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日本の歴史の背景part2(古墳時代 飛鳥時代前半)歴史初心者向け

これから書く内容は前回の日本の歴史の背景part1の続きですので、「まだ見てないよ!」という方は先に見ることをお勧めします。

では続きから行きます!

大和政権

邪馬台国に気を取られる中、

めちゃくちゃ古墳が増えてきた!

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これは何を意味しているのかと言うと、

恐らく、強大な力を持った権力者がどんどん日本中に増えてきた、つまり!

一つの巨大な勢力が日本を統一した大和政権

と呼ばれるものが出来たのではないでしょうか!?

そう考えました。

邪馬台国がそのまま大和政権になったのか?邪馬台国を滅ぼしたのが大和政権なのか?

それについては記録がないためただの憶測でしかないので、非常に謎に包まれた時代であった。

ここまで、少しまとめると

弥生時代からの小国乱立から、地方の有力者たちが少しずつ台頭してきて、貧富の差や力の差が出てきた中で大和政権というものが生まれた。

これは、一つの巨大な王にひざまずいているような感じではない!

ドラゴンボールで言うと、フリーザ王に跪いているベジータではないというのと似てますね!

話を戻すとつまり、有力者が集まった連合だったのです。

その有力者の中でのひときわ強かったのが

蘇我氏です!


蘇我氏VS物部(もののべ)氏

地方の有力者の中で連合軍内でひときわ強かったのが蘇我氏!

そして、そのライバル的存在が物部氏です!

この蘇我氏と物部氏の対立とは何か?それが

仏教を取り入れるorいれない

仏教を取り入れるということは、大陸からの新しい考え方取り入れるということです。

大陸は常に日本の一歩先を行っている、先進国が仏教が盛んになってきた。

仏教を中心とした国を作ると、トップを中心とした国になる!

しかし、物部氏は仏教を取り入れることに対して、嫌悪感を持っていて、嫌がりました。俺たちのオリジナルで行きましょう!

一方で蘇我氏は、新しい考えを取り入れるべきだ!

という真逆の意見があった。

ここで見事勝ったのが

蘇我氏です!蘇我馬子です!

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蘇我氏が仏教取り入れるでー!

となり、蘇我馬子は自分の関係が深い姪の推古天皇を天皇にし、その前の天皇を暗殺した。

ここで出てくるのが皆さんご存じの

聖徳太子です!

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17条の憲法だとか、10人の声を同時に聞ける説とか、お札になったあの伝説のお方です!

しかし、彼はいろいろ諸説があり、

この時代、飛鳥時代の主役は蘇我馬子です!

全て裏で操っているのです!

天皇である推古天皇を側近にして厩戸王もたててと!

そして、厩戸王が死んだ後、どんどん蘇我馬子が権力を握りだす!

この時代は、内部闘争、天皇と側近、貴族と仏教

の三つが大事になっていて、

それが古代を知る上でのキーワードになる!

常にこの三つのことに関係し争っています。

新世代!?

ここで、その天狗になっている蘇我馬子を滅ぼしたのが

中大兄皇子です!

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中臣鎌足とコンビでおなじみの大化の改新で有名な方ですね!

これは実は大事件です

中大兄皇子は後に天智天皇になる!

天智天皇はガラッと組みを変えた人です!

蘇我馬子がしていた、天皇を側近に置く政治から天皇政治に戻したのです!

大化の改新の「大化」

は日本初の元号です!

これは何を意味して言うのかと言うと、中国との関係を意味します!

その当時の中国は、周りの国をどんどん自分たちの国の属国にしてきて、且つ中国には日本より早い段階で元号があった。

これには凄い意味があります!

時の権力者と言うのは、元号を決める!暦を決めるということは、

どこにトップがあるのかということが分かる、

時の支配者ということなのです!

それを中国は、属国に対し、「自分たちの元号を使わないとどうなるかわからないよ」という風にしていた。

それを中大兄皇子、天智天皇は、自国でしたということは!

俺はこの国でやっていきます!

ということなのです!

長くなったので今日はここまでにします。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

続編













































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