしまう。本気でやりたいと思っているならちゃんと行動するはずだ。行動しないということは本気で思っていないんだ。頑張りたくないことも頑張らなきゃいけないんだろうけど、頑張れている他人を見て「あなたは本気で思っているから頑張れているだけだ。あなたは本気で思えて羨ましい。あたしなんか本気で思っていないのに頑張らなくちゃいけない。」と思ってしまう。「やりたくないことをやる」がどうしても受け入れられない。
「私だってやりたくないけど頑張っているんだよ。」と言われたら
「でもあなたは頑張れているじゃん。思ってもいないことをできる能力があっていいな(笑)」などと馬鹿げたことを言ってしまうかもしれない。

そんな自分が生きていったってどうしようもない。私が私として今後も生きていくことに期待が出来ない。適性がない。私はこの世で生きていけない。私が生きていける世の中じゃない。みんなみたいにお料理が好きとかお散歩が好きとか読書が好き、運転が好き、そんな生活者の感性を持ち合わせていない。(食事と睡眠は好きだがこれこそまさに怠惰の証である。)

一度大きなストレスを感じるとなぜか不満や不安が加速するものだ。加速してしまえばストレスの原因など関係なくなるくらいに不満や不安が余計に募っていく。そして最終的にはそれに飲み込まれる。ずっと悲しくて辛い。涙が出る。自分が弱い。こんな状態なら生きるのをやめたい。すべてなかったことにしたい。本当は死ぬことすらしたくない。私なんて最初からいませんでしたとすっと消えたら1番いいのだけれどそんなこと無理だから、じゃあ死ぬしかないか。といったかんじ。
でも私が死んだ後、こんな汚い部屋と悲しみに暮れる家族が残るのが大きな懸念点だった。ここで行動を本心にしてしまう癖が出た。自殺を躊躇っているということは本気で死にたいと思っていないんだ、と。

ここから自傷行為が始まった。


自傷行為の方法と心理

自傷行為と聞くとなにを思い浮かべるだろうか

リスカ、アムカ、髪の毛を抜く、壁に頭を打ちつける、ペンで手を刺す、爪を噛む、薬物の過剰摂取などバリエーションが豊富。

私はスリコのヘアアイロンで腕を焼く。根性焼きだ。(まあ、小学生の時に抜毛症になったことがあるのだがそれはまた別の話。)
根性見せつけたろか!の気持ちで、音楽を流しながらサビが終わるまでは焼こうと目標を持って遂行していた。毎回深夜に行う。
リスカにしなかった理由は、単純に怖かったから。腕を切るより焼くことのほうが私にとってハードルが低かった。

いきなり熱いアイロンを当てるのではなく、まずどこを焼くか決める。私は左腕の内側(手のひら側)の平べったい面を焼いていた。決めた場所にアイロンの側面をしっかり当ててからスイッチをオン。じわじわと熱くなってくる。じわじわとやるほうが長く我慢ができる気がする。
20秒もすれば、普通の状態だったら我慢できないくらいに熱くて痛くなり、アイロンが当たっているところが白っぽくなる。その周りが赤くなる。体の中のなにかが集まってくるような感覚に陥る。白血球とかそれ系のものがどうしたどうした?!と駆けつけてくるかんじ。アイロンを当てているところがギューっとなる。そして痛みが気にならなくなる。そこからが本番で、痛みが気にならなくなってからどこまで焼くか。実際、サビまでやろうと思っててもやっているうちに関係なくなる。やめるタイミングは、怖くなったとき。これ以上焼いたらあたしの腕はどうにかなってしまうよ腕として機能しなくなってしまうよーという恐怖心が出てきたら終わり。やり終えたときは達成感に満たされる。腕を焼くとぐっすり寝れる気がする。

翌日、自分の左腕にできた立派な水ぶくれを見ると安心する。傷=辛さ だからだ。辛い気持ちだったり苦しみ、悲しみは目に見えない。だから自分が抱えている辛さが可視化されることで確信が持てる。私のこの気持ちは嘘じゃない、私はこんなにも辛い思いをしているんだと。
私にしかない傷は私にしかない辛さを確証づける。「みんなも辛いけど頑張っているんだよ」は通用しない。みんなはどこにも傷がないから。辛いなら傷がある。辛さは傷として現れる。
私には傷がある。間違いなく辛さを抱えている。誰がどう見ても分かるほどの辛さを抱えている。誰かに見せることはしないがいざとなったら見せてやろう。
自傷痕が私自身を助ける免罪符になると思っていた。

