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闘病記(55) だめじゃん。


 リハビリ病棟にあるモデルルーム、ユニットバスの中で、少なくとも3回は声に出してつぶやいた。

「だめじゃん。」

 前回記した「ぬるっと」に引き続き作業療法士Nさんの入浴のアドバイスは続いており、シャワーの浴び方について説明をしてくれていた。
「ところで赤松さんは椅子にドッシリ派ですか?床に直接ペタっと派ですか?」
「ペタっと派ですね。」(「ぬるっと」と言う表現で妙な免疫がついてしまった自分は、「ペタっと」はもはや普通の言い回しという感じ。)
「よかった。僕もペタっと派なので、話がしやすいです。」
そう言うとNさんはテンポよくレクチャーしてくれた。たとえばお尻の洗い方。
「こうやって、体重を左右にかけながら体を少し傾けて洗います。ただし、左右でバランスは変わってきますから、十分に注意してください。」
と説明しながら実際にやって見せてくれた。
 いよいよ「実習」だ。
 腹を脱ぐところまでは自分でもびっくりするぐらいうまくいった。
「外で待機してますから、何か困ったことや、異常があったら教えてください。」
そう言いながらNさんがドアを閉めると同時に「実習」の開始である。
 まず、麻痺していない方の左手でしっかりとシャワーヘッドを握り、頭からお湯を浴びた。シャワーヘッドを正面に向けてホルダーに固定したことを確認したら、次はシャンプーだ。最初は麻痺していない左手だけでゴシゴシと洗っていたのだが、「誰に見られているわけでもなし。ここはひとつ麻痺した右手も使ってみようではないか。」と思い、右手も使ってみる。するとどうだろう。右手指先には何の感覚もないのだが、右側の頭皮にはわずかながら刺激があった。「両手を使えているぞ!」調子よく(いや、調子をこいてと言った方がよかろう。)グワシグワシ泡立てていると左耳がくすぐったい。しまいには、大量の泡が耳の穴に入り込んできた。
・・・!
正面の鏡を見て驚いた。頭部の右側を洗っていたはずの自分の右腕は、泡とともにするりと、後頭部の方へと滑り落ち、左の耳を洗っているではないか。最初の「だめじゃん。」の瞬間であった。
 その後も、「体の左側を洗うときは、麻痺している右手でシャワータオルをつかみ洗ってみよう。」と試み、「左腕がやけにトゥルントゥルンするなあ。」と確かめてみると、シャワータオルは床に落ちている。「もうかれこれ前から落ちてたんですが、やっと気づいたんですかぁ。」と言う風情がむかついた。「だめじゃん。」2回目。
 さらには、(Nさんにあれほど言われたと言うのに)お尻を洗うときに、麻痺している右側の体にどのくらいの体重を乗せていいものか全くわからず(感じ取れないのだ。)入り口のドアに思いっきり手をついて大きな音をたて、Nさんが慌てて
「大丈夫ですか?」
と、中を確かめてくれた。「だめじゃん。」3回目。
 体を拭き、着替えを済ませて、車椅子に乗る頃にはヘトヘトに疲れきっていた。
「皆さん、家に帰られた当初は『いったい今日1日自分は何をしていたのだろう?』と言う気持ちになられるそうです。ゆっくり休んでくださいね。」
と、Nさんが穏やかに声をかけてくれた。
 大変な入浴実習だったが、「だめじゃん。」と思う事はあっても、落ち込む事は1度もなかった。「いつかはできるようになる。(する。)」「大丈夫だ。死ぬまでにはできるようにしておく。」
 障害者としてでも、健常者としてでもなく、1人の人間として、「図太さ」のようなものを自分は少しずつ身に付け始めていたのかもしれなかった。
 

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