見慣れたものの「見たことない形」を提示する | 焼き芋アンバサダー・熱波師 天谷窓大さん【偏愛マニア #04】
「好き」で続けてきたことがどのように仕事につながってきたのか、「偏愛」を軸に活動をする方々のお話を伺いながら紐解いていく「村田あやこの偏愛マニア探訪記」。
今回ご登場いただくのは、天谷窓大さんです。
天谷さんは、出社前に観光や海水浴などのアクティビティを楽しんだ後に、定時に出社するという「エクストリーム出社」を提唱したことで話題になりました。
もともとエンジニアとしてキャリアをスタートさせましたが、やがて仕事としてイベントの仕掛け人に。
エクストリーム出社に続いて焼き芋専門フードフェス を企画・運営し、焼き芋ブームも巻き起こしました。
ご自身の「好き」から始めたことで、いかにして周りの人も楽しんでもらえる仕掛けを生み出してきたのか、天谷さんにお話を伺いました。
仕掛けひとつで日常がドラマチックに
ーー天谷さんが現在携わっているお仕事を教えてください。
「焼き芋アンバサダー」として焼き芋イベントの企画運営や、焼き芋に関する情報発信、ライターとして企業や個人の取材、ラジオパーソナリティー、プログラマー、熱波師、フリー素材のモデル……メインの仕事をざっと挙げると、そんなところですね。
ーーご自身が表に出るお仕事からクライアントワークまで、幅広く活躍されていてすごいです。子どもの頃は、どんな仕事像を思い描いていましたか?
小さい頃から、自分の思い描く世界を実現するための「仕掛け」を作ることに興味がありました。例えば、5歳ぐらいの頃、「エレベーター」を作りたいと思ったことがあって。
近所の八百屋さんでもらってきた段ボールに穴を開けて紐を通して、天井のフックにかけたんですが、最初は思うようにスムーズに引き上がらなかったんです。どうやら「滑車」というものがあるとスムーズに紐が動くらしいと聞いて、父親に「滑車を買って」とねだったこともありました(笑)。
完成した箱の中に乗って紐を引っ張ってみたら、5センチくらいしか浮かないんですが、それでも自分で作った仕組みで自分を運べたことは嬉しかったですね。
ーー小さい頃から、アイデアや着想で面白いことをしてみたい、という気持ちがあったんですね。
僕の生まれ育った街には、映画の撮影所があったんです。よく戦隊ものの撮影の舞台にもなっていたので、番組を見ていると、いつも歩いている通学路が戦いの場になっていることもありました。
仕掛け次第で、自分の住んでいる街がこんなにドラマチックに見えると知ったことで、「考えて作ればいくらでも現実は変わるんじゃないか」という期待を持って過ごしてきたんでしょうね。
ーー工夫やアイデア一つで世界は変わるかもしれないという可能性をリアルに感じていたんですね。
その後、漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(こち亀)にはまって。『こち亀』では、主人公の両さんがいろんなビジネスを立ち上げるんです。例えば、通勤電車で会社に通うのが辛い人たちのために、全車両が遊園地のようになったアミューズメント通勤電車を作ろう、という話は印象的でした。
戦隊ものの番組を見たときは、なぜテレビに映る自分の街はこんなにキラキラしているのに、普段の日常はつまらないんだろうと思っていたんです。ただ、『こち亀』を通して、当たり前のものが、考え方次第でキラキラしたものに変わるんだと知りました。ハプニングが起こるのを待つのではなく、現実が違って見えるような発想を持てばいいんだと、学んでいったんです。
通勤に旅を取り入れ、辛い仕事を乗り切る
ーー天谷さんと言えば、通勤経路を遊びと捉え、非日常体験をした後に出社する「エクストリーム出社」を提唱したことで話題になりました。エクストリーム出社は、どのような経緯で始まったのでしょうか。
学生時代はずっと「面白いことを作る仕事がしたい」と思っていました。
ラジオが好きだったので、就職活動ではラジオ局を受けたんですが、箸にも棒にも引っかからず、挫折してしまって。
ただ、高校時代から趣味でプログラミングをやっていたので、プログラマーだったら自分の日常に面白いものを作れるんじゃないかと思ったんです。
ソーシャルメディアを運営する会社のプログラマーとして、社会人生活をスタートしました。
ーーはじめは、プログラミングという切り口で面白いことを作ろうとしたんですね。
入社当時は会社がまだ小さく家族のような雰囲気でしたが、扱っているサービスがヒットするにつれて、会社がどんどん大きくなっていきました。それに伴って、自分のやりたかったのとは違う仕事をやる機会も増えていったんです。
苦手な仕事なので基本的に毎日怒られて、さらに嫌な気持ちになって……という悪循環で、とうとう会社に行くのが辛くなっちゃって。
