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闘病記(68) いつか全てが思い出になる日。

「ん〜っ。」
「あったま痛え…。」
「あぁ…。 夢か。」
「まじ!?遅刻じゃん!」
「学校(仕事)行きたくねー。」

 「寝起きの第一声」と言うと大げさになってしまうが、目が覚めたときによくありそうな一言を、思いつくままにつらつらと書いてみた。(テレビドラマや映画で聴いたセリフが混ざっているかもしれない。)

 因みに自分の寝起きの一声は、
「今日はどんな素敵な出会いがあるだろう?ワクワクするなぁ。」
「朝の空気って最高だ。肺が洗われるようだなぁ。」
「新しい朝だ‼︎よしっ。」
などだ。
 スッキリと目覚め、ベートーベンの「田園」を程良い音量で聴きながら、熱いコーヒーをすするのが朝のルーティーンになって、もう10年が経つ。

 と言うのは真っ赤な嘘で、どんよりと目覚める。
この数日間は特にひどかった。

ある朝は
「痛ぇなぁー、クソッ。そこそこいい天気なのに。どういうこと?」
と毒づいた。

また、別の朝には、
「雨か。それにしても落ち着きがない天気だな。あー痛ぇ。」
と、いちゃもんのように呟き、舌打ちをしてカーテンを開けた。

 舌打ちしたくもなる。立ち上がり、歩いて窓辺まで移動できない自分は、遊び飽きた子供に捨てられた昆虫のように、ズルズルとゆっくり這って、部屋を横切る。窓辺にたどり着きカーテンを開け放つ頃には、肩で息をしている始末だ。

 空は、「これ、銀色です。」と、ピカピカの金属チューブから絞り出された絵の具に、僅かに群青を差したような色。この2週間ほど、おしなべてそんな色が続いている。「なのに」である。なのに、気象は気まぐれで少々意地悪だ。

 「午前中の暖かさは春の序章に相違ない。」と、いつもより少し薄着でリハビリをし、窓を開けて休んでいると、急に氷雨のような大粒の雨が降り始めて冷たい風が吹く。大慌てで窓を閉める。大慌てとは言え、急ぐことができるのは心だけで、体は床を這って移動するから、窓を閉め終わる頃には部屋の中に冷気が居座ってしまう。

 やけに冷え込んだ朝の寒さが午後まで続くものと思い、首元まであるフリースを着込んだりした日に限って、午前中から暑い位の陽気になる。「北風と太陽」というお話の中で、旅人がマントを脱いでしまう気持ちがよくわかる。ここで着替えをめんどくさがっていると、のぼせてしまう。だが、着替えは結構な大仕事なのだ。自分にとっては。

 三寒四温という言葉の漢数字から、つい安直に期待してしまう、気象のリズムというようなものが全く感じられない。
あーやれやれ。

 気象について、人一倍心が波立つのには理由がある。
季節の移ろいを拾い上げやすい、繊細な感性としなやかな指先を持っているとか、
俳句をたしなんでいるというわけでは無い。
残念ながら。

直結してしまうとでも言おうか。
気象と体調が。

「自然の流れに逆らわずに生きている、ちょっといい感じの人」のような二行を書いてしまった。
またも残念ながら、そんな楽園の住人ではない。
 直結するのは、脳出血の後遺症で感覚が麻痺している、体右側の「痛み」と「痺れ」だ。

 医学的に証明されているわけではないし、記録をとっているわけでもないので、あくまで自分の感覚に基づくのだが、「直結」をパターン別に分けると、次のような感じになる。

パターン①
 雨降り、気温が低い、台風が接近しているなど、「低気圧」のときは、痛みや痺れがひどい。ナイフで手足に深くて長い傷をつけられ、そこにオキシドールを流し込まれるような痛みが、一晩中続くこともある。

パターン②
 パターン①とは反対に、「高気圧」の時は、痛みと痺れはあるものの、生活が随分と楽になる。例えば、麻痺が残っている側の右手で手すりをつかむことができたり、視界の揺れがいつもより少なく、遠くまで景色を見渡すことができたりする。

パターン③
 厄介なのが(パターン① も充分に厄介なのだが)高気圧から低気圧、低気圧から高気圧への「変化のスピード」が早急な場合、そして寒暖差のような「変化の幅」が大きい場合だ。
 急に視界が大きく揺れ始め、右手足の不随意運動(自分が意図してないのに、体の一部分が細かく、また大きく動いてしまうこと。)が始まり、肩甲骨のあたりから右手小指の指先にかけて針を通されるような痛みが走る。時を同じくして、青空がみるみる灰色に変わって雨が降り始める。仕上げに雷が鳴る…。幾度となくそんな経験をした。

