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闘病記(63) 教粗誕生!?

 「涙を流し祈る君に俺は一体何をしてあげられる?そうさ、何もしてあげられない。何も。」
 いやまぁ、ラブソングでも何でもないんだけれども。詳しくは後に譲るとして…。
 リハビリ病院回復期病棟退院まで約1ヵ月を切った頃のことだ。自分を担当してくれる3名の療法士の方々は、さらに(それまでと比べても)「物分かりの良い人たち」になっていた。
 なんというか、自分のことを、「◯び太くんを温かい眼差しで見守る◯ラえもん」みたいだった。
 具体的には、退院を前に「あれもやってみたい。これも試してみたい。」と言う自分の希望をほとんど叶えてくれたのだ。
 例えば、
「家の中(リハビリ病棟の中にあるモデルルーム)はいつも手すりにつかまって歩くじゃないですか。あれですね、短い杖を待って歩いてみることはできませんかね?だって実際にはあんなに手すりつけることなんてできないでしょ。」
と、自分が提案すると、
「いいですね。やってみましょう。」
と、短めの杖をを用意してくれて歩かせてくれた。
 ところが、家の中と言うのは思ったよりもはるかに狭く、置いてあるものも多いため杖をつく場所を探すのが大変だった。この試みに付き合ってくれたのは作業療法士のNさんだったのだが、
「思ったよりもはるかに狭いでしょう?こっちの方が現実的かもしれませんよ。リハビリの諸先輩方からは叱られてしまうと思いますが。(笑)」
と、その辺にあったキャスター付きの丸い椅子に座り台所の縁を器用に手でもってするすると素早く移動して見せてくれた。
「今のは極端な例だとしても、家の中はしっかりとした安全な家具をつたって歩いたり、四つん這いになった方が楽に速く移動できたりする場合が多いんですよね。あ、僕がキャスター付きのもご内密に。(笑)」
「いやいや。その椅子のことをこれからはNチェアーと呼ぶから。(笑)」
「勘弁してくださいよー。赤松さん。」
 この頃には、ジョークを言うのにも阿吽の呼吸というか親密な空気が漂っていて今思い出しても笑みが浮かぶ。
 そんなわけで、つたい歩きの練習が始まった。最初はテーブルから。テーブルがたくさんある場所での練習となった。テーブルがたくさんある場所…。そう、それは食堂。
 病棟の中でいつも食事をしている場所で多くの職員さん達の視線をなんとなく感じながら練習した。正直、恥ずかしい気持ちがあった。
 今にして思えば、職員の皆さんにとっては日常茶飯事の光景であったに違いないのだが。自意識過剰だった自分が恥ずかしくもある。
 テーブルのつたい歩きが終わったら今度は壁全体に手をついて歩く練習を始めた。片手だけをついて歩く時もあれば、両手をほぼ直角に壁に押し付け安全面に考慮しながらカニのように横歩きをする練習もした。
 病棟の病室に面した壁をぐるりと歩いて回るコースを練習していたのでいろいろな人に会ったが、もはや「恥ずかしい。」と言う気持ちは全くなかった。感覚が麻痺した右半身を動かしながらの訓練は相当な疲労を伴っていたし、集中力が切れると転倒につながってしまうので、信じられない位の汗をかきながら真剣に取り組んだ。
 汗びっしょりになって横歩きをしていると、病室から車椅子に乗ったおばあちゃんが出てきた。視界の隅でおばあちゃんを捉えつつ前進を続ける。
おばあちゃんは、全く動かない。
通行の邪魔になってるのかもしれない、と思ったので
「ごめんね。このままじっとしているのでどうぞどうぞ進んでください。」
と大声で言ってその場に止まった。でもおばあちゃんは動かない。膠着状態を続けるわけにもいかないのでおばあちゃんの方を見ると、涙を流していた。さらに驚いたことに、自分の方を向いて、手を合わせて拝み始めた。(ここで文頭に戻る👆)
 おばあちゃんの心中やいかに。
「まだこんなに若いのに、かわいそうに。(リハビリ病棟で50歳と言えば若造)頑張りなさいよ。」「若いのにこんな苦労をして。どうか神様仏様のご加護がありますように。」などと考えていたのかもしれない。
 もしくは、可能性はものすごく低いが、「こんなに大変な体になってると言うのに、この人は一生懸命歩く練習をしている。しかもよく見たらイケメンじゃないの。いいものを見たわ。ありがたやー。」と考えていたと言うこともなくは無い。
 そんなおばあちゃんに自分がかけた言葉と言うのが、
「通り道を塞いでごめんね。僕、来週、この種目の大会に出るんだよ。400メートルの部!応援してね!」
 おばあちゃん、涙がピタッと止まって、目をまん丸に見開いていたなぁ。

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