日曜日の夜には「ああ、朝がくれば怒られるんだな」と、月曜日が来てほしくないから朝まで起きる、みたいなことが常態化していました。
ーー1週間がそんな気持ちからスタートするのは辛いですね。
会社に行くのは嫌だけど、じゃあ何をしている時が楽しいだろうと思い返したら、旅行でした。普段行かないところに行ったり、普段と違う方向の電車に乗ったり、知らない街でご飯を食べたり。空港など旅立ちの空気に包まれた場所にいるだけでも楽しい。
とにかく旅気分が味わえる空気に自分を浸していって、「旅の途中に会社に寄ってやる」くらいの気持ちになれば、会社での時間も楽になるんじゃないかなと思いました。
苦肉の策で考え出したのが、「エクストリーム出社」なんです。
ーー会社員としての辛い日々が、エクストリーム出社につながるんですね。
名前が付くことでコミュニティが立ち上がる
ーーエクストリーム出社は、もともと天谷さんお一人で始めたんでしょうか。
はい。最初はSNSに投稿すらせず、自分一人の趣味のために始めました。
ある時、友だちと飲んだ時にふと話題に出したら、「会社への行き方を大喜利みたいに競い合う、架空のスポーツ大会をやりたいね」みたいな話で盛り上がったんです。その時に、「エクストリーム出社」という名前も誕生しました。
そこで8月のある日、それぞれが考えた過激な会社への行き方をSNSで実況し合うことに。
ある人は山の湧水でカップラーメンを作ってから出社、僕は鎌倉に始発で行って誰もいない海で泳いでから出社……みたいに、自分なりの出社の仕方を実況し合ったところ、それがネットニュースに取り上げられました。
あれよあれよとYahoo!ニュースのトップ記事にもなって、そこから人生が変わりましたね。
ーー「エクストリーム出社」というネーミングや競技性など、他の人が見てもわかりやすいパッケージになった効果も大きいように思います。
ネットニュースでバズった後、「自分がやっていることは『エクストリーム出社』だったのか」という反応が多く寄せられたんです。
1万人の人達が1万通りの方法でやっていたことに、1つの共通の名前がついた。それによって1万人規模のコミュニティが急に現れるのかと、驚くとともに感銘を受けましたね。
ーー名前がつくことで、あるのに気づかなかったものが顕在化したんですね。
当時は新卒で勤めた会社を退職し、テレビ番組を作る制作会社の社内SEとして働いていました。
前職から密かに続けていたエクストリーム出社がバズったことで、メディアからたくさん取材を受けるようになったんです。
ある時、雑誌『AERA』に見開きで載った記事が、社長の机の上に置かれていて。「あーバレた。これはクビだな」と、絶望的な気持ちになりました。
ところが社長は面白がってくれたんです。それどころか、会社としてイベントを増やしていきたいから、事業としてエクストリーム出社をやってみないかと、イベント事業の担当に任命されました。
当時、朝活ブームが訪れていたので、朝活より敷居が低くて面白い新カテゴリーとして捉えられたことも大きかったですね。
ーー会社に行きたくなくて始めたことが、仕事になってしまった。「好きで始めたこと」が仕事になったことで、どんな変化がありましたか?
もちろんビジネスとして収益は考えなければなりませんが、それ以上に様々な企業さんとのコラボで、商品や仕組みを活用して面白いことができる楽しさのほうが勝っていましたね。
自分自身の経験や発見をそのまま仕事に活かせて、それを他の人も面白がってくれて。「世の中が面白くなる仕組みを考えたい」という原点は同じでも、仕事になることによってやれる規模が大きくなったのは楽しかったです。
制作会社として情報番組を作っていたので、世間に受けやすい企画の出し方をするノウハウがあったのも大きかったですね。メディアに取り上げていただいて、また新しいお話が来て……といういい循環が生まれました。
コアな焼き芋ファンが集まる焼き芋フェス
ーーその後、天谷さんは焼き芋に特化した「品川やきいもテラス」というイベントも立ち上げられます。
エクストリーム出社は、朝の時間が長い夏には受けるんですが、寒くて外も暗い秋や冬になるにつれて、ニーズが減ってくるんです。 ただ、会社としては定期的にイベントを打っていきたい。そんな中で「焼き芋なんかいいんじゃない?」という声が社内で上がりました。 調べたところ焼き芋屋には、焼き方などにこだわったお店がたくさんあり、一口に焼き芋と言っても、同じ味のお店がどれ一つないと知りました。 そこで、オフィス街に焼き芋屋さんがずらりと出店し、仕事の合間に焼き芋を買いに行けるマルシェがあったら面白いんじゃないか、と始まったのが「品川やきいもテラス」です。
ーー焼き芋もまさに、知っているけれどわざわざ注目される機会の少ないものですよね。でも寒い時期に、しかも平日のイベント。集客は大変だったのでは?
