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草生やさずにはいられない

こんばんは。
インフルエンザのアラサーである。
略してインフルエンサーだ。
PR案件などあればお受けします。
(?)

子供に感染されて
看病のピークが終わったと同時に
発熱した。

はっきり言って
クソほどしんどい。
お風呂でこのまま溺れたい…
そう思うくらいは
メンタルが削られている。

そんなこととは
全然関係ないんだが
熱に浮かされた思考を
たらたら話そうと思う。
(早く寝ろ)

おれたち日本人は
1日にどれだけの"笑" "w" "草"を
この世の中に放り出しているのだろうか。
ここでは総称して草と呼ぼう。

まじで
こいつら総称"草"が
二酸化炭素を吸って
酸素を排出してくれたら
日本は確実に世界を救う。

勿論おもしろい時
笑った時には
当然草は生えるわけだが、
わたしたちは
大半の草を
真顔でそこら中に植え付けている。

日本緑地化計画は絶賛進行中だ。

まじめな話する時も
悲しい話する時も
しんどい話する時も
草はいつでもそこにいる。

草が本当に楽しい時に生やされるなら
世界は幸福で満ち溢れているだろう。

草は
どこからやってきて
何のために生やされるのか。

私がケータイを手にした
2000年代。
既に
日本人は草植えに余念なかったように思う。

ガラケーをポチポチやっていたギャルだが
こっそり書いていた
アナログ日記に
「(笑)を付けてしか本音を言えない。」
そんなことを
書いたことがあると記憶している。

それから時は流れたが
わりとそのことは真理だな、
と思った。

私たちはもはや
"笑" "w" "草"を語尾につけないと
本音を話せない。

「まじつらいw」
「仕事でやばいミスした草」
「彼氏に振られた笑」
「離婚したいwww」
「ほんと死にたい笑」

このマインドは
LINEやメッセージの字面だけじゃない。

まじめに相談している時ですら、
「こんな辛いことがあって…」
の次の表情はわりと
なんてね?みたいな
情けない笑顔だったりすると思う。

辛気臭い話をかき消すように
思わず無理な作り笑いをする。

これは草動作と名付けよう。

そんな時くらい、
しんどい時くらい、
思い切り悲劇のヒロイン面して
泣き叫んでやればいいのに
そうできないのがおれたちだ。

それは何故だろう。
ドラマだったら
大袈裟に泣いて打ちひしがれた後は
ハッピーエンドなり
なにかしらエンディングが待っている。

でもわたしたちの現実に
エンディングはなかなかやってこない。
(それは唯一死ぬ時だけだろう。)

どんなに泣き叫んでも
どんなに打ちひしがれても
雨に打たれて号泣しても
わたしたちには明日がやってくる。

必ず明日が来る。
それは希望みたいに聞こえるけど
絶望でもあるよな。

この世の終わりみたいな別れをしたって
朝が来れば
わたしたちは電車に乗り
コンビニでコーヒーを買い
仕事に行き
同僚と何気ない世間話をする。

そうなってくると
おちおち悲劇のヒロインなんぞ
していられないのだ。

だからわたしたちは
草の物陰に悲しみを隠しながら
ぽつりぽつりと本音を溢す。

それは明日に命を繋ぐわたしたちの
一種のプライドなのかもしれない。

こんな辛いことがあった、
それは話したいけど
それだけがすべてじゃないし
まあそんな辛いことがあったけど
まだなんとか明日も生きてくよ
っていう痛恨の、
苦し紛れの、
自分へ言い聞かせるような
そんな思いが無意識に
草に込められる。

嗚呼切ないかな草よ。
私たちの本音はいつも草の影に隠れている。

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