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『オイディプス王』/ソフォクレス/藤沢令夫訳(岩波文庫)

古代ギリシアにおける三大悲劇詩人の一人ソフォクレスの作品の中でも特に傑作と謳われ、哲学や文学などにおいて古今東西を問わず引用されてきたこの作品のストーリーそのものについては、論文や書籍はさることながらインターネット上においても多くの批評が為されていそうなので、ここでは敢えて現在自分が大学で受講している哲学の授業の内容と絡めて簡単な書評を行いたい。
この作品には「真理」というワードがしばしば登場するが、これは本著の文脈においては「アポロン神の神託における御言葉」を表しており、作中に出てくる殆どの人々はこれに全幅の信頼を寄せているようであるし、更には主人公オイディプスをはじめとする登場人物たちの命運は、実際に全てこの「真理」によって左右されている。ここで自分には、「ギリシアの人々には『自由意志』の概念が無かった」というアレントの考察(哲学の講義にて言及された)が思い起こされた。『オイディプス王』における人々の有り様とアレントの言葉とを連想することによって、「古代ギリシアの人々にとって自分たちの行動を規定する概念は全て『神の御心』であり、それは何人たりとも抗うことのできない運命を定めているのであって、そこに自由意志の介入する余地はなかったのではないか」、と思われたのである。ここから、人間の、「なにか自らがすがるものに運命を預けたくなる」傾向が見てとれよう。これを現代社会に当てはめて考えてみれば、意志と言うものが今日の社会において「人々のすがるもの」となり、そこにおいて、國分功一郎氏が指摘するところの「意志の神聖視」が為されていることの説明にも繋がるかもしれない。これについては自分自身、来年初のレポートに向け一層考察を深めていきたい。(P)

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