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愛ってなんだ

"Respect Others"

ひさしぶりにnoteを書こうと思って、深夜1時に書き始めてしまった。
自分はいつもこう、、、じゃないと書けないんだよね。

書き始めたなら、完成させないとこの文字たちがもったいないから
今日は書き終わるまで起きるよ。


自分らしくないタイトルだなと思う一方で、
「自分らしい」ってなんだよとも思う。

愛を語ってダメな人なんていないのに。


そうやって他人を自分の生きてきたサイズにまとめて判断することは
本当に無意味なことだよなと最近は思うようになってきた。

でも、自分の生きてきたサイズでしか物事は考えにくいんだよね。

「価値観や考えが違うから嫌い」と一蹴することは間違えていて、
自分と合わない人にはまだ知らない何かを伝えてあげないと、と思う。


誰も完璧じゃないんだから、誰かを否定する権利なんかないんだと思う。


そろそろテーマに沿った話をしていきたいから、少しずつ軌道修正したい。
ここでいう「愛」は友達への愛だ。

友達という言葉にも少しだけ疑問を持っているけれど。
親友?なんか親友よりも上の言葉ってないの?笑

自分にはそのくらいの関係性の友がたくさんいる。幸せなことに。


これは一つ言っておきたい。このnoteを見てるあなたへ。
僕のSNSを見て、「彼女?」とか「付き合ってる?」みたいなことを
たまーーーに言われるんだけど、本当にそれやめたほうがいいですよ。

今の時代にあってない。そのコミュニケーションの取り方は。
そもそも彼氏彼女って概念が違ってたり、関係性として違和感があったり。

男性だから、女性だから、で話すのは気を付けていこう(自戒)

ただ、僕もまだ知識が浅いので「間違ってるよ」ってちゃんと言ってね。



そんな前提の話から愛の話をする。
友達への愛という言葉を今までは言葉にしたことがなかった。

旅をしていく中で、本当に気を遣わない同い年たちと出会うことがあった。
みんな尊敬できるすごい人たちで、「自分なんかが、」とも思うことがある。

同い年といっても、気づけば25歳で、一般的には「社会人3年目」だ。
一般的にという言葉もあまり使いたくはないが。

そんな社会に揉まれて、馴染んできたマジョリティとは別の軸で生きている自分も含めてマイノリティともいわれるそんな人たちとの出会いの方が今の僕には安心出来て、かつ居心地がいいのかもしれない。

直近で会ったそんな同い年はみんな、居心地の良い人たちだ。


それぞれ住んでいる場所が違うから、みんなで一緒に会うことは難しいのだけれど、それが最近実現した。

久しぶりの再会にはハグを、お別れにもハグを。

好きだよと言い合える関係だし、違うんじゃない?と言い合える関係。

終始笑ってられる、幸せだと言える、まだ帰りたくないと思える。


そんな人たちと出会えただけでも幸せなんだよな。
大好きだよと言い合える友達への愛は、愛なんです。

愛ってなんだ?知らないよ。
その言葉でお互いがホッとできるんだから、いいんだよね。


おやすみ、また書くね

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