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私はどこに「在る」のか? 〜個と全体性について、しみじみと腑に落ちた話


こんにちわ、Kaloです。

先日の記事で私たちを取り囲むエネルギーフィールド(磁場)についてYouTube動画をご紹介したのですが、
その磁場、エネルギーフィールドは、いわゆるトーラス構造と呼ばれる形状になっています。

「オーラとは何か?フリーメーソン33階級のエネルギー操作に関する講義、美徳を持って正直に生きる事と磁場との関係」より画像転載


5年以上前に、インドのスワミジに私だけの真言を降ろしていただいたことがあって、その時に「あなたは身体の中にはない(アタマの上あたりを指して)身体の外にあります」と言われて。
当時、私の周囲にはまだ、そんなことを言う人は現れていなかったので、(最近では、それがあたり前のように理解している人が周囲に増えましたが(笑))その時に初めて聞いたその言葉をずっと覚えていました。

じゃあ「私って、どこに在るのか?」


私とは、この身体のことではない。その外側に在る。という話は、この外側にとりまくエネルギーフィールドのことでもあり、このエネルギーフィールドは目には見えない「意識」の世界でもあるわけです。

そしてこの「意識」の世界から、身体という現象界に降りてきて、3次元の物理的な出来事になり現象化、物質化する。

私が何かを想い、考え、感じたこと(=意識)が、のちに言葉という物質に変換されるように、この世界はまず最初に意識があって、それがすべてを創っている。

じゃあそのエネルギーフィールドの中の、どこに私が在るのか?


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人のエネルギーフィールドはトーラス状になっていますが、
私たちの身体もまたトーラス構造です。
胃や腸などの消化器官はあくまでも身体の外側。
外界から入ってくる食べ物をこの消化器官という中央の管を通して
膜で隔てられた身体の中へ、使える物質に変容して送り込んでいて。
不要になった細胞の死骸などを排出している。

私のnoteのトップに固定しているこちらの記事でも詳しく書いています。
(たくさんの方に読んでいただいています。ありがとうございます)

これはもう3年前に書いた記事ですが、この時に気がついていたことは
身体の内側に宇宙がある。
外側と内側とはフラクタル構造になっている。
ということでした。


そして、ふと、思いました。

身体はまぎれもなく私という「個」であり、
この身体は「私」以外誰でもない「私」なんだということ。

そしてこの私の身体の中の宇宙は、
私が食べたもの(=天から降ってくるなんだかわからない材料)を使って、それを糧に日々休むことなく活動している大きな大きな宇宙空間。
どの臓器、どの血液、体液、どの細胞ひとつとっても
そのひとつひとつ全部が、そのすべてが「私」である。ということ。


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つまりは、このエネルギーフィールド自体も同じ構造だとしたら
(だって世界はフラクタルですから)
なんだかわからないエネルギーという「糧」がどこかから降ってきて。
それを使ってエネルギーフィールドは身体の中と同じように
日々活動している私の宇宙空間なわけです。

このエネルギーフィールドには、
見えないけれどさまざまなものが満ち満ちていて。
そこから必要なものが使われ、不要なものは排出されていく。

そして身体と同じように破壊と再生が常に繰り返されている。


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私、ロシアのマトリョーシカ人形がやけに好きなんですけれど(笑)。

私という神が「シリアル食べたい」って思って、
身体の中の宇宙にシリアルを降ろす(『フラクタルな宇宙〜身体の中から知る、宇宙はひとつの生命ということ』参照)ように、もっと高次のハイヤーセルフの私がエネルギーフィールドに何かのエネルギーを降ろしている。
それはミクロからマクロまで広がっていって。
世界はまるでトーラス状のマトリョーシカみたいになっているんです。

そして目に見えないエネルギーフィールドの空間にも
何かが満ち満ちていて、その空間のどこかに私がいるのではない。
その空間自体、そのもの全部が「私」であって「私」以外ではあり得ない。

つまり「私」は特定のどこかにいない。
ハートだとかアタマの上だとか、丹田だとか。
そうした特定の場所にはいなくて、
その空間に満ち満ちている空間すべて。全部が「私」であり、
この流れている時間そのものも「私」。

つまりはこの目に見えている世界も、
もれなくすべても「私」であるっていう。
そういうことなんだなぁ〜〜。と。(しみじみ…


私は形などない。特定の場所に位置しない。
この空間そのものであり、満ち満ちているもの。
そして絶え間なく流れゆくもの。ゆらぎそのもの。

人生をよく川の流れにたとえますが、
この世界そのものが川の流れのようなモノであると同時に、
私たち自身の存在として確かだと感じている体もまた
細胞が常に入れ替わっている「動的平衡」の川の流れのようなモノ。

ミクロもマクロも、そのすべての段階において、
その潮流そのもの、流れそのものである。

スピリチュアルと脳科学と生命の在処と


福岡伸一さんが観ている世界が見えました。




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