40歳過ぎて語学を始めても、何か面白いことが起こるかもしれない話

先日、40代の知人が「英語の勉強、やろうかな」と言ったのを聞いて、「え」と思って「あ」と思い出した。

私も英語を始めたのは42歳くらいの時だった。その時は、「公立の高校入試」問題の中に、知らない単語がチラホラあった。高校入試のリスニングとか、あまり聞き取れなかった。

そして52歳の時は、TOEFLでギリギリ点数を出して、アメリカに行き、アメリカの大学で臨時教員として少し日本語を教えていた。特にそれを目指して勉強していたわけではなかったのだけれど、いろいろ積み重なってそうなった(その話は別の機会に書いてみたいです)。

そんな年齢で勉強を始めて、良かったことはいくつかあるけれど、「そのくらいから始めても、人生に何かが起こるかもよ」ってことを言えるようになったのは、良かったコトだなぁ、と思う。

アメリカでの生活で、思い出す生徒がいる。

アメリカのその大学では、私が一人で日本語授業を受け持っていたので、生徒の成績付けとかも全部自分でやっていた。秋セメスターの真ん中辺で、「このままいくと単位を落としそうだぞ」という生徒のフォローをする「週間」があり、日本語授業に1回しか出ていないその生徒が私の教員室へやってきた。私はてっきり「日本語の単位は諦めます」と言いにきたのかな、と思ったのだが、「今から頑張りますから、日本語の授業を取り続けますから」と言いにきたのだった。「そか〜。そうね、絶対ダメ、ってことはないよ。でも、後の授業は全部出て、ミニテストでもちゃんと点数を取らないと単位のためのギリギリの成績も取れないよ。できる?」と聞くと、「できます。日本語の勉強は一人でもやってました」と言う。「じゃー、みんなにやったテストを少しあなた向けに簡単にしたやつをやってみようか。ここが範囲だよ。こんな勉強をしてみてね。5日後にテストで大丈夫?」と聞くと「大丈夫です。やらせてください。」と言う。

彼(彼女)は心にも体にも治療が必要な病があった。胸の大きさが大きい日とそうでもない日があって、「呼び名」も男名か女名かのどちらかで呼ぶ配慮も必要だった(どっちか忘れた)。そういうホルモン剤投与にもお金がかかり、家も裕福ではないので、アルバイトなども忙しいし、体もしんどそうだった、内疾患も有り、顔色も悪かった。

結局彼(彼女)は、日本語以外の単位もほとんど取れないことが判明し、学校を去らなくてはならないと、そういうことを担当する「課」から連絡があった。

本人がうつむきながら、私の部屋へやってきた。私のサインが必要な書類があったから。
「先生・・・」「ん〜聞いた。残念だったね」「・・・・。」「でもさ、日本語を勉強しようかな、って、思ったことが大事だよ」「・・・・。」「一回でもやろうかな、って思ったら、いつでもまた始められる。私も英語を始めたのは、40歳過ぎてからだよ」
そう言ったとき、驚いたように彼(彼女)の顔がパッと上がって、私の瞳をじっと見つめた。「そしてね、今、私はここにいる。人生、何があるかわからない。大学だけが勉強するところじゃない。しばらくは勉強に向かえないかもしれないけれど、いつかまた、日本語やろうかな、って思って、それが何歳であっても、勉強を始めてくれたら私は嬉しいな」
その間、彼(彼女)はジーっと私を見ていた。
なんだか言うことに詰まって、私はそんなことを言ったのだけれど、自分の言ったことがこの生徒に何かを残せてたら、嬉しい、というか、こんな風に伝えられる「私」であって良かった、と、なんだかその時思った。

英語は役に立つ、とか世界が広がる、とか、それは本当にそう。
何歳から始めても、面白さもいろいろある。
でも、そういう言葉からイメージすることよりも、もっと面白いことが起こるかもしれないよ。

なんてことを、つれつれ思い出したのでした。


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