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わくわくして帰る相談者

仕事にできたらいいな、と思っていることを、今、ボランティアのようにやっています(経験を積みたいので)。

それが、「資格試験などの学習相談」です。

修士論文でそういう関連のことを書いたので、その流れで某大学の某資格試験の学習者の学習援助(学習法アドバイス)をやらせていただいております。今日、久しぶりに相談がありました。

相談が終わって一人で車を運転しているときに「そういえば・・・」と思い当たりました。相談者の方って、終わりの方にはすごくワクワクして、半分腰を浮かして「早く勉強したいです!一刻も早く、これ、やりたいです!」と言っていることが多いな・・・、と。

ありがたく嬉しいことです。勉強法なんて、一回の相談で一発完全解答を出せるものではありませんが、「当面は、これでイケる!」的な状態にはしたいと思っていて、本人が心から納得して、「早く学びたい!」「早く学びたい!」と言っている姿というのは、あ〜、力になれて良かった、学びたいと思えてもらえて良かった、と安堵と同時に幸福感に満たされる瞬間です。

その人に合った勉強法がある、という記述を最近時々見かけるのですが、そういう記述の中身を見にいってみると「視覚型か・聴覚型か」というのが、最も多い気がします。なるほどね〜、と思いつつ、どうしてここからの切り口なのかな? 確かにそのタイプはあるけど、学習対象にもよるし、それに、これはいの一番に持ってくる切り口じゃない気がするけどな?というのが、私の感想です。私自身は、ずっと書いている認知処理の型である「全体型か順次型か」を基本にして学習法を組み立てるのが、一番能率よく、本人が納得する方法を組み立てられると考えています。視覚重視か聴覚重視かは、学習の対象、学習の時と場所によって、本人の良い方を選択する、どちらかというと枝葉の方の話であり、逆に視覚・聴覚から切り分けると、学習者が混迷しそうな気がするけどな〜、と思います。(「そうなんですよ!」「確かに〜」とか、単純な共感は得られるかもしれないけど)

認知処理の方法も、杓子定規に、「全体型はこう学ぶ」「順次型はこう学ぶ」と決まっているわけではないし、一人の人がどちらかにきっちり当てはまるわけではなくて、一人の人間の中に様々な面が混ざり合っているものです。

でも、話をしていて一定程度の傾向を見極めて、「全体」「順次」の考え方をベースに、その人の個性や、置かれている環境、そうして学習対象を加味してアレンジしていくと、その人がたやすく「認知」できる方法が出来上がってきます。「やれそう!」と思うんですよね、自分に合っているから。

腰を浮かせて「早くやりたい!」「早く勉強したい!」とワクワクそわそわしているのが、その証拠だと私は思うので、
相談が、そういう終わり方をした時は「ああ、良かった」と思います。
そして、そういうふうに終わることが多いな、ということに、今日気がついたのでした。

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