ふたりの自分について
前回の記事を書いたあとに、ふと、結婚する前の私ってどんなだったろう?と考えました。人の中にはふたりの自分が居るように思っています。そのふたりの存在はどのようにあれば正解なのか、バランスを保って存在しているのか、そのあたりは私にはまだわからないのですが、貼り付けた2つの記事にも出てきますが、ひとりはいわゆる自我と呼ばれるような部分で、もうひとりはハートに存在している本来の自己。
私のなかのそのふたりは、思い返せば中学生くらいまではバランスよく存在していたように思います。ですが、高校生〜20代全般にかけて、本来の自己の存在がだんだん薄くなり小さくなって、自我だけがどんどん大きくなっていき、ほとんど自我に占領されていったように思いました。何故そう思ったかというと、今思うと、20代の頃の自分はまるで自分の中に自分がいなかったように感じるのです。表面的には普通にそれこそバブル世代で青春を謳歌していましたが、本当は自分で自分がわからない。それも自分がわからないことにすら気づいていなかったと思うのです。
例えば、中学生のころまでは、自分の好きな音楽がはっきりとありましたが、高校生の頃からはそれがわからなくなり、自分がどんな曲が好きなのかよくわからなくなって、周囲の友人や流行に自分を合わせていく。そうしているうちに、ささいなことも世間の価値観に自分をあわせていくようになる。自分がよくわからないから自分では判断できなくて世間が正しいと思っていることは正しいのだろうと思い込むようになり、ますます本来の自分がどんどん小さくなっていき、自我が大きくなっていく。でも本来の自分が消えてしまったわけではないので、自分の中では混乱が起きている訳です。ちゃんと混乱しているうちは体調をくずしたり、メンタルが下がったりして本来の自分が赤信号を出してくれていたのですが、でも自分には自我の声しか聞こえなくなってしまっているので、それに気づけなくなってしまい、無視し続けているうちに、本来の自分は声すらも失っていき、自分は完全に自我に乗っ取られてしまっていた...。そんな20代だった気がします。
ライオンズゲートだった8月8日、そんなことを考えながら、改めて今ハートに居ることがきちんと実感できる「本来の自分」に思いを馳せていました。あの頃はごめんね。そしてまた会えてうれしい。本当にありがとう。と...。