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受け取り下手は卒業できる

「受け取り下手」って言葉、あるじゃないですか。
控えめで遠慮してて慎ましやか……みたいなイメージを勝手に抱いていたんですが、東洋思想や自律神経系の理論を学んだらそのイメージが覆った話です。

受け取り下手、受け取ることが苦手って言う人は(←過去の私も含む)

謙虚さが不足してる


・・・え、私、謙虚な方ですけど?って思いましたよ、えぇ。けど、全然違った(笑)

謙虚さの本当の意味って、遠慮することじゃなく
【良い・悪い、好き・嫌い、
そういう個人的な価値判断を脇に置いて
一旦すべてを聞き入れること】
なんです。

例えば、自分の性質や才能を誰かに褒めてもらった時に「そんなことないですぅ~」って言うのは、謙虚さではない。
他人の言葉を認めて受け取るどころか、真っ向から否定してるしね。

日本ではそういう偽の謙虚さの方が美徳とされる節があるけど、普通に考えて褒めてるのに拒否されるの、結構凹みません?
それに「そんなことないですぅ」って言いながらも本心ではフフンって鼻鳴らしてる人は雰囲気に出るから、本音と乖離してる気持ち悪さを感じますね、私は。はよ清々しく認めてくれ~って思う(笑)


だから、受け取り下手・受け取り拒否ってのは、あるがままの事実を全く見ていないってこと。(東洋思想の五行論で言えば、水が働いていない状態)

・・・と、かく言う私も、全っ然見てなかったのです。

自分に欠けてるものばっかり目について、これが問題だ、あれがダメだ、とかすぐ探し始めて、自分を責めていた。これは、長年染み付いた思考癖。

やはり、家庭環境が影響しますね。だって、全てをそのまんま受け取っていたら生きていけないほど辛かった人もいるはず。

子どもって潜在意識の塊だから、親の状態やほんのかすかな家庭に漂う雰囲気も全部丸飲みする。子どもの時に辛さを真正面から対峙することはできないし、当然やらなくていいこと。
そんな状況を回避するために「私がダメなんだ」ってダメなところ探しすることで理性を保ったり、逆にエセポジティブでどうにかこうにか元気でいようとする健気な努力によって、認知の歪みが生じる。

これは生存戦略なので悪いことじゃないし、大人になって引きずってることが恥ずかしいことでもないです。自分の行動や思考の癖を内省しないと、気付けないことだから。


私が、素敵だなと感じて尊敬してる人を観察して見つけた共通点は、たとえ過酷な家庭環境に育ったとしても、豊かさを見つけるのがすごく上手です。本っ当に上手。

自分の身の回りをちゃーんと丁寧に見ている。何があり、何を手にし、何に支えられ、何から愛を感じるのか。
そういった部分へ冷静に目を向けることの積み重ねで、受け取り上手になっているんだなという印象なんですよね。だから、後天的に身に着けられる、磨いて行けるスキルなのだと思う。これはものすごく希望!

「自分が感謝していることをノート書く」とかよくあるけど、この考え方が土台にあるし、身体も自分の心地良い感覚にフォーカスすることで自律神経の働きに調和を取り戻せる。

私もココを意識し始めてから、自分は本当に色んなものに支えられて生きてる!すごいな!って、心が温かくなる瞬間がすごく増えました。格段に。

このほんわりあたたかい身体感覚はすごくすごく大事なんですよね。身体が緩んで呼吸も深くなるから、絶対健康にも良いと思う!笑

というわけで、
ここに気が付けば「受け取り下手だわぁ私」なんて、自分を下げなくていい。
身の回りの豊かさに目を向け、その時の身体の良い感覚も同時に味わっていけば、心身共にすこやかでいられる。一石二鳥、いや三鳥レベルですわ。

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