 痛むのは手足だけではない。顔もだ。顔の右半分が電極をつけられたようにしびれて、皮膚が波打つ。実際には動いていなくても、あたかも動いているかのように感じ、不快感と恐怖が顔に張り付いて離れない。
 さらに、眼球、口や鼻の中、そして唇の粘膜がヒリヒリと痛む。
顔に豆板醤を塗られたかのような刺激で(もちろん塗られた事は無いが)、ひどいと何も食べられない。口が開かないし、無理矢理口の中に食べ物を入れても、味などわからない。傷口に何かが染み渡るような感覚が口の中いっぱいに広がるだけだ。自分の場合、特に酢の物に注意が必要だった。大好物の「カツオのたたき」を、一時的に食べられなくなったことがある。
 脳出血を患う前、気候の変化により体調を崩すことはあったが、これほどではなかった。

 パターン②のような日々がゆるゆると続けば嬉しい。音楽に例えるならば、カノンやフーガ。登っても下ってもいいから、螺旋階段をゆっくりと進み「あれ?そういえば、今、何階にいるんだっけ?まぁいっか。穏やかだし。」みたいな感じなら最高だ。

 だが、この数週間の空模様は、音楽に例えるならばラプソディーのようだった。
 メロディーやリズムに馴染んだ頃には、新しい展開が進んでいるように、体や心が適応するのを待たずに次々と表情を変えていく空模様に、ついていくことができない。(ラプソディーが、演奏者本位ということでは、もちろん無いんだけれど…。)

 寒暖、気圧、湿度などの日毎の、あるいは一日の朝と夜との差の大きさは、体にダメージを蓄積させる。ゲームのキャラクターが、四方八方から青白く怪しい光に捉えられてしまう、あの感じ。
 ライフポイントはどんどん減っていき、起き上がることが難しくなった。歩行器につかまってトイレに行くこと、夕食を食べることだけはどうにか続けていたが、それ以外の事はほとんどできなかった。
 手足の激痛は、これまでで最もひどく、歩こうとして足の裏を床に接地させると、ふくらはぎと太ももの裏側に電流が走ったような感じがする。同時に痛みの粒子が、肩甲骨から手の小指に向かう。
 右目のまぶたは、意識して開けてないと閉じてしまう。目の周りが突っ張っているような、嫌な感じがとれない。
 視界は、嵐の日にフェリーの2等客室の小窓から見える景色のようだ。
眼振の症状がいつに無くひどい。

 横になり、じっと目を閉じている状態が続く。

 このテキストは、音声入力で書くことができるから、スマホに向かって入力をしているが、遅々として進まない。いつから書いているのかもわからなくなってきた。
 いつもの痛みに加えて、頸椎とみぞおちを圧迫される気持ちの悪さがある。能率が今ひとつなのは、きっとこいつのせいだ。
 はじめて感じる違和感は、恐怖を呼び起こす。

「もしかすると、これは再発の予兆ではないだろうか?」
「再発したら助からないのかな?」
「この違和感、気持ちの悪さが、この先ずっと強くなっていくのか?」
「再発したら、左半身も使えなくなるのだろうか?」

速くなる心拍数。
浅くなる呼吸。
ループする、良くない事のイメージ。

こんな時は、逃げるに限る。

 Bluetoothのヘッドホン、スマホ、
そして頓服薬のトランキライザーが、逃避を手伝ってくれる。
 頓服薬を飲み、ヘッドホンを着けたら、音楽配信サービスからクラシック音楽のプレイリストを探す。自分がクラシック音楽に造詣が深いと言うわけではなく、歌詞がある音楽を避けたいから。
 英語の歌詞だと、ついつい「なんて言ってるんだろう?」と気になって歌に集中するので、逃避できない。ある種の職業病なのかもしれない。(もう、英語教師は辞めているので「職業だった病」というのが正しいのかもしれないが。)
 日本語の歌詞は、言葉たちの意味が、むきだしのままで脳の奥深くに到達するからか、心を揺さぶられすぎて、疲れてしまう。自分も作曲や作詞をするし、感情を叩きつけるような歌を作ってしまったりする。でも作った歌は誰かに聞いてもらいたい。だから、「疲れてしまう。」とか、身勝手な言い分だなぁと思うのだけれど…。