それともうひとつ。(←杉下右京の決まり文句)カルマの調整として自傷をすることがある。
なにかもっと悪いことが起きそうで明日が怖い。それでも明日は来てしまう。だから今のうちに自らに苦しみを課すことで明日の苦しみが免除されるという自分の中のジンクスがある。これがカルマの調整だ。
案外、上手くいくもので、自傷した次の日はなんとなく気分が良いうえ悪いことが起きない。実績があるのだ。それに喜びが芽生えて、また繰り返してしまう。おそらく気の持ちようなのだが、その「気」が1番重要で、私がどんな人物であろうと自分自身に不満がなければそれで幸せなのだ。「気」次第で幸せにも不幸せにもなり得る。

自傷行為を繰り返していた時期の私と、今の私はなにも変わりない。むしろあのころよりも怠惰かもしれない。今は生活の応用をしていない。進学も就職もしていないということだ。そして生活の基本も出来ていない。クソすぎる。だけどそういう生活をして憂鬱になるほうが難しい。だってものすごく楽だから。自分の不満を以前のように重く捉えることがなくなった。


自傷行為は逆鼓舞

思い返してみると、自傷をしていた時期は自ら落ち込ませていってどんどん下に下に沈んでいった。憂鬱に飲み込まれていたし、飲み込まれに行ってた。憂鬱から抜け出すエネルギーが無かったし、憂鬱になることで盛り上がっていた。逆鼓舞である。

自傷行為は逆鼓舞
自分を掻き立てる方向が正しくないだけで、実質的には鼓舞だ。アドレナリンだかエンドルフィンだか、快楽物質を放出してうおーとなるからまた繰り返す。
スポーツや性行為や食事や飲酒喫煙と変わりないのかもしれない。サウナなんかもう自傷行為認定だろ。「整う」って死の淵に立って気持ちよくなってんだからODと変わらんて(笑)

とにかく、間違った方法で快楽物質を得るとおしまい。健全な方法で快楽物質を得たほうが生きやすいと思う。だから良い選択が出来るうちに良い選択をするべき。それを逃して、気分が落ち込むフェーズに突入してしまったらなかなか抜け出せない。享受できるはずの幸せを逃すことになってしまうので大損。今生きてるなら今後もきっと生きるので自分で自分を苦しめる選択を取るのは大馬鹿。
だが私は自傷したことを後悔していない。自傷をせずにあの時期を耐え忍ぶことができただろうか。全く想像がつかないのだ。適切な措置を選択できる精神状態じゃなかった。現状を打破してより良い方向へ進もうという意志がそもそも無い。調子が悪くなるとどうしようもない。自傷したことよりも、あの状態になるまでなにもしなかったことを後悔している。でもなんかいきなりそんな感じになっちゃったからな。どうすればよかったんだろう。学校が忙しくて肉体的な疲労があったわけでもないし受験の精神的苦痛があったわけでもない。家庭環境が悪いわけでもない、人間関係に悩みがあるわけでもない。本当に普通の生活、けっこう恵まれた環境にいたのにあんな状態になったから私は正真正銘の雑魚なんだと思う。なんの枷もなく怠惰な生活をしててあんなんになっちゃうのって本当におっかしィ〜(笑)

そう考えるとやっぱり今後の自分に全く期待できない。どうしようか。
今は家族と友達が好きだし家に猫とハムスターがいるしパパが毎日アイス買ってくれるから生きてるけど、そんな生活を続けていると友達はもう私のことが好きでなくなるかもしれないし猫とハムスターはおそらく私より早く死ぬしパパもアイス買うお金無くなっちゃうから、なんとかしなければいけない。全てを失ったら死のうじゃなくて、全てを失う前になにかしようって心持ちはある。生きる気はある。


2人の操縦士


私の頭の中には2人の操縦士がいる。賢者と馬鹿だ。馬鹿が感情、賢者が思考。操縦席はひとつしかない。そこに座っているのはいつも馬鹿。馬鹿が賢者を殴ってまで操縦席に座るんだ。賢者は泣いているんだよ。
「僕が操縦したほうが、きっとこの子は幸せになれるのに。こんな怠惰な生活をするから憂鬱になってしまうんだよ。僕はそれが分かっているのに‥しくしく」
馬鹿は賢者の言うことなど聞きやしない。
「僕が1番に優先されるべきだ。だってそうだろ?理屈や事実だけを基にした行動はロボットみたい。彼女は人間なんだ。僕が1番に優先されるべきなんだ。」
賢者は言い返す。
「そうじゃないんだよ。理屈や事実を基にした行動は結果的に彼女を幸せにするんだ。君が彼女を苦しめているんだ。」
「うるせえこの野郎!僕が最優先じゃなきゃ嫌なんだー!!!」
あらあら。馬鹿がまた賢者を殴っちゃって大変。賢者が操縦席に座れるのはいつになることやら‥。


私が苦しいのはこういうことです。


おわりに

一言だけ言わせてください。腕に自傷痕があって長袖しか着れない。夏は暑すぎて熱中症になっちゃう。私が熱中症になっても自業自得だろと言わずに抱きしめてください。
















そしたら私がこう言います。

「ねえ、ちゅー しよ?」







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