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闘病記(52) デュアルタスク


 それまでできなかったことが、できるようになる時というのは突然やってくることが多い。自分は、リハビリテーションを通して幾度となくそういう体験をした。
 「大丈夫かな。うまくできるだろうか。」と結果を気にしてとらわれている間はうまくいかず、何も知らされず過程を楽しんだり練習にも疲れきって何も考えられず、無心になっているときにあっさり目標にたどり着けたりする。急に人混みを抜けて、みずみずしい空気に触れるような感覚だ。
 ある日の理学療法の時間、自分はいつものようにマット運動を終え、リハビリ病棟中央に位置するトレッドミル、愛称「くるみ」の上でテンポよく歩いていた。その頃のマット運動は、膝立ちで長い距離を移動したり、膝立ちから麻痺した方の足を素早く前に出しバランスを取ったりと以前よりもハードなメニューになっていて、「くるみ」にたどり着く頃には自分はもうフラフラになっていた。
 だが不思議なもので、担当の理学療法士Tさんが元気よく励ましてくれたり、歯切れの良い調子でリズムをとってくれたりすると歩けてしまうものなのだ。
 スピードに乗り、徐々に気分がハイになってきた頃、突然Tさんが話しかけてきた。
「あのね赤松さん、昨夜女子ばっかり3人で餃子パーティーをしたのよね。」
「・・餃子パーティー?」
女子3人が集まるホームパーティーと「餃子」の組み合わせが楽しそうで、話に引き込まれてしまった。
「みんなでおしゃべりしながら、1つずつ包んでいったりして楽しかったよ。」
「何個くらい用意して食べたの? 」(まあ、多くて、3、40個といったところかな。女の子ばかりだし。と、勝手な想像は続く。)
「う〜ん、100個かな。赤松さん、もう少し身体の位置を前にして。」
自分の足元から目を離さないTさんの言葉と、
「ヒャ、100個?」
と言う自分の声が重なる。
「さすがにそれだけの個数は、作ってもぜんぶ食べることはできなかったでしょう?」
と尋ねると、
「うん。全部は食べられなかったよ。(笑)それでね、次にこういうパーティーをする時は、それぞれがお互いの彼氏とか連れてきたいもんだねーとか、そういう話になった。赤松さん、普段女子会の話とか聞く機会がないだろうから、新鮮でしょう?」
自分の足元が安定してきたのかTさんが顔を上げて笑いながら言った。
「それはまぁ、餃子100個のあたりからかなり新鮮だったけど(笑)でもなぁ…。お互いの彼氏を連れてくると言うのはあまりお勧めしないかなぁ…。」
と自分が答えると、
「おやまあ、それはまたどうして?」
「友達が連れてきた彼氏をさりげなく褒めたりとか、話題に気を配る必要が出てきたりとか、
まぁ色々と面倒臭いもんですよ(笑)」
「なんだか体験したような口ぶりですね。経験あるんですか?」
「それゃまあ、50年ちょい生きてるからねー。」
などと話しているうちに時間は過ぎて、
「はい。15分間終了。よくがんばりましたね。今日の赤松さんは、私とおしゃべりをしながら、15分間ペースを乱さずに歩くことができました。デュアルタスクを達成できましたね。」
「 ・・・デュアルタスク? 何それ?」
間の抜けた返事をした自分に
「おっさん、英語の教師じゃなかったんかい!?」
と、Tさんの激しい突っ込みが、、、というのはもちろん冗談で、帰りの車椅子を押しながら「シングルタスク」「デュアルタスク」「マルチタスク」などについてわかりやすく説明してくれた。なのに自分ときたら、100個の餃子を笑い声を上げながら包んだり焼いたりしている女の子たちの姿がつい頭に浮かんでしまうのだった。「どうにかして、俺も混ぜてもらえる方法は無いものか?」などと、ありえないことを考えてみたり。何やってんだか。

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