当初はオフィスで働く人達が時々来てくれたらいいなと思って、焼き芋屋さんとも「何人来るかわからないけど、のんびり売りましょう」と話していたんです。ところが蓋を開けてみたら、第一回目にして3万人もの来場者がありました。 誰も予想していなかったので、驚きましたね。
ーーすごいですね!オフィスの人たちだけでなく、イベント自体をめがけてやってきた来場者も多かったんでしょうか。
そうなんです。ちょっとしたフェスぐらいの人が来ちゃいました。
夕方の情報番組を参考に、「こういう面白い画があります」とわかりやすくプレスリリースで伝えて、テレビ番組でたくさん取り上げられたことも集客につながりましたね。
てんやわんやでしたが、焼き芋にこんなニーズがあるのかと、エクストリーム出社と似たようなものを感じました。みんなバラバラで好きだったものに名前がついたことで、一つのコミュニティが立ち上がるって、こういうことなんだな、と。
そこから本気でリソースを注ぎ込んで、運営ノウハウを身に着けていきました。
ーーその後「品川やきいもテラス」は定期開催されています。1回目から出てくださっている焼き芋屋さんも多いんですか?
はい。何人来るかわからない状態から、一緒になってイベントを作り上げていったお店は、戦友のような存在ですね。
1年目に小さな軽トラで来たお店が、「イベントの売上で買いました」と、翌年大きなキッチンカーで来てくれたり、「イベントのおかげで借金が返せました」というお店があったり。ありがたいですね。
ちょっとやそっとじゃ崩れない絆が生まれました。
最近の「品川やきいもテラス」にはありがたいことに、焼き芋に詳しい玄人のお客さんが固定客として付いています。とにかく安心して、本当にいい焼き芋を楽しめるイベントにしようと、今年はあえてテレビへの露出を抑えました。
集客は前年よりも減りましたが、驚くことに売上額は変わらなかったんです。数ある焼き芋フェスの中でも客単価が高くお客さんのマナーもいいので、焼き芋屋さんにも満足いただけていますね。
ーーコアな焼き芋好きが集まる、いいイベントに育っているんですね。
目指すは「焼き芋界の佐久間宣行」
ーー現在は、フリーランスとして活動されています。会社から独立された理由は?
エクストリーム出社と品川やきいもテラスの成功で、ありがたいことに指名でお仕事をいただく機会も増えました。ところが会社員だと、僕自身はやりたいものの、会社的にやらないという判断になった仕事もあったんです。
会社には会社の事情があることはよく理解していたので、「やりたい仕事を全部やる代わりに、責任も全部取ろう」と、2019年にフリーランスになりました。
ありがたいことに、独立前に働いていた会社とは焼き芋アンバサダーとして今もお付き合いが続いています。去年は『マツコの知らない世界』に“焼き芋を愛する熱波師”として出演し、その反響でさらにいろいろな仕事が広がりました。
「焼き芋=天谷窓大」が定着し、なんとか独り立ちできるようになりましたね。
ーー今後さらに広げていきたい仕事、やりたい企画はありますか?
『ドラゴンボール』の「天下一武道会」のように、焼き芋屋さん同士のマッチングをやってみたいです。同じ芋を使って何かを作る、同じ「壺焼き芋」同士で勝負するなど、焼き芋屋さん同士が絡む場を作っていきたいです。
例えば『ゴッドタン』は、レギュラーメンバーの組み合わせとシチュエーションで様々な企画に広がっていますよね。やきいもテラスが目指すのも「ゴッドタン方式」だと思っています。「焼き芋界の佐久間宣行」になりたいですね。
ーー確かに『ゴッドタン』は、同じ出演者なのに、手を変え品を変えいろんな企画をやっているから、いつ見ても面白いですよね。
とにかく玄人向けに内容を濃くしていって、コアな焼き芋ファンたちにも楽しんでいただける仕事をやりたいです。
そうやって自分が場や仕組みを作った後は、自然とそこに人が集まったり、遊び始めてくれたりするといいですね。その人たちが集まりやすい遊具をちょっとずつ作りながら、それを遠くで眺めていたい。
昔の自分が思い描いていたような、常に面白いことが起きる仕掛けを作れるようになって、ようやく子どもの頃の夢を叶えられました。
偏愛マニア探訪後記
ご自身が表に出るお仕事から、イベントの仕掛け人、エンジニアと、幅広く活躍される天谷さん。
「焼き芋カラー」の衣装を身にまとったプロフィール写真はインパクト満載ですが、実際にお話すると、とても優しく控えめで、真摯な雰囲気をまとっていらっしゃいます。
エクストリーム出社も焼き芋専門フードフェスも、「身近なのに気づいていなかった」ものを「見たことない形」で打ち出したことで、世の中に新たな視点や楽しみ方を提示した天谷さん。
ひとたび仕掛けを作った後は、そこに集まる人たちが自由に遊び始めてほしい、とおっしゃっていたのが印象的でした。
「俺のもんだ」と世界観を押し付けるのではなく、それぞれ参加する人たちが自由に楽しく関与できる余地があるからこそ、たくさんの人のものとして広がっていっているのだな、と感じます。
天谷さんの仕掛けによって、日常に埋もれていたものにどのように光が当たるのか、これからも楽しみです!
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