「夢」⑬ ~「夢」を持ったから、「迷惑」をかける生き方になるのではない。 「夢」を捨てたから、「迷惑」をかけない生き方になるのでもない~
「夢」を持つことは良い事だと
語る人や本は多いが、
本当に「夢」を持つことは良い事なのか。
儚い夢、叶わない夢だってあるんじゃないか。
思い通りにならないのが人生。
我慢しないと生きていけないのが人生。
夢ばっかり見てないで、現実を見ろ。
そうした思いを
「夢」という言葉にぶつけたくなる人も少なくないです。
そこで、
「夢」を持つことは、
良い事なのか、悪い事なのか。
これについて、続けて考察しています。
前回は、
「夢」を持つことは良い事だと思って一歩踏み出す上で、
足枷になりやすい言葉、
「迷惑」について触れました。
「他人に『迷惑』をかけないようにしなさい」。
そう親や学校の先生から言われて育ったものの、
「他人に『迷惑』をかけない人はいるのか」。
そんな完璧超人、パーフェクトな人間が、
存在するはずがない。
なぜできない事を、やれと言われたのか。
「他人に『迷惑』をかけないようにしなさい」。
この教訓は、無意味なのか。ムダなのか。
ここまで書かせて頂きました。
他人に「迷惑」をかけない人は存在しません。
「迷惑」をかけていないつもりになっている人がいるだけです。
しかし、だからと言って。
どうせ「迷惑」をかけているんだから。
「迷惑」がゼロになる事はないだから。
もっと意図的に「迷惑」をかけよう。
たくさん「迷惑」をかけても、問題ない。
そうは思わないでしょう。
なぜなら、何も考えずに「迷惑」をかけたらどうなるか。
苦しみます。不幸になります。
それが嫌だから、「迷惑」をかけないように心がけます。
意図的に「迷惑」をかけたり、
たくさん「迷惑」をかければ、
自分で自分の首を絞めることになります。
しかし、
「他人に『迷惑』をかけない人」が
存在しないのも、事実です。
では、なぜ、
「他人に『迷惑』をかけないようにしなさい」
という教訓があるのか。
それは、
我が見知らずは、幸せになれないという事ではないでしょうか。
「汝自身を知れ」という有名な言葉もあります。
自分には何が合い、何が合わないのか。
自分には何が「できる」のか。
自分には何が「できない」のか。
それを知る努力なしには、幸せにはなれません。
他人に何かプレセントをしようと思えば、
他人の好みを調べた上でプレゼントを考えるように、
自分の好みを知らずして、
自分に何をプレゼントすれば幸せになるかなど、
分かりようがありません。
あなた自身が、どんな人間なのかを知って欲しい。
そのメッセージの1つが、
「他人に『迷惑』をかけないようにしなさい」
なのではないでしょうか?
「他人に『迷惑』をかけないようにしなさい」と言われたから、
他人に「迷惑」をかけないように真剣に努力した。
そうやって努力した人が、
自分は「他人に『迷惑』をかけない人」なのか。
それとも「他人に『迷惑』をかける人」なのか。
どちらが、本当の自分かが分かります。
実践しないと、分からない事があります。
いきなり答えを言えば良いというものではありません。
真剣に努力していない人に、
「他人に『迷惑』をかけない人」は存在しないと教えても、
他人事で終わります。知識で終わります。
自分で確かめないと、分からない事があります。
実践させる事に、確かめさせる事に、
意味があるからこそ、
「他人に『迷惑』をかけないようにしなさい」という教訓は、
無意味でも、ムダでもありません。
「他人に『迷惑』をかけないようにしなさい」という教訓に従ったことで、
他人に「迷惑」をかけなければ生きていけないのは、
他ならぬ私のことであったと知らされた人こそ、
「夢」に向かっての一歩を踏み出すことができます。
「迷惑」をできるだけかけないようにする努力工夫はムダではありませんが、
どんな生き方を選んでも、「迷惑」をかける事になるのです。
「夢」を持ったから、「迷惑」をかける生き方になるのでもないし、
「夢」を捨てたから、「迷惑」をかけない生き方になるのでもありません。
そうと分かれば、
「迷惑」をかけない生き方を選ぼうとするのではなく、
どんな「迷惑」をかけることになる生き方を選ぶのか、という事になるのです。
そもそも、「迷惑」をかけない生き方ができると思っているなら、
それは傲慢ではないでしょうか。
その傲慢を打ち砕くために、じゃあやってみなさい。
「他人に『迷惑』をかけないようにしなさい」
その教訓が必要になるのです。
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