見出し画像

できるところより、「少し」難しいところを学ぶのが効果的(発達の最近接領域)

アメリカ留学の奨学制度を利用するための面接の中で、
初めて「教育心理学」という言葉(学問領域)を知った7年前の私。

アメリカでの冒険を経て、近場の大学院修士課程に入り、教育心理学あたりのことを研究した。
その研究過程で、何より良かったのは、
10年間の学習塾運営の中で、自分のやってきたことに、「言葉」がついたこと
だ。
大学に私のやりたいことの専門の教員はいなかったので、ほぼ独学だったが、様々な文献や論文を読み漁るうちに、「あの時やっていたことは、この言葉(概念)で表現できることだったんだー!」と知って、結構ドキドキワクワクした。
生徒に対して、どうすると、効果的か。
どうすれば、一人一人の実力を伸ばせるか。
私なりの方法論は確立していて、それを人に伝えると「良いやり方だね」と言われるようなものであったのだけれど、
それはあくまで「私個人の考え」「私個人のやり方」で、
誰でもできるような内容な気もし、
なんとなく、モヤっていた。
が、
それに言葉がついてくると、
急に自分の行いが、クリアになり、
アカデミックなバックボーンも得られたような気持ちがした。
淀んだ沼の中に彷徨っていた経験が、
突然水面に浮かび上がり、ピカーっと光ってくるような気がし、
「私、って、偉かったジャーン。ちゃーんと理論に基づいていたんだねー!」
と、一人研究室で、自分を肯定していたのだった。
自分の過去の行いが、「アカデミックな自信に裏打ちされた実践」に生まれ変わったように感じた。

その中の一つが、「発達の最近接領域」だ。
これは「子供の知的な発達水準が、独力で問題解決が可能な現在の発達水準と、独力では問題解決には至らない水準との間にある領域のこと」(『認知心理学』2010年有斐閣p362)であり、ロシアのヴィゴツキーによって提唱された理論だ。
この領域に学びを集中すること、
またはこの領域に支援をしてやることが、
学習面での発達に効果的だという理論だ。

自分のやっていた中3専門塾では、特に数学がそうだったのだが、
はじめに、基本を確認し、そして代表的な基本問題を解く。
そのレベルで、既に間違える者(理解していても、問われ方に慣れていない場合もある)、すぐに解けてしまう者が出てくる。
まちがえた生徒に対しては、その間違えに応じた問題を、
楽に解ける生徒には、次に攻略して欲しい問題を出す。
生徒の手元も観察し、解き方も見て、それを判断していた。

前に、塾では大量の問題が必要だということを書いたが、

そういうことで、手元・頭の中の問題のストックが必要だったのだ。
これを正確に行いたかったので、
宿題は出さない
。(自己流で解いてきてしまうため)
そして、
この教え方が一度にできる限界は4名だった
5名だと、どうしても視界から溢れてしまい、解き方の手元を見られない。
ということで、クラスは基本的には4名で構成していた(記事冒頭の写真のような感じ。もう少し個々の机は離れていたかな)
また、生徒一人一人にそのように対応していたので、
実力差がある生徒がクラスに混在していても、問題はなかった
(差があまりに大きいと、こちらが大変なのだけど)

この方法は、
その生徒にとってやさしすぎる問題をいつまでも解いていたり、
難しすぎて手も足も出ないでぼーっとしている、
ということのない、濃密な学習時間を保障できる。
ずっと「頑張ればなんとか解ける」問題を解き続けていくので、
かなり集中力と、その持久力が要求される。

慣れない初めの頃(入塾したて)は疲れてしまい、授業後の帰りの下駄箱のところで、少しふらつく生徒もでる。
それでも半年経つ頃には、
トレーニングされるのか、
「休憩時間要りません」と自分から言えるくらいまで、
学習に没入できるようになる。
そしてもちろん、効果的である。
数学が平均点くらいだったのが、入試の模擬試験で満点を取ったりするようになる生徒も出てきた。数学が得意になって高校でも力を伸ばしていく生徒も多かった。(できるようになってしまい高校で油断してしまう生徒も多かった・・・)

なかなか、良い指導をしていると思う・・・
と、当時も自己満足していたのだが、
あれは、「発達の最近接領域」を見極めて、
それぞれに「はしごかけ」をしていたのだなー。
えらいじゃん
と、大学院に入って、自分を認めてやることができた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?