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人を愛することの難しさ

最近、Twitterで知り合った人の恋愛話を深く聞くことが多いのだが
本当に恋愛というものだけは答えがなくて大変なものだと思う。
こればっかりは本当に当てはまる公式なんてものはひとつもない(と私は思っていて)し、男性論や女性論なんてものも、正直あんまり意味ないと思っている。でも、無駄だとわかっていても、ヤフー知恵袋で似た形の先行事例を探してしまう。
恋愛には人を藁をもすがる思いにさせることが多すぎる。

恋と友情の板挟みになる人や、遠距離の壁を超えるほどそもそも仲を深める猶予すらなかった人、上司にせかされるまま結婚してしまい不倫している人、大好きな人と結婚しても物足りなさを感じてる人、他人の話は冷静に聞けるのに自分の恋愛にはいやに盲目的で臆病な人、スパダリがいたってネットで知り合って国を超えて恋に落ちちゃう人、本当に言いたいことを言えなかったまま別れてしまって後悔している人。

ほんっとうにいろんな恋と愛のカタチがこの世には入り乱れているし、日々日常のそこかしこに落ちていて。
結婚したからといっても、社会に生きる私たちは、そこから完全に自身を切り離せるわけではない。

自分のもっているものがどれだけ確かな愛なのかは、実のところ抗いがたい欲望が目の前に現れないと、なかなか気づけないものなのかもしれない。
目の前に現れて、抵抗してみて、落ちてみて、やっと気づくもの。
人はやっぱり愚かでなくてはいけないときがある。恋愛においては特に。
この愚かさを拒んでいると、いつまでも真の恋愛にはたどり着けないのだ。

他人と他人が自身を見せ合い認め合うのだから、確かにそれはある人にとっては耐え難いもので、難しいことなのだと思う。
人に誇れる人生を送ってきていない、という自負があれば、なおさら恐怖だろう。
それでも人は見せ合って許しあって拒絶しあって生きていく。
でも結局、自分も含めて、何かが認められても、また別の部分は認められない。そういうのも全部乗り越えるか、目をつぶるか。
この作業のなかでは、「自分が大切にしている価値観」をまずはっきりさせておかないと、とんでもない誤りを犯すことになる。
ましてや恋していると人は真実がわからなくなるものだから。恋は怖い。

とにかく、恋愛中のふたりは、そういう作業を繰り返していく。
これがいわゆる「価値観」の合う合わない、っていう話なんだと思う。
しかも一度合わせても、ライフステージの変化とともに、合わなくなっていくこともある。厄介なことに人間は変わっていく生き物なので、そういう点では私は結婚ってもっとフランクなものであっていいと思う。
でも結婚にとって厄介なのは、衣食住と切り離せないものであるという事実。ここが現代社会ではなんとも矛盾を生んで難しい。
人間の理性と本能。私はまだまだ、本能が強そうだ。

「真実の愛のキス」の歌が好きだ。
キスでわかる真実の愛があれば人は間違えないのかな。考えることが多すぎて、自分のことさえわからない私たちにとっては、かなり甘美な響きだ。
でも、ジゼルは一度間違えて、勇気をだして、また見つけた。
「幸せ」は相対的なもので、絶対的なものではないという人もいるくらいだ。なにかと比べてしまうのは仕方ないし、比べたうえで選ばれるものは確実だ。でも、その先にある「絶対的」を信じたいじゃないか。
恋が絶対的な愛に変わることがあると信じたくて、信じてやってきて、たどり着いて、まだ傷ついて……。
その先にあるものってなんだろう。

恋の終わりについて考えてみる。
浮気されたとき?
会えなくなったとき?
連絡が途絶えたとき?
好きって感じなくなったとき?
私の場合は、相手の幸せを心から願えない自分が嫌になったとき。
今までは、相手からどんなにひどいことをされて、心が傷ついたり、不安になったって、「好きでいるほうが、諦めるより辛い」と感じたら、それが終わるときなんだと思っていました。
でも相手の幸せより不幸を本気で願う自分、相手の幸せを自分のことのように喜んであげられない自分が本当に嫌だと思ったら。
どんなに一緒にいるときが楽しくて、離れがたくて泣いちゃったり、いつでも連絡を待ってしまっても。
他人の不幸を願う、それも自分のことを好きでいてくれる人の不幸を願う人間になんて、なりたくなかった。
今回は、そう思いました。

やっぱり、恋愛には二度同じ方程式は使えません。
いつもフラれてばかりの私です。
それに今はまだ、心から思えないけど、口にすることで、本当になることもたくさんあるし、言霊も信じているから。
せめて、言いたいです。私のことはさっぱり忘れて、幸せになってね。
たくさんの素敵な時間をありがとう。

追記:
いつまでも想い続けることだけが、想いの重さの証明ではない。
その時一瞬一瞬の輝きは、その時にしか掴めなかったもの。
その時確かにしっかりと掴んでいたのなら、それはきっとその時に証明されたもの。
人生のこの先のどこかの駅で出会える日がくるのなら。
思い出を全部無理に忘れてしまうこともないし
ただポケットの奥の方にしまっておいて、
いつかまたもし会える日が来るなら、その日までを今はめいっぱい楽しんで、日々成長している自分でありますように。そう願います。

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