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他者と自分との 境界が溶け、 ヴィジョンが混ざる

TEXT,PHOTO by MOMOKA YAMAGUCHI
Freepaper STAR*17「VISION」掲載

だれひとり
取り残さない
世界とは
どんな世界か?

 SFは未来の話のようでいて今の話をしている。
「これは別世界の話だ」と思っていても、その社会を作った人間の本質は現代人のそれと大して変わらない。SF作家たちは、過去そして今を観察したうえで、未来を想像するからだ。
 ビジョンと言われた時、私は「人類がみな幸せになるためにはかくあるべき」と主張する声たちと、それに疑問を持つ声たちが入り混じるこの世界のことを考えていた。「だれひとり取り残さない世界」とはどういったことを表すのか。理想を求め衝突してきた人類はどこに着地するのだろうか。SFは常に私たちへ問いを投げかけ、私たちは未来の海へ身を投げる。

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「すばらしい新世界」オルダス・レナード・ハクスリー
「Brave New World」 Aldous Leonard Huxley

 2049年に起きた九年戦争と世界規模の経済破綻が起きた。これをきっかけに世界は、人間が60歳を迎えるまで老いを忘れ健康で幸せな生活+大量消費の文明社会を築いていった。誰もが幸福な社会で一人馴染めないバーナードはある日、文明社会の外側にある「保護区」で野人と出会う。そして物語の後半になるほど文明社会の狂気が見え始める。
 文明社会は、「自由」を捨てることで「幸福」を得た。この世界の子供は瓶から生まれる。受精卵の段階で階級付けされ、将来就く環境に適した体質へと作られ、出瓶後は睡眠学習で精神も作られる。働く環境に対して適した人間を最初から作れば、環境と自分の間のギャップも不満もなくなり幸福になれるということだ。
 個人の自由を無くし、ソーマ(うつをなくす薬)、原始的な快楽によって成り立つ文明社会の「幸福」に対して、野人のいる「保護区」は神を信仰するインディアンのいる場所。快楽に流されず勇敢で苦難に耐える生き方が崇高なものとされている。野人は苦難の道だとしても「自由」を求める。
 幸福とは安定を表す。自由には不安定さが生まれる。安定と自由は両立出来ない。だけど自由を捨てた幸福な社会の中でもバーナードのように社会へ馴染めない人間は一定数生まれ、野人保護区や文明社会に適応できなかった人が暮らす「アイスランド」のようなものはどのSF作品にもある。
 完全な幸福とは一体何なのだろうか。誰ひとり取り残さない世界とはどんな世界か。まだSFでも描かれたことのない未来を想像してみるのもわるくない。

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「ハーモニー」伊藤 計劃
「harmony」 Ito Keikaku

「ついに、わたしたちはここまで来た」
「ここまでって」
「『すばらしき新世界』」ー伊藤計劃 著「ハーモニー」 p.337より

 幸福と思いやりで満たされる社会。他者と自己の境界がぼやけいく世界で3人の少女はどのように生きるのか。
 大災禍で人口が大幅に減少、社会は資本主義的消費社会から生命至上主義的医療福祉社会へ移行する。「継続」が社会の善であり、人々は互いを「社会の貴重なリソース」として思いやり、見せかけの優しさや倫理に満たされた社会ができていった。
 この物語では意識と自由意志の存在について疑問を投げかける。
 すばらしい新世界との違いは、洗脳ではなく人びとの空気感によって調和された社会ができたことだ。しかし、医療の進歩で死者は減っても自殺者は減らなかった。彼らは、真綿で喉を締めるような社会に居場所を見いだせず、その世界で生きていくのをやめた。「この体はあなたたちのものではない。私のものだ」というメッセージを残して。
 主人公の一人ミァハは、自殺の原因は健康な社会を維持するために監視されながらも自分で自由意志を抑えなければならない仕組みの矛盾からきていると話す。意識が進化の過程で偶然 生まれたものなら、今こそ進化のために捨てるべきだ、と。
 大きな災厄のあとには人間はひとつになろうとする傾向がある。もしかするとチューニングはすでに始まっているのかもしれない。


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