 薬を飲んでクラシック音楽のメロディーに身を包まれ、目を閉じていると深い眠りに落ちる。眠っている時間は約40分位だ。決して長いとは言えないが、目覚めた後、眠気が残るということはなく、視界は、春先の雨が、山々と街並をくすませてい
た黄砂を、すべて洗い流した後のよう。                   わずかではあるが、手足の痛みも軽くなっている。
 何より、「恐怖」と「焦燥」に支配されていた心が、ニュートラルな状態に戻っていることが嬉しい。
長年、パニック障害と共に人生を歩んできた者としては、心拍数と呼吸が落ち着いていて、心の湖面が静かなひと時はとてもありがたい。
 しんどい日々の中で起こる小さな「良い変化」を、できるだけ増幅し、大きなこととして捉えようとする傾向が自分にはある。
 それを差し引いたとしても、「出血して後遺症に悩まされてはいるが、脳はすごい。」と思ってしまう。自分が考えるよりも、はるかに効率的に休息をとり、回復や修復にかかる時間は驚くほど短いのかもしれない。

 「40分間の逃避行」の間には、(といってもここ数日のことなので、それほど回数を重ねたわけでは無いのだが。) 自分でもびっくり仰天するようなことが起こる。起こった。
 夢を見た。
 チョコを食べる夢。板チョコ。            板チョコにしてはやや厚みがあり、アーモンドやナッツ類が、ふんだんにちりばめられていた。かたちは、「何形」と説明すれば良いかわからない歪な形をしていて、その見た目はお世辞にも「美味しそう」とは言えないものだった。「なんだか岩石の標本みたいだ。そういえば、地学を専攻してたな。」と、夢の中で自分はその表と裏を見た。
 繰り返しチョコレートを塗り重ねて、大粒のアーモンドを隠そうとしたらしい箇所をめざとく見つけた。アーモンド好きには容易い事。ましてやそれがチョコレートに浸っているとなると、放っておくわけにはいかない。ロックオン。
 勢いよく板チョコに齧りついた。歯が跳ね返されるような固さと、唇にわずかに残る冷たい感触。そして、
「ピシッ 」
という音。板チョコなのに。
「ピシッ」?

もうひとかじり。
「バキッ」

「何ちゅう食感じゃ!?」

と言う自分の大声で目が覚めた。
スマホをかじったまま。

状況把握するのに数秒かかったが、
「なんと…。ほう。」
と、驚きとも感心ともつかぬ、時代劇の登場人物のような声とセリフを吐いた。目をまん丸にしていたのではないかと思う。
 奥歯をずらしてギシギシと音を立てようとしてみた。歯科医院で噛み合わせのチェックをするように。
そうしないといけないような気がしたからだ。
「ザリリ。ガリリ。」
と言う音とともに、奥歯で何かを細かくすりつぶした。大きく息を吸い込み、唇、歯の裏、舌、歯茎を総動員して、摩擦音や破裂音、歯擦音を連発。初めてアケビを食べた日のことが
頭をよぎった。小3の秋、夏の終わりだったか。
 「音の正体が、アーモンドやナッツの欠片という事は断じてない。夢だったのだ、すべて。ということは…。」少々芝居がかった内なる声を合図に、スマホを調べた。
「痕跡」はほどなく見つかった。スマホケースの背面にある、レンズを保護するカバーの一部が、わずかに欠けていた。
 VRや ARの普及、生成AIの開発など、非現実を現実に引き寄せ、その境界線を薄くする事が出来るテクノロジーが開発され続けている。自分のような素人は、「すごい。」と言いながらついていくのが精一杯だ。
 しかし、「スマホに思わずかじりついてしまった。なぜなら、チョコレートと勘違いしたから。完全に思い込んでいたのです。」と言うほどの、リアリティー(と言っていいのかどうかすらわからないのだが…。)を有するテクノロジーは、まだ開発されていないのではないだろうか。
 やはり、「脳はすごい。」と思ってしまうのだ。

