働くも暮らすも“おちゃめ”でいたい ようやく見つけた絶妙な距離感
暮らしを共にするパートナーが、もし自分と同じフリーランスだったら。
働き方の柔軟性が増し、共働きが多数派になりつつある昨今、『フリパラ』ではフリーランス同士のカップルに注目。このコーナーでは毎回1組を取り上げ、気になる“ふたり”の出会いから、仕事のこと、毎日のこと、未来のことを掘り下げます。
今回登場するのは、東京でWebクリエイティブを手がける「Chamekke」の佐藤 悠さん・沙織さん夫妻です。幼少期から思春期にかけて、海外での生活が長かったおふたり。日本特有の企業人文化になかなか馴染めず、戸惑う時期もありました。
紆余曲折を経てたどり着いた、暮らすように働くスタイルとは。
Web制作へシフトし得意の英語をフル活用
悠 妻の沙織と「Chamekke(ちゃめっけ)」というクリエイティブユニットを組んで、2018年より活動しています。現在はWeb制作がメインで、外部のデザイナーさんと一緒に企画からデザイン、コーディング、オウンドメディアのコンテンツづくりなどに携わっています。沙織と僕は海外生活が長かったこともあって、英文ライティングや日本語で書かれた文章の英訳などもしています。
沙織 私は悠の仕事をサポートする役割。細かい作業が好きで、悠の制作物をチェックしたり、相談を受けたときに意見を述べたりしているかな。学生の頃から始めた、翻訳の仕事も続けています。あとはフォトグラファーの経験を生かして、撮影のディレクションに入ることもありますね。
悠 ユニットを結成した頃は、英訳と動画制作が主戦場でした。Web制作にシフトしたのはコロナ禍以降。イベント系の撮影がいったん全部なくなって、どうしよう…となっていたときに今のビジネスパートナーであるデザイナーさんが、一緒にやらないかと声をかけてくれました。僕のWeb制作スキルを知っていた彼が僕のポテンシャルに賭けてくれたんです。
健全な心身は食事から 生活リズムを支える昼ごはん・夜ごはん
悠 僕らの仕事場は自宅の一画。机を並べて、それぞれのペースで仕事しています。デスクトップPCは、沙織のも合わせて僕の自作です。机まわりもだけど、働き方はお互い性格が出ているよね?
沙織 そうだね。私は机の上がごちゃごちゃしていたり、部屋が散らかっていたりするのは絶対イヤ。気になって仕事に集中できないので、朝は掃除から始めるのが日課です。
悠 逆に僕はガジェット好きなところがあるから、いつも机には何かが置いてある(笑)。仕事の時間は、夜に偏らないように意識しています。クライアントさんの営業時間も踏まえると、朝の9時くらいには仕事を始めていますね。
午前中はオンラインで打ち合わせをして、昼はデザインなどのクリエイティブ、夕方以降は英文ライティングやコーディングと、時間帯によって仕事の内容も自然と変えているような気がします。コーディングは夜のほうがはかどる。気づけば深夜みたいなときも、たまにありますね。
沙織 きっと、周りのノイズが少ないからだよね。私は途中で家事を挟みつつ、仕事を進めるスタイル。悠に比べると、少し夜型が強いかな…? と言いつつ、頭が冴えているのはやっぱり午前中ですね。翻訳の仕事は集中力がカギ。朝から着手しつつ、勢いに乗ったら夜まで続けます。
フリーランスは仕事を止めてくれる人がいないので、独立したてのときは、いつの間にか夜中になっていた……ということも多かった。でも今は、なるべくそうならないように気をつけています。考えてみれば、食事の時間が生活リズムを保つ秘訣かも。というのも、昼ごはんと夜ごはんはきちんと食べようと、あるとき悠と決めたんです。
悠 会社員のときに体調を崩していた時期があって、食をおろそかにしていたな…という反省からだよね。
沙織 そう。若い頃は連日ファストフードも、めずらしくなかったけれども。調理担当は悠。最初は私がつくっていましたが、実は彼にとって料理が気持ちの切り替えやリフレッシュになっていたことを後で知ったんです。それからは、もう彼にお任せ。
悠 お昼ごはんでも、買い出しから始めることが結構あるかな。体にやさしいものを意識していて、玄米にお味噌汁、季節の生野菜サラダは外せない。毎日どんぶり一杯くらい食べますね。夕食は50分くらいでつくれるものを、たまに外食も挟みつつ。無理せず楽しめる範囲で続けています。ランチの後は軽く昼寝をして、仕事に戻ります。
沙織 休み方といえば、金曜日が定休なのもオリジナルのルールかも。ふたりとも人混みがあまり得意ではないので、用事は平日に済ませたいなと思って。他の曜日も考えたけれど、金曜がいちばんしっくり来るとなって、今に至ります。
悠 金曜がお休みなことは周りに伝えてあるので、クライアントさんから木曜日にまとめて連絡が入ることもありますね(笑)。でも土日は普通に仕事をしているので、週休3日というわけではない。
金曜の過ごし方も、沙織と僕ではけっこう違う。僕は基本的に出かけたい人で、日が暮れるまで一歩も外に出ないなんてあり得ない(笑)。
