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[書評]『広田弘毅「悲劇の宰相」の実像』/服部隆二(中公新書)

本書は戦前に外相や首相を歴任した広田弘毅の実像を描き出そうとしたものである。外交文書や周囲の人々の日記などから広田自身と広田外交を仔細に検討している。広田は福岡出身で、福岡の国家主義団体「玄洋社」の一員であった。それゆえ広田は冷静沈着な外交官としての1面に加え、「国士」としての1面もあった。広田は外務省主流派である幣原派とは距離を置き、幣原が志す欧米重視の姿勢ではなく、中国やソ連との外交を重視した。とはいえ広田は重光のような亜細亜主義者ではなく、「漠然とせる観念等に捉わるる事なく、現実に即して処する事即ち外交なり」と言い、あくまで主義主張に囚われないリアリストであった。広田は30年代以降、幣原に代わり外務省を率いた。広田は政党政治にはこだわらず、しかし軍部とも粘りづよく交渉して2・26事件後も政局を主導した。だが、広田は首相終盤期から政局をまとめ上げるのに疲れ、以降近衛内閣の外相となっても、国内政局や国際政治のバランサーとしての積極的に動かず、近衛流ポピュリズムと軍部に流されていく。著者はこの原因を広田の主義主張を掲げない姿勢に求めるが、私はむしろ抵抗する気力がなかったためと考える。これは東京裁判が広田を”active follower”と位置付けたのに似ている。あくまで広田は外交官として、政治家としてリアリストであり、彼の政治思想は誤りではなかったが、むしろ後半期の広田に欠けていたのは情熱であったように思われる。(S)

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