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闘病記 (20) 「感覚が麻痺した足で立つということ」

初めて自分の足で立つ事(正確には立たせてもらうこと)ができるようになって以来、次の目標は「できるだけ正しいフォームで歩くこと」になった。しかし、「這えば立て、立てば歩め」とはいかず、2つの大きなステップが自分の前に立ちはだかった。1つは座ること。もう一つは長時間バランスをとって立ち続けること。 同じ高さの椅子に繰り返して座る練習は比較的容易だった。しかし、実生活に即した様々な高さの椅子から立ち上がり、そしてまた座るという動作はとても難しかった。お辞儀をする様に、どのくらい上体を前に傾け、どの程度膝に力を入れるか。一瞬の間に計算と修正とを繰り返し、それを経験として積み重ねていく。ときにはバランスがうまく取れず、立ち上がろうとすると雨スキージャンプで踏み切った直後の選手のような体勢になり、ヒヤリとしながら療法士の方に助けてもらうこともあった。バランスよく2本の足で長時間立つことは、さらに難しかった。麻痺した方の右足はかつての2割から3割の感覚しかない。自分の「脳」がかつての感覚で10割踏み込んでいると判断しても、実際には、「健常であった頃の記憶に基づく感覚」の7割から8割の差が存在することになる。 その行き場を無くした力のせいで、バランスの悪い立ち方になってしまう。このことを克服するため、大きな鏡の前で体の中心線も確認しながら修正を繰り返した。 立っているときの足底の感じ方にも大いに戸惑った。足の裏に跳ね返ってくる抵抗感から接地していることがわかる。しかしそれはふわふわとしてあまりにも心もとなかった。踏み込めば踏み込むほど、どんどん沈んでいく感じは自分を不安にさせた。そしてそれは、自分の心の有り様によく似ていた。ここは底だと思いながら一歩踏み出せばズルズルと下へ下へと引きずられていく沼のような日々。その、マイナス思考から抜け出せないという点において。

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