沙織 逆に私はお休みの日こそ、のんびりしたい派。いつもよりゆっくり起きて、本を読むなどしながら好きなことをやって、一日中部屋で過ごすのが好きですね。
企業社会に馴染めず悩んだ末に行きついたフリーランスという選択
悠 ふたりが初めて出会ったのは、カナダのトロントにある高校でした。学年違いで、僕が1つ上。
沙織 親の仕事の関係で、悠も私も幼少期から日本と海外を行き来する生活でした。日本に定住し始めたのは、大学に進学してから。それまで悠はベルギーやイギリス、北アメリカで過ごし、私は北アメリカの各地を転々としていて。
現地では言葉や独自の文化に戸惑い、日本に戻って来たら学校の集団生活に慣れなくて。気の合う友達ができて、うまく馴染めたらいいのだけど、その頃にはまた転校…というのを繰り返していました。
悠 こんな感じで育ってきたから、“駐在員の子ども”ってやっぱり価値観が独特で。沙織とは感覚が合うというか、はじめから無理をせず一緒にいられたんです。言葉にしても、伝えたいニュアンスを優先して日本語と英語をミックスさせながら会話できる。直感的にやり取りできて、煩わしさを感じることがない。大学に進むのに帰国するタイミングで、僕からアタックしました。「このまま会えなくなるのは嫌だ!」って思って(笑)。
沙織 結婚したのはちょうど10年前です。海外でいろんなパートナーの形を見ていたから、私たちはそれほどこだわっていなかったのだけど、周囲から強く勧められたのがきっかけですね。日本では結婚をしないと、社会的にパートナーとして認められなかったり、受けられる公的なサービスも変わってきたりする。そうしたこともあって、籍を入れることにしました。
当時、私は既にフリーランスでしたが、悠はまだ会社勤めを続けていました。私はいわゆる就職氷河期世代。そもそも求人が限られていたり、大学の友達も男の子ばかり先に内定を受けていたり、就職先では夜中の3時まで飲み会に連れ回されたり、「40歳を超えたら退職してね」と言われたり。“女性である”というだけで、自分の望むキャリアを築けない状況に、直面し続けてきました。
そうしたモヤモヤを抱えていた最中、3.11が起こります。東京でもスーパーの棚から食べものが消えたり、停電したりと緊迫した雰囲気に包まれる中、東北で被災された方々が「津波でお金が流されたのはともかく、家族の写真は諦めがつかない」と話す姿をテレビで目にします。当時、私はカメラの勉強をしていて、自分にも何かできることがあるのではと思い、フリーランスで活動することを決意します。大学の頃の友人も独立志向が強く、彼女たちに感化されたところもありました。
悠 ところが、結婚した直後に僕の調子が悪くなる。端的に言えば、会社勤めが合わなかったんです。2つの会社を経験しましたが、どちらも働くうちに心身のバランスを崩してしまい、休職や離職を余儀なくされました。
僕にとっての会社で働くことの障害は、時間と空間の拘束が大きいことでした。これは独立して自由に管理できるようになるまで、わからなかった。むしろ、うまく適応できるだろうと思っていたんです。
会社は基本的に、個々の仕事の範囲や役割が決まっています。また会社にもよると思いますが、勤務時間や勤務先も雇用側が決める。働き方改革や新型コロナを経て、今でこそ多少柔軟になりましたが、私が勤めていた頃はまだ会社側に主導権があるのが暗黙の了解でした。
もともと僕は一つの仕事に集中するより、マルチタスクが得意な性分。いろんな役割を担うことで、相乗効果を図ることができます。けれども過去に働いていた組織では叶えることが難しかったし、会社も求めていなかった。転職も少し考えたけれども、同じ壁に突き当たる可能性もゼロじゃない。それにもう一度失敗したら、うまく社会に溶け込めない自分を責めてしまうような気もして、そうなるのは嫌だった。
それで沙織とも話し合って、「僕たちに合った、働き方や生き方を築いていこう」と、フリーランスになることを決めました。で、「何で食べていくか」を考えるんですけど、まず武器になると思ったのが英語、次に動画でした。
僕は音楽好きだったこともあり、大学を卒業した後はすぐに就職せず、音を録る仕事を弟と始めました。ミュージシャンとの取引になるので、録音の仕事の延長でビデオ制作や、ホームページづくりなども手掛けていました。沙織も写真はプロレベルだし、クリエイティブな仕事のほうが自分も楽しめると考えたのです。もちろんアップデートが必要でしたけど。結果として、会社員のときと同じ職業にはならなかった。もちろん、ビジネスの仕組みの理解やビジネスマナーなど、役に立っている部分はたくさんありますけどね。
ユニットを始めてようやく気づいた互いの感覚の違い
悠 1日を振り返ると、ふたりで話す時間が占める割合は結構多いよね。
