「夢」⑯ ~他人の言葉に一喜一憂する人、しない人~

「夢」を持つことは良い事だと

語る人や本は多いが、

本当に「夢」を持つことは良い事なのか。

儚い夢、叶わない夢だってあるんじゃないか。

思い通りにならないのが人生。

我慢しないと生きていけないのが人生。

夢ばっかり見てないで、現実を見ろ。

そうした思いを

「夢」という言葉にぶつけたくなる人も少なくないです。

そこで、

「夢」を持つことは、

良い事なのか、悪い事なのか。

これについて、続けて考察しています。


現在、

「夢」を持つことは良い事だと思って一歩踏み出す上で、

足枷になりやすい言葉、

「迷惑」について触れています。

前回は、

同じ人や物や出来事を語っているはずなのに、

人によってバラバラ。

中には、180度違う意見があったりする。

それは、1つの「事象」に対して、

「都合」というフィルターを通して見ているから。

あなたが「迷惑」だと思っているのは、

あなたにとって「都合」が悪いから。

あなたが「迷惑」ではなく「親切」だと思ったのは、

あなたにとって「都合」が良いから。

「都合」によって、

「迷惑」か「親切」かを

判断しているに過ぎないのではないか。

ここまで書かせて頂きました。


では「都合」とは、

そんなに正しい判断基準なのか。ものさしなのか。

これが中々、いい加減なものです。

部下から渡された企画書を見た課長が、

「こんな企画書で通ると思っているのか」

と言っていたのが、

「あの企画書、凄く良いじゃないか」

という部長の言葉を聞くや否や、

「そうそう、私もそう思ったんです」

さっきの自分の言葉をあっさりひるがえす課長。

こんなご都合主義に、

イラッとした事がある方もいるでしょう。

「今日ほめて 明日悪く言う 人の口

 泣くも笑うも ウソの世の中」(一休)

「都合」によって、言う事成す事、

コロコロ変わるありさまを、一休は皮肉っています。


他人の評価。

他人からどう見られているか。

認められたい、良い人だと言われたい。

叱られたくない、恥をかきたくない。

そうした思いは誰でも持っていますし、

それゆえに「迷惑」を避けようとします。

しかし、それらの土台は、

「都合」という、いい加減なものから成り立っています。

ですから、そんなものを何でも

素直に受け取る必要はありません。


実際、どれだけ一生懸命「迷惑」を避けようとしたとしても。

どれだけ他人の評価に耳を傾けたとしても。

すべての人から好かれるという事が、

あるでしょうか。

そんな事は、ありえません。

私を嫌いな人が、1人はいるものです。

すべての人の「都合」に合わせる事は、

不可能だからです。


もちろん「迷惑」を避ける努力がいらない訳でも、

他人の評価に耳を傾ける必要がない訳ではありません。

1人だけ言ってくるならまだしも、

3人以上、同じ事を指摘してきたのであれば、

「夢」に向かってひたすら進んで大丈夫か、

ただのワガママになってないかと、

反省した方が良いかもしれません。

しかし、その反省にしても、

「都合」が土台にあると分かれば、

反省の考え方が変わってきます。

そう。

「都合」次第で「迷惑」が「親切」になると、

考えることができるのです。

それについては次回。


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