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何事も基礎が一番難しくて一番大事、だから何度も立ち返る

卍易風水の学びも大詰めに差し掛かり、結構な量の知識をインプットして実践問題もやって…の繰り返しで復習しているのですが。

もう分かってると思っていたことでも、見直してみると新たな発見や気付きがどんどん出てきて、「うっかりコレ見落としてたな…」とか「こういう風に捉えて、コレとコレがこう関わっていたのか…」とか、理解が深まったり。

今まではカオスだった点と点がようやく繋がって行く感覚があるんですね。


そういや私、大学受験生向けの指導をしていた時にも口酸っぱく言っていたのですよ。

周囲が続々と赤本や応用問題に手を付け始めていた時、とある生徒さんが焦って「俺も赤本やりたい、遅れちゃう」って言いだして。(気持ちはめちゃくちゃ分かるんだけどね…)

でもその時「まだ待って!今は基礎!もうひと踏ん張りしよう、そうすれば絶っ対に伸びるから信じて」って、基礎固めの鬼コーチと化していましたw

基本的に「こうしろ」っていう押しつけ的な指導はしなかったし、”志望校も勉強のやり方も本人の意志で決める”がポリシーだった。でもこの時だけは受験本番まで時間が迫っていて、合格を最優先に考えたので辛抱強く説得。

なぜなら、赤本やっても応用問題解いても、結局何で躓くかと言えば基礎だからです。マジで。

実際の受験でもそう。1点、2点の差で合否を分けるのは、実は難しい問題ではない。
難しい問題は”みんなにとって”難しいから、差が付きません。
私は自分の受験で、その恩恵をモロに受けたことがあります(笑)

結局その生徒さんは、自分を信じて基礎をしっかり固めに固めてから応用も解き始めた。
その結果、受験本番と成績がグっと伸びる時期と重なったおかげで、無理だと思われた第一志望に受かって行きました。
(もちろん基礎だけでなく、その子の意志の強さと要領の良さ、決めたことへのコミット力は本当に素晴らしかった!!!)

分かりやすい受験のエピソードを振り返ったけど、他のことも一緒だなぁとつくづく感じます。

卍易だと、読み解くのが難しい部分に気を取られていたら、基礎的な部分の読み取りを素通りしてしまい、とても大事な情報を読み飛ばすことになる。

内観だと、こうかなああかなと枝葉を広げることに夢中になりすぎて、一番の基礎である「まず、私がどう考えどう感じているのか」という部分を華麗にすっ飛ばす。
自分のことを観ているようで、全く観ていないというね。コレ、本当にあるある。

私がセラピーを受けている体験談で言えば、神経系の基礎(土台)である安心・安全が感じられた瞬間に、ふわっと今まで蓋していた感情が解き放たれる。その感動たるや、凄かったなぁ。
派手なことは一切してないのに、スーっとラクになる。いかに基礎が大事かを、ここでも思い知りました。

という訳で、あらゆる方向を見ても、やはり基礎が大事。

応用ができる人は、基礎という土台が積み上がった上にいる。
その土台を観ずに、表層や目に見える部分だけ真似しても、何も積み上がらないんだよね。

「基礎が大事」って話はめっちゃくちゃ地味だし、こういうこと書いても反応薄いのは重々承知だし、やらない人がほとんどなのも分かってるけど(笑)やっぱり大事なんです。

粛々と続けよう。それが一番の近道なのだから!

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