それはそれとして
体を起こさねば。
自分が歩けないこと
うまくバランスが取れないこと
それらを
思い知っておかなければいけない。
可能性を信じて
リハビリを頑張ったり
できることが増えていくことを
心から喜ぶことは大切だ。
しかし
「自分は身体に障がいがある。」
という事実を
片時も忘れない。
忘れるくらい何かに夢中になっても
忘れた事は無い。
この5年間
骨身を削って身に付けた
知恵とでも言おうか。
失望や落胆を
最小限にするための。

また、夜通し雨が降った。
痛みのため、眠りが浅い。
住んでいるあたりに隣接する街で、
懸念されていた水不足は、解消されたに違いない。一安心。だが
眠りたいのに
痛みが眠気を退けてしまう
これはきつい。

 なんだか、右腕(麻痺している側)の長さが、本来の3分の1ほどになったような気がする。腕が急に魚のヒレになった感じ。布団に強く手をついても、手のひらに何の感触も返ってこない。まいった。
こういう時は、
用心しないと怪我をする。
例えば、手すりを掴もうとして
手が震えてうまく掴めず
手の甲を壁にぶつけてしまったり
出血するほど擦ってしまったりするのだが、傷ついていることに
気がつかない。
痛さを感じないからだ。
なってみないとわからない
怖さや辛さがあるのだと思う。
どんな病気にも
どんな障がいにも

 目を閉じて、眠るでもなく横になっていると、ふと昔のことを思い出したりする。
 昔といっても、所謂、社会人になってからの、仕事に関する思い出。
 特定の思い出を「検索」するように、分厚いアルバムのページをめくる感じではない。映像や声が、どういうわけか頭の中を一瞬横切り、遠慮がちに開けた菓子袋の切り口のような記憶の出口から、淡い水彩のホログラムのように思い出が立ち上る。そんな感じだ。
 つい先ほど、音声入力を止めて休んでいた時に思い出した1シーンは、「声」がきっかけのものだった。
 ある中学校の職員室での1コマ。

 その職員室には小さな洗面所があった。小さすぎて、ほとんど誰も使わないということ、必要最小限のものしかついていなくて、なんとなく可愛いこと、の2つの理由から、自分はその洗面所が気にいっていた。
 ある夏の夜、そこで歯磨きをしていた。とにかく疲れ切っていて、少し離れたところにある丸い時計をぼんやり見つめながら、歯ブラシを動かしていた。時計は午後8時少し前を指していて、職員室には全体の三分の一位の人数の教員が残って仕事をしていた。

「今日はこれからなんけん?」

声の主は少しだけ首を左に傾けて、気の毒そうに尋ねてきた。そして、

「さすがに、これだけ毎日のように見てると、歯磨きが出発の準備らしいということはわかってきた。(笑)」

と、いたずらっぽく笑った。

「なんけんのけんの漢字によるかなぁ。(笑)」

うがいを終えた自分が、笑いながら応えると、

「なるほど。(笑)じゃあ、にんべんの
方で。」

右手を握り、開いた左手に軽くぶつける、ややオーバーなジャスチャーと、いたずらっぽさを増した笑顔が、疲れを束の間見えない所に避けてくれたようだった。

「にんべんの方なら、一件やね。ラッキーなことに。」

「そうかぁ。お疲れ様。もう一つの
けんの方は?多いんかい?」

「んにゃ。ニ軒。ごめん。あくび出たわ。(笑)」 

左側の目尻に少しだけ滲み出た涙を人差し指の腹で拭いながら応えた。

「この時間からというのがねぇ…。何とかならんもんかねぇ。」

いたずらっぽい笑顔から、真剣な顔に戻ると、そう言って壁の時計を見上げた。

「それなー。でも仕方がないんよ。おうちの人もお仕事しとるやん?仕事から帰って、ご飯も食べずに、休む間もなく、先生訪ねて来てもなぁ…。良い話ならともかくね。(笑)気の毒やんか?さすがに。
 せめて都合を先方に合わそうかなぁと。あぁ、これ、完全に先輩からの受け売り。(笑)
 まぁ今日中に1段落つけたほうが、明日からみんな学校来やすいやろ。
そろそろいかんとね。」

