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変化していく「見える世界」。


こんにちわ、Karo.です。


今日は、「見える世界」の変化について、最近の私の2つのエピソードから描きます。


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まずひとつめのお話。

最近、iPhoneを7から12に変えました。

変えた理由はいくつかあるのですが、まず最初の大きな理由は「海辺でクリスタルボウル。」という記事で、描きましたが、友人にiPhone12でクリスタルボウルの音を録ってもらった時に、なんと!ステレオ録音になっていて、あまりにも音がきれいに録れていたからでした。なのですが、カメラの機能も当然上がっていて、iPhone自体のディスプレイもRetinaなのでクリアに見えます。超広角も撮れるし、それも良いかな?と思い購入したのですが、自分で撮影してみると、まだ見慣れないせいもあって、ものすごく違和感を感じています。

「んーー...こんなに見える必要あるかな?」という違和感。

私は若い頃は視力2.0だった時があって、遠くも近くも比較的バッチリと見えていましたが、もともと遠視なのもあって、30代後半からあっという間に老眼鏡のお世話になることになりました。

メガネ屋さんでは、ここまでは遠視なので通常でも眼鏡をかけていてください。と言われるのですが、面倒だし疲れちゃうので、普段、必要な時以外は眼鏡なしで過ごしています。なので、街を歩いていても、すこしピントがゆるい優しい世界になりました。目が悪くなった当初はやっぱり違和感があったのですが、今はそれに慣れて、さらに言えば快適になりました。

そして目が悪くなって一番うれしかったのは、それまで鏡をみても毛穴まで見えちゃっていたのですが、それが見えなくなって、肌荒れも、シミも、そんなに見えません(笑)。つるっつるです(笑)。年齢とともに、見たくないものは増える一方なのですが、それを見なくてもいいように身体が調整してくれているような気さえします(笑)。

そう思うと、歳を重ねて耳が遠くなるとか、目が見えなくなるとかって、人に優しい機能なのでは?と思います。

うちの父は88歳になって、耳も遠くて、その日食べたご飯も忘れちゃう半ボケ気味ですが、好きなお酒を飲んで、飲みすぎて母に怒られる声も聞こえなくて(これ、わざとかも?(笑))映画を見て、本を読んで、毎日ゆるっと自分の世界の中に生きていて、ストレスフリーでハッピーに見えます。

物忘れが多くなるのも、究極では認知症になるのも、実は必要のないものがどんどん削ぎ落とされているような気がして、病気でもなんでもなく、自然の摂理です。それを若い人の標準と言われるものに合わせて、それ以外を病気のように扱う必要などないのでは?と、思っています。


...と、ここで、iPhone12の話に戻りますが「こんなに見える必要あるかな?」という違和感は、これ虫目線じゃない?っていうくらいのレベルで見せられているくらいの鮮明さがあって、必要のないもの(情報)まで、全部くまなく見せられているというような感じがするのですよね。(虫は、その虫によって特定の色しか見えていなかったりするので、実際には虫以上見えているってことかも。)

あとは対象物が鮮明であるがゆえに、これまで解像度が低いからこそあったふわっとした空気感、空気成分の含有量が減って、写真自体がぺったりしてしまった感じもして、これまで五感で感じ取って補完していた「見えない部分」の情報が、「見えるモノ」の圧倒的な情報量に押されて、強制的に見させられているような....。


こんなに全部見せられちゃっても、目のやり場に困っちゃうというか(笑)チラ見えくらいがよかったのに、なんか色気がないなぁ〜(笑)。的な。


とはいえ、人の身体は環境に順応する能力にたけているので、これも、きっと見慣れていくのだと思うのですが、4Kとか8Kとか....これが標準となった世界の中で、人は、自分は、どんなふうになるのかなぁ。と、憂いでいるわけではなく、まったくわからない未知なので、純粋に興味が湧いてきます。


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余談ですが、iPhone12を買ったもうひとつの理由は、5Gに対応しているからです。ニュースにはまったく出て来ませんが、最近渋谷で、連日、早朝に鳩がたくさん道端に落ちていると聞き、5Gアンテナのせいでは?という噂も出ています。それについては真相はわかりませんから、なんとも言えませんし、何かを言う気もないのです。が、iPhone12だったら5Gアンテナのある場所では「5G」と表示されるので、実際にどこに5Gがあるかが、自分でわかるのが良いなぁ〜。と、思いました。私、10年前の311の時にもガイガーカウンターを購入しましたが、基本的に同じ発想です(笑)。


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そして長くなってしまいましたが、ふたつ目のお話をサクッと。

今週、クリスタルボウルの練習会があって何人かが集まって、座ったままでのセッションの方法を習ったりしました。

クリスタルボウルのセッションは、通常受ける側の人に横になって寝てもらう体勢で受けてもらうことが多いのですが、今回は施術を受ける側の人が座ったままでも受けられる方法を練習したのです。

ひとりひとり交代で施術を受ける役になって、真ん中に座り、周りでその様子を観て感想をシェアしたのですが、セッションの様子を観ていたら「あ、全然身体に入っていってないな。」とか「あ、今オーラの色が明るくなったな」とか「青い龍がきている感じがする」とか...見えたり感じたりするのです。そしてその感想をシェアすると何人かがまったく同じように見えていて、「わぁ...気が見えるってこういう感じなんだ!」と思いました。

これって、誰でも多分見えているのだと思うのです。

たとえば、最近はボウルを鳴らしていると、白い湯気のようなものが立ち上って部屋に広がっていくのが見えるのですが、ただ、自分ひとりだと、気のせいかなとか、思い込みかなとかって思ってしまったり、そう思う間もなく気にもとめずにそのまま流してしまうことが多い「感覚知」だと思うのです。でも実際はそのような「見えない世界」と言われてきた世界も、意識を向けさえすれば、容易に見ることができる世界で、それは特別な人だけが見える訳ではないし、みんなでシェアできるレベルでそこに在るのだと思いました。

なので、あらためて、感じた感覚そのものに意識をむけること、自分を信じること。が大切で、そうすると見える世界が増えていくように思いました。

ちなみに、私が施術を受ける役で座ったら「頭の上に神聖幾何学がまわっていた」と施術者の方に言われ、「大きなピラミッド(正四面体)の真ん中に座っていた」「ピラミッド!見えた見えた!」と周囲で見ていた人、何人かに言われました。わ!なんかよくわからないけれど、それ、凄そう!嬉しい!と思ったものの、自分では自分が見れないのですよね。私もそのピラミッドや神聖幾何学が見たかったなぁ...。



...ということで、今日はめずらしく朝からnoteを描きました。

最後まで読んでいただいてありがとうございます。


東京は気持ちのいい天気です。

今日も素敵な1日を。





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