陰陽ってそういう意味だったのかと驚いた話~統合とか、分離とか
私が卍易風水師として勉強を始めた頃に、
うわぁ!なるほど、そういうことだったんか!
と驚き感動した陰陽のお話を、今日はシェアしたいと思います。
”陰陽”と聞くと、
【この世界の全ての万物が、陰陽どちらかに属している】
という漠然とした感覚やイメージを持ってたのですが、皆さんどうですか??私はそうでした(笑)
中医学だと食材でも陰陽は分かれているし、ポジティブな感情・ネガティブな感情とも表現されているからこそ、いくら太極図を見ていようとも、陰と陽は分かつものだと無意識に思っていた部分があったのです。
だけどね、全っ然違った。結論からお伝えすると、
陰陽とは、物事を敢えて2つに分けて考える見方
でしかないんです。
例えば・・・
生花 と ドライフラワー を比べて
どっちが陽で、どっちが陰ですか?
たぶん、生花=陽、ドライフラワー=陰みたいな
そんな回答が多いですよね。
じゃあ、
生花 と ハーバリウム を比べて
どっちが陽で、どっちが陰ですか?
もういっちょ、
1輪のガーベラ と 100本のバラの花束 を比べて
どっちが陽で、どっちが陰ですか?
さらにもういっちょ、
物腰柔らかい穏やかな男性 と 男勝りでパワフルな女性
どっちが陽で、どっちが陰ですか?
・・・はい、どんどん難しくなりますね(笑)
ここで言いたいのは、
何と何を比べるかによって、陰陽は簡単に変わるということ。
もっと抽象度を上げれば、
何かと何かを「比べよう」「観察しよう」とする大いなる意識があってこそ初めて、”陰陽”という物の見方が誕生するということ。
つまり、
陰陽とは、何かと何かを分けて考える物の見方でしかない
ここで、スピリチュアル界隈で言われる統合・分離みたいな概念の話に移ると
太極図が示すように、万物のあらゆるものには既に陰陽両方の要素を持っています。離れることはない。
だけど、敢えて2つに分けて考えるという物の見方を人間がすることによって、陽と見る物の中にも陰はあり、陰と見る物の中にも陽はあると捉えられる。
その地点に立ってみると、
統合されてないものなんて、なくね?
と思うんですよ。
私ね「分離と統合」というワードを見る度に「自分の中にはまだ統合できていない部分がある、そこは正さなきゃ・変えなきゃならん」みたいな不足感の前提意識を感じるので、あまり好きじゃない。
実際こうやって陰陽の本来の意味を辿れば、分離してるものなんてない(というか、分離にしてると勝手に自分が知覚しているだけ)という事実に気付くことができるしね。
そう思うと安心しません??
私たちがネガティブだぁぁって飲み込まれるものの中にも、見方を変えればそうじゃない部分があるってことだから。
(ただ、俯瞰する前に感情をキチンと味わうのは、肉体を持った人間として生きるのに死ぬほど大事だと思うので口酸っぱく書いておく)
今自分が感じていること、思っていることは、一つの捉え方でしかないんだなって思うから。
どんなに歪んでいると思っても、偏っているなぁと思っても、
すでに私たちは調和、統合された世界の中にいる。
自分が知覚していないだけで、どうやらバランスは取られているらしい。
その事実に気付くことこそが、陰陽を内包すること(統合と呼んでいる正体)なのかもしれないね。
ま、こんなこと書いてるけど、これめっっちゃ難しいですわ(笑)
私も一つの側面に気を取られ過ぎて、分からん!!ってなることばかりw
でも、この地点に立って物事を見る、自分を見ると、考え方はかなり変わるよ!というお話でした。
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