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友達ってなに?親友ってなに?(第4回くらがくに行ってみた)

Text by Momoka Yamaguchi

みなさんは「友達や親友とは何か」について考えたことはありますか?

私は親しい人に対して、「あなた私の友達だよね?」とか、
「そろそろ親友にならない?」と 確認する/確認される 機会は滅多にないですが、接し方や距離感について悩むことはしょっちゅうあります。

今回のくらがくでは「親友と友達の違い」をテーマに、くらがくのメンバーである古賀樹里(こが じゅり)さんが講師となり、「親友」と「友達」の言葉の意味を学んだ後、古賀さんや参加者それぞれが思う「親友」と「友達」の定義について話し合っていきました。

↓実際にどんなお話をしたのか、くらがくさんがこちらで紹介してます!

「くらがく」てなに?
任意団体「くらがく」は、2021年4月に誕生した団体です。様々な立場、価値観をもつ人たちが集まり学び合える場所をつくることで、互いの立場や状態を認め合える社会をめざしています。

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「友達」と「親友」の微妙なニュアンスの差

古賀さんはまず「友達」と「親友」という言葉について意味に違いがあるのか調べてみたそうですが、大きな違いはみられなかったそうです。

私も興味があって調べてみたのですが、このような結果でした。

「親友」
互いに心を許し合っている友 / 特に親しい友(goo国語辞書)
小さいときは常に行動を共にし、長じては何事も打ち明けられる人(新明解国語辞典)
「心友」
心から信じ合っている友(goo国語辞書)(新明解国語辞典)
「友達」
互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。(goo国語辞書)
一緒に何かをしたり遊んだりして気持ちの通い合っている友(新明解国語辞典)

共通点としては「互いに心を許し合っている」こと。
少しだけ違うことは「何事も」「特に親しい」という部分ですが、具体的な例は書かれていませんでした。

自分なりの「友達」「親友」の定義について考える

次に講師である古賀さん含め、参加者全員が自分なりの「友達」「親友」の定義について意見を出し合いました。

結果このような意見がありました。

・一緒に過ごす時間の長さ(または一緒に体験したイベントの数の多さ)
・どんな状況でも助けてくれる/助けたいと思う損得を越えた関係
・力や立場の上下がない対等な関係
・授業中だとしても連絡を早く返したくなる人

・どんなことがあっても裏切らない人

心理学でも顔を見た回数が多い人の方が好感度が高くなるといいますし、共に過ごした体験が強烈であるほど関係性は強固なものになっていきます。

一方で私は、「親友かどうか」「友達かどうか」は、「自分が親友と思う」という主観でしか話せず、自分と相手の思う「友達の基準」が違うこともあるのではないかと考えていました。

そして、その葛藤する自分を説得できるような「これが友達/親友の定義だ」と言える言葉はあるのだろうかとこのワークショップの当日まで悩み続けていました(笑)

なぜなら子供の頃から今に至るまで、「本当にこれが友達なのか?」と考える経験が何度かあったからです。

友達の定義を作ったことで、
友達を失ったこども時代

昔の私は、人に思い入れをしやすく、友達は絶対にうらぎらないと思っていました。

小学校から中学校までずっと続いていた友達(以下、Aと呼ぶ)がいました。学校ではいつも一緒に動き、休みの日はよく遊んでいました。
互いの悩みを打ち明けたりもできる仲でした。

中学時代のある日から、私はクラスでイジメのようなものを受けました。(原因は、意思疎通が上手くできずに、互いの正しさがぶつかった結果、という感じでした。在校中に話し合うことができ、和解しました。)

それでも、Aは私と一緒にいてくれたのですが、彼女はイジメグループと同じ部活にいたというのもあって、私と話していた内容を相手側に伝えて一緒に陰口を言っていたのです。

当時の私は、彼女がなぜそんなことをするのか理解できず、裏切られたという思いだけが溜まっていきました。グループへ報告しながらも、私の前では友達のままでいつづける彼女に私は耐えきれませんでした。

ですが、今彼女の立場になって考えてみると、イジメグループと同じ部活に所属し、私と仲が良いところを知られている彼女は、もしかしたら板挟みになっていたかもしれません。

私から見れば裏切りだと思っていた行動も彼女にとっては自分の立ち位置を守るために仕方なかった行動だったのかも、と思うようになると、モヤモヤも収まっていき、逆に「Aは私の味方なのだ」と絶対的な信頼をおいて依存してしまう私がいけないのではないか、と思うようになりました。

そしてあれこれと考えた結果、この世の中に絶対的なものは存在しない、なので思い入れ過ぎない方が良い、という結論になりました。

勝手に思い入れて、勝手に怒ってというのは相手にとっても自分にとっても健全ではないと思ったからです。

それよりは、なるたけラフにフラットに生きて、離れていけばそれはそれで構わないし、それでも続いていく関係が結果として世で言う「友達」になるのかな、と考えるようになっていきました。

親友とは、許しの先にある関係なのかもしれない

では、親友とはどんな感じだろうか?と考えた時、真っ先に顔が浮かんだのは大学時代からの友達(以下、B と呼ぶ)でした。Bは大学1年生の頃からほとんどの授業を一緒に過ごしていて、卒業研究も一緒に取り組みました。

ですが、ずっと仲が良かったわけではありませんでした。特に、卒業研究の進み具合が悪かったときはピリピリとした緊張感が漂っていました。

Bは誰とでも良好な関係を築ける性格で、あまり自分の意見をだす性格ではなかったので、私が「こうしたい」と言ったことには大体反対することも無く一緒にやってくれました。ですが、そのうち「私がBのことを振り回しているだけではないのだろうか。」と不安になってきました。

ある時までは「それは自分の中の問題であってBに言うことではない」と思っていたのですが、段々自分だけで抱えきれなくなり、このまま卒業研究を一緒にやるのは難しいと思った私は思い切ってBに自分の考えていることを言いました。正直、自分の考えていることがネガティブ過ぎて、言うと関係が破綻するかもな、という心配もありました。

ですが、昔学校で読んだ小説で自分の本心を言わずに不信感が互いにつのって破滅したという話を思い出して、言わないで終わるよりは言って終わればまだ後悔は少ないだろう、という気持ちでした。

本心を打ち明けた結果は、想像していた以上にあっさりとしたものでした。
Bは私の話を聞いた後、「本心をきけて安心した」と言いました。その後、Bの考えていたことや抱えていた悩みについて話してくれました。私が思っていたようなことをBは考えていなかったし、Bが考えていたことを私は気にしたこともなかったので、それまでの緊張感はなんだったのだろうねと笑っていました。

もしかしたら心の底ではBは違うことを考えていたのではないか。そういうことを思う人もいるかもしれません。
ですが、その時Bが笑ってくれたという事実が私にとっては許しであり、救いでした。

今では、互いに違う道を歩いていますし、大学の頃のように毎日会うことはありませんが、自分の弱い部分をためらわずに晒せるのは彼女くらいだな、ということで「親友」だと思っています。

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