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循環していく学びの場【比べない体育 Vol.12】

船橋インターナショナルスクールで『古武術であそぼう』のクラスを担当してくださっている身体思想家の方条遼雨さんと共に、比べず、体を育んでいくための場について学びを深めるため、『比べない体育』という講座を開いています。詳しくは、こちらのnote記事へ。


この記事は、2021年5月開催分の講義ノート~【バランス感覚とは時間 Vol.11】~のつづきです。◆は方条さんのお話、◇は参加者の方のお話です。


◆循環していく学びの場

『比べない体育』の講義内容は、noteでオープンソースとして公開しています。できるだけ内容を無償で幅広く公開することで、循環した学び合いが生まれるといいなと思っています。学びを共有したもの同士が、学びをそれぞれの場に持ち帰り応用して、実践して、またそれぞれの気づきや学びをシェアし合って、バージョンアップしていく。皆さんの考えや意見も積極的にだしていただける場にしていきたいと思っています。

船橋インターナショナルスクールでも、私の教室に若い人がスタッフで入って下さった時は、終了後にアシスタントだけでその日にあったことをシェアする時間を持っています。それぞれが感じたことを参考にして、自分自身をバージョンアップしたり、今日はここを見てこの人のあの接し方がよかったねとシェアし合ったり、そいう循環を大きく広くとっていきたいと思っています。


◆身体感覚が拡張される場

グルグルと人が常に循環していくユニット型という場の考え方だと、スポーツにおいて監督やコーチの指導が不要にどんどんなってくるはずなんです。それぞれが考え、それぞれが全体を感じ、そこから生まれた挙動が、作戦、戦略、戦術になってくる。そんなチームが頭角を現して何かの分野で世界チャンピオンになるくらいの日がそのうち来ると思っているんです。

私から見ると監督やコーチが幅を利かせてるチームは甚だしく未成熟です。あらゆるスポーツで、ほとんどの集団がまだこの方法でやっているので、私にはまだまだ未発達の分野に見えています。

それぞれが自分で考えて、しかも独りよがりでなく全体を感じながら最適をふるまうと、利己と利他の区別がなくなってくる。All for one みたいな理念で言わなくても、そうなる、勝手に自然とそうなってくるんです。

感覚が自分だけじゃなく外側に向けて拡張してくると、自分の身体感覚的に場を感じるようになってくる。

すると、自分の身体と場の区別があまりなくなってくるんです。場において不快なことは自分も不快になるからそもそもしたくなくなってくる。実力があるからといって、周りのこと考えず俺が俺がと見せつけたプレーばかりだと、チームとしてはマイナスになる。その場における最適を知っていたら、スタンドプレーにならずにいかんなく能力を発揮できる場面が自ずと肌感覚で感じられるようになってくるはずなんです。そうなると自我みたいなものも邪魔になってくる。

これは、監督が選手に言うことをきかせるために自我をなくせと言っていることとは全く違います。洗脳するための操り人形にするための自我をなくせということとは違います。

場を感じるために自我をなくすのは、
自分が巨大な脳の一部になるようなことなんです。

巨大組織の中の拡張された脳の一部として自分が機能しているような感覚は、身体感覚抜きには語れないことなのです。肌感覚というのはまさにその通り、肌で感じることです。これは場がどんどん変転している時に生じる一つの流れや渦を感じる、潮目を読む能力になってきます。大事なキーワードで何度も言っているポイントの一つです。
(参考note:比べず、争わず向上していく体育 【比べない体育Vol.1】)


そんな肌感覚が育ってくると、だんだんと頭で考えると動きが遅くなってくのが分かってきます。違和感とかの快不快の領域、肌触りとかの肌感覚という能力は、潮目を読むために大事になってきます。そして、今ここというところに身をすっと置けるか、自分の身体が感じる方向に行くということにもつながってきます。これはマニュアル化はやっぱり難しいので、根本的なポイントを押さえながら自分が感じて実践するしかありません。色んな場において試すことができる自分でいる事が大事です。そして普段からここはこの考えが活かせそうだなと実践する場を探せばいいんです。


単純に何かの場において自分の言いたいことばかりがのめっているとわかったら、言いたいことを周りが求めていることを感じながらやろうとするだけでも違ってきます。その場を感じながら自分の内部も対応する。そうするとタンクと蛇口が揃ってくる。ちゃんと周りも感じて、でも自分の言いたいこともちゃんとある。そういう人が育てば育つほど、私みたいな立場の人間は必要なくなってくるはずです。私の教室においても私がいなくても成立する場を作るのが一つの目標といえば目標なんです。私が突然来れなくなっても、そこにいる人だけで充実した稽古ができる場を私で作りたいんです。


知性の低下は、自分で考えないことの結果です。これはいけないことです、ルールです、そう言われたら考えずにそう動いてしまう人の集団は、警察や官僚組織など典型的なトップダウン型の組織にありがち。そして、自分で考えていく人材が育つことを忌み嫌うようになり、個々のイマジネーションをつぶしてしまう傾向にあります。これは鈍い人間をどんどん作っていくことにつながり、ロボットのように身体を壊してから気が付くような人や組織を育てるという、当然の帰結になっていきます。だから、自分で考えられる人材をとりもどすことは、これからの幼児教育でも大事だと思っています。

講師 / 方条遼雨
文責・写真 / あおいえりか

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