見出し画像

[書評]『二・二六事件 「昭和維新」の思想と行動(増補版)』/高橋正衛(中公新書)

本書は近代日本最大のクーデタである二・二六事件を扱ったものである。二・二六事件は、1936年に陸軍青年将校(20代後半から30代前半にかけての年齢で、階級は尉官クラス、隊付の士官)が岡田啓介首相・高橋是清蔵相・鈴木貫太郎侍従長・渡辺錠太郎教育総監ら政権および陸軍幹部を殺害(一部未遂)し、永田町をはじめとする日本の中枢を4日間にわたって占拠したクーデタ未遂事件である。

本書は二・二六事件とは、「真崎甚三郎の野心と重なり合った青年将校の維新運動」と位置付ける。これは本書が二・二六事件を陸軍内部に焦点を当てて考察しているがゆえに導き出される結論であろう。

まず「真崎甚三郎の野心」について。真崎甚三郎は皇道派の首領であった。皇道派は天皇親政の下、英米ソと戦争するための体制を整えることを主張し、「直接行動」による変革を目指した派閥である。二・二六事件当時皇道派は、陸軍大臣を通じて国家総動員体制を整え、諸外国に対抗できる軍事態勢を整えることを主張する統制派と争っていた。しかし真崎が教育総監の座を追われるなど陸軍の主流は統制派が握っており、皇道派は劣勢であった。そこで真崎は青年将校の決起を利用して、自らが首相となることで、局面の打開を図ろうとした。


一方青年将校は、不況に陥っていた経済状況や諸外国との軍事的劣勢の原因を軍閥(統制派)や元老、政党に求めた。宮中にはびこる黒い雲を排除する、即ち「君側の奸を討つ」ことで天皇親政が成れば国家はよい方向に進むと考えた。


この2つの思惑が合致した結果が二・二六事件である。当然決起将校らも勝算がなければ行動にでない。彼らは真崎大将をはじめ、彼らに同情的であった軍事参議官(真崎・荒木貞夫ら)と川島陸軍大臣の協力を得れるという確証があって決起した。事件当初は青年将校らの思惑通りことが進み、陸軍首脳部の支持を得ることに成功する。しかし統制派の牙城である参謀本部、海軍、そして昭和天皇が決起部隊を断固殲滅すると主張し、彼らのクーデタは失敗した。その際に決起部隊に同情的な陸軍将校の存在と同士討ちを避けたい思惑から指揮統率が乱れ、届くべき命令が届かず、それが現在に至るまで二・二六事件に独特の不可解さを与えている所以であろう。

本書は陸軍内部に焦点を当てて二・二六事件を解説している。だがこれだけでは二・二六事件に実情はわからない。実際海軍がクーデタ鎮圧のためにかなり大規模な動きを見せており、天皇も最初から断固討伐の姿勢を固めていたわけではない。本書は陸軍内部の対立と神格化された天皇を議論の主軸に据えているが、陸軍だけでなく海軍も視野に入れた考察が必要であるし、天皇は二・二六事件の発生時点では確固たる地位を築けておらず、神格化も進んでいなかったことを鑑みて、天皇をひとりのアクターとして捉える必要がある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?