闘病記(66)人生の宿題の産物。
このテキストのシリーズ64回「人生の宿題」が、思っていた以上にたくさんの人たちに読んでもらえてとても嬉しかった。
それに気を良くしたわけではないが、今回のテキストにも同じようなタイトルをつけた。いつもと少し趣向を変えて、後半に動画を2つ貼り付けてるので、忙しい方そちらだけでもご覧になっていただけるとうれしい。
あのテキスト「人生の宿題」の中で記した通り、自分はお世話になった理学療法士Tさんから、
「体の痛みは消えないかもしれないけれど、それを忘れてしまえる位に夢中になれることを探すのが赤松さんの人生の宿題じゃないでしょうか。」
という言葉をかけてもらっていた。
発病してから5年が経過しようとしている今、 残念ながら体の痛みが消え去る事はなかった。そればかりか、気温の低い日や雨の日には、手足がちぎれんばかりの強烈なしびれと痛みが同時に襲ってきて、大の大人が(自分のことだが)泣きそうになってしまう。
「人生の宿題」はおろか、「生きること」から逃げ出したくなってしまうことも少なくは無い。そういう時、以前であれば、体を横たえ、嵐が通り過ぎるのをただただ待っていたのだが、最近は這うようにしてPCの前に座り、「人生の宿題」に取り組むことが多くなった。
自分にとって夢中になれる事はすぐに見つかった。音楽だ。曲を作ることが、我を忘れるには最適だった。今回のテキストでは、「宿題」としてコツコツと取り組み、作業中には自分を忘我の彼方へと連れ出してくれる曲作りと、曲に基づいた映像づくりの産物を見ていただこうかと思う。
作曲、編曲をしっかりとされている方や、DTMを極めていらっしゃる方からすると稚拙な作品かもしれないが、ご勘弁をいただきたい。実家の一室で歌も録音したので、2回くらいでとっととOKテイクにした。
なお、ミュージックビデオのアニメーションに関しては、自分に絵心というものが全くないため、AIにプロンプトを理解してもらって少しずつ作成を進めた。
「50歳も過ぎて、こんな曲作るのかね?」
と言われるかもしれないが、この徹頭徹尾格好つけてる感じがいかにも自分だと思う。
楽しんでもらえると良いのですが…。 ではどうぞ。(こちらは、AIが生成した膨大な数のクリップをもとに、自分が編集を行ったものです。)
(こちらは、ただただ美しい映像が流れるとどうかと思いまして、AIにそのような指示を出して、楽曲を学習してもらい、生成した映像です。自分は何も手を加えていません。)
という感じで、人生の宿題に取り組んでいます。