沙織 仕事の進捗に限らずよく話す(笑)。ニュースやドキュメンタリーで見聞きして気になったことの話とか、生き方とか哲学的な話とか。もともと会話は多かったと思うけれど、フリーランスになって一緒にいる時間も増えたし。だけど仕事に対する考え方やスタンスの話は、今振り返ると遠慮していた時期もありました。
ターニングポイントをひとつ挙げるとしたら、報酬未払い事件かな。動画制作の話が舞い込んできて、最初の打ち合わせのとき、先方の説明がコンセプトばかりで、何を撮りたいのか具体的に提示してこなかった。私は話を聞きながら、「あれ…?」と違和感を抱いたけど、悠は前向きだった。で、請けることにしたのだけど、結局うまくいかなかったんです。
悠 どうしてこうなったのかを振り返ってみると、やっぱり最初の違和感にきちんと向き合わなかったのがよくなかった、という話になって。それからというもの、ふたりのうちどちらかが「何か違う」と感じたら、その仕事を請けるのはやめようと決めました。
Chamekkeを始めて理解したのは、「互いの感覚は異なる」ということ。僕がやりたいと思うことを、沙織も同じように思うとは限らないんだって。当たり前なんですけど。でも昔の自分は、自分が楽しいと感じたら、相手も楽しんでいるって思い込んでいたところがありました。
これだけふたりで長くいれば、衝突することもあります。でも思うに、衝突の大半は不安から来ているのではないか。人は何かに恐れを抱いたとき、自分を守るほうへと動きがちです。すると相手のことを考える余裕がなくなって、衝突に至ると。
こうしたことを何遍も繰り返して、どうしたら衝突を避けられるだろうと考えたときに、この言葉で相手を傷つけていたんだとか、思うよりも相手は望んでいないんだなとか、逆に相手の「こうしてほしい」に気づいていなかったとか。日々過ごす中で、自分の思い込みや恐れを押しつけていたんだと知って、沙織とのあらゆるやり取りを見直していきました。
小さなことでも「どう思う?」、「嫌なら無理しないで」ってちゃんと言葉に出して、沙織に確かめるようになって、ようやく分かり合えるようになってきたかな。キッチンの使い方も含めて、本当によく話し合う(笑)。ここ2,3年のことです。
沙織 仕事を請ける・請けないの判断は収入に関係するし、お互いのプライドもあります。そもそも悠が会社を辞めて、フリーランスになるというときも、正直なことをいえば、世の中の“ふつう”にしがみつきたい自分と、それはふたりには難しいと考える自分との間で、しばらく葛藤していました。
仕事のことについて相手にどこまで踏み込んでいいのかは、ちょうどいい塩梅をつかむまでに、やっぱりある程度の時間が必要でしたね。
働くは暮らすの一部 人の営みを大切にした生き方の実践者に
悠 フリーランスを続けてきて改めて感じるのは、“働く”が“暮らす”に包含された生き方の大切さです。幼少期にヨーロッパで生活していて、生活そのものの質を大切にする現地の人たちの姿に、子どもながらステキだなと思っていました。
沙織 人は動物ですから、食べるや寝るなどの生物としての営みが真ん中にあって、それを支えるために仕事が存在しているはずです。ところが現代社会は、仕事が中心の生活になっている。人はもっと余白を大切にしたほうが、人間らしい生き方ができる気がしています。
悠 日々の暮らしを大切にし、人ならではの文化的な営みを、さまざまな切り口から提案していきたい。最近では都市部に広がる屋上農園を中心とした地域コミュニティのしかけや、それを実現しやすくするITプラットフォームなどにも興味があります。
沙織 私は会社から離れたことで、人と関わるのが好きだった自分を思い出しました。実は学生の頃のアルバイトは接客業ばかりで、お客さんとお話するのが楽しかったんですよね。だから将来、できることなら自分のお店を持てたらいいなって。バックグラウンドの異なるいろんな人が集まって、語らいながら互いを理解するような場を築くのが理想です。
悠 実現には、僕たちの考えに共感できる仲間が必要です。できたら人を巻き込んで、ビジネス化を図っていけたらと考えています。
また仕事って、本来は楽しいもの。誰もが自分の意志で選択し、ウキウキした気持ちで臨めるのが理想です。けれども報酬が発生する以上、責任を持って遂行する、誰かの役に立つなど価値を創出する必要があります。それにはプロとしての知識や姿勢が問われるわけで、趣味では到達できない領域といえるでしょう。会社員だろうとフリーランスだろうと、関係ないはずです。
今の社会の仕組みは、会社に所属することを前提にしているところがあります。そして一度レールから外れると、やり直しがきかない。時代は変わりつつあるものの、もっと柔軟で多様性を考慮したやり方があると思います。
次の世代が僕たちと同じようなことで悩んだり、生きづらさを感じたりすることのない世の中になるように、できることから一歩ずつ取り組んでいきたいです。
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