「火打石打って見送ろうか?(笑)」

「持ってないやろ。火打石。(笑)」

「ばれたか。いってらっしゃい。」

「はいよ。いってきます。」

 明るく軽い調子の声で返事をしたら、夜の帳がすっかり降りて、昼間と全く違う表情の「校区」へ。
そんな長い夜が、たくさんあった。

 「働き、倒れ、休職と復職を繰り返し、周囲に迷惑をかけ倒した挙句に退職。」というのが、教師としての、自分のざっくりとした経歴のようなものになる。50字程で事足りてしまう。だが、倒れてしまうまでの一日一日は、似た時間など1秒もなく、常にスキルと情熱を試される緊張に満ちていた。
 テレビの学園ドラマのように、教師がヒロイックだったりはしないし、あからさまに、ヒールな生徒や大人たちが登場したりはしない。だが、学園ドラマよりも、はるかにドラマチックだった。愉快だったり、腹を立てたり、考えさせられたり…。エピソード満載の日々。戻りたいとは思わないが(笑)懐かしい。いや、今戻ったら、少しマシな教師になれる気はする。が、戻らないな。いや、戻れないか。戻していただけまい。(笑)

 思えば、以前はこんなに穏やかな気持ちで教師だった頃を振り返ることができなかった。
「大切な人たちが写った1枚しかない        写真が、破り裂かれていくのを、ただ見ているしかない。」 
そんな感情がつきまとったものだった。
「あの時もっと自分が冷静でいられたら」「もっと度胸があれば」「もっと努力していれば」「もっとあの人が闘う姿勢を見せてくれていれば」
「もっと、もっと、もっと…。」
自分を責め、誰かを責め、そんな自分に嫌気がさして目を逸らす。そういう振り返り方しか出来なかった。

 脳出血を患い入院後、一進一退を繰り返すリハビリを継続し、後遺症に悩まされながら生きていく中で、
「努力したくても、努力するためのパーツが壊れて機能しないことだってある。」
「1人で歩いてみたくてトライしたが、転倒して頭を打ち、アザもできた。立つことすら怖くなった。」
「闘う姿勢を見せようにも、そんなエネルギーがどこにもない。」  という状況が、我が身に降りかかった。
 「どんな困難も、努力でねじ伏せることができる。それができないのは、努力が足りないから。」
そう断じてきた自分が、今まさに「どうにもならないこと」に直面している。
ピンチ。

 「私は傲慢でした。頑張れば思い通りになると勘違いをし、仕事、人生、自身の心、そして時に人の心をねじ曲げようとしてきたのです。勿論、舐めていた訳では無いんですが。
それらは、あるべき姿でそこにあるものだったのですね。『運命』とでも申しましょうか…。そういえば、ベートーベンの『運命』という曲は、最後まで聴くと新緑の薫る草原を走り抜けるような気持ちになる部分がありました。曲の冒頭『ジャジャジャジャーン』しか知らなかったので驚きました。まぁ『人の運命』が暗いだけなら生きていくのが辛すぎますよね。『宿命』というのは、どうもしっくりこなくて。私、前世とか信じてないもので…。」
と、報告か、謝罪か、言い訳か、はたまた懺悔なのかよくわからないモノローグを、空に向かって呟いたところで、何も変わるまい。
痛みは続くよどこまでも。
線路は続くよ終点までな。
あーやれやれ。

ただ、
休職と復職を繰り返し、多くの人に迷惑をかけたあげくに退職した自分のことを、少し許せるようになったことは嬉しい。
 タイルでできたドミノが、ゆっくりと倒れていくように、あの頃の記憶が思い出に変わる度、ほっとする。
 記憶は自分にとって、データのようなもの。頭の中のサーバールームに整然と並んで再生されるのを待っている。再生するのは、同じ過ちを繰り返したくなかったから。できるだけ。
記憶を辿る事は、集中を要求され、時に自己嫌悪を伴うから疲れる。
 (あくまでも自分の場合だが、)すぐにでも再生する必要がなくなった記憶は、経年と経験の積み重ねによってその鋭角を削られ、明る過ぎる露出や強すぎるコントラストが低めに補正されて、思い出に変わる。
 思い出は、すりガラスの向こうで演じられる、折り紙細工の人形劇みたいだ。ずっと眺めていられる。肺いっぱいに空気を満たして、ゆっくり瞬きをしながら。思い出は、いい。

 いつか、全てが思い出に変わる日がやってくる。数年後かもしれないし、数ヶ月、もしかすると数日後かもしれない。
 心が身体にサヨナラをする時、自分は何と言うだろうか。

「お疲れ様。楽しかった。いろいろあったけど。ありすぎたけど。
 特に50歳過ぎてから、なかなか味わい深かった。ありがとう。
またな。また、会おう。」

とでも言えたらいいんだけど。









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