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自分を縛る縄を、消す方法

毎日怒られていた。
冗談に聞こえるかも知れないが、ひどい時は毎日仕事終わりの電車の中で、怒られた回数と、何日連続で怒られたかをカウントしていて、たまに怒られない日があったら「今日は幸せ」なんて本気で思っていた。
怒られるのがあまりに怖すぎて、本来の仕事をやる事ではなく、怒られない為にはどうしたかいいか、それだけを考えて実行していた。

教えてくれる先輩達はいた。
その人達はみんな超優秀で、バカな私にもわかるように、超絶わかりやすく教えてくれていたと、今となっては思う。
しかしその時は、「そうなんだ」くらいにしか思っていなかった。お手本と自分はどこがどう違うのか、というハウツーを教わる上で当たり前の事を考えなかったのだ。
なぜだろう?

小さい頃の町民大運動会、じめじめした暑い夏の日、かき氷の露店を見て、母にかき氷が食べたいと言った時、「駄目だ、みんなまだ食べてないだろう」と言われた。
他人なんて関係ないだろう、なんて理不尽なんだ、と悔しい想いをした事は、今でも鮮明に覚えている。

勉強するのが嫌で寝たふりをしていたら父が入ってきて、私の頭を蹴り飛ばしながら「勉強しろ」と怒鳴られた。
やりたくもない事をなぜやらなければならないのだろうと、身体の痛みよりも心の痛みで涙が出たのは、今でも鮮明に覚えている。

多くの人が経験する、ごくありふれた話なのだが、私にとっては一生の思い出だ。

思えば、子どもの頃からあれはダメ、これはダメ、これをやれ、と、ひたすら周りから押し付けられてきた。
小さい頃に反発していた記憶はあるが、どこかのタイミングで反発しても無駄である事に気付き、諦めたのを覚えている。やりたい事はどうせやらせてもらえないんだと我慢し、親や先生から与えられた事ばかりこなしていた気がする。

自然と、自分がやる事は周りから与えられるもので、それ以外は時間が余った時に、自分のやれる範囲でだけやっていいものと認識していたのかもしれない。
そして学生の頃までは、やれと言われた事を達成する方法まで教えられていた。
「世間の常識にならい、みんながやっている事をやりなさい。みんながやっていない事はやってはいけない」
「勉強しろ、いい大学に入るまで我慢すれば、たのしい人生が待っている」と。
簡単で、バカな私でも理解できた。
それ以上、聞く必要もなかった。

社会人になって営業の仕事を始め、いきなり自由の海に放り出された。
「やり方は自由だ、数字とってこい」と言われても、とり方がわからない。「どうしたら数字とれますか?」なんて怖くて聞けないし、たまに上司からレクチャーされるのだが、わからない部分があっても怖くて聞けない。
怖い上司と会話する事、会話が続く事は、怒られる可能性が増える事だと思っていたんだと思う。とにかく「わかりました」といってその場の会話を終了させるしかない。1秒でも早く。
でもその日数字をとってこないと怒られるから、とにかく今日、今、とれる数字だけを追っかけていた。

お客からも怒られる。
出先なのでそこで完結すればいいが、それを持ち帰る事になれば会社でも怒られる。だから下手に質問ができない。
「そんな事も知らないの?」とか、
「引き継ぎ受けてないの?」とか言われそうで。

相手がどんな事をしているのかとか、それがどういう仕組みで動いてるのかとか、その中で相手が何に悩んでるのかとか、(要は相手に興味を持つということだ)
そんなことを考える余裕もなかった。

だから、根本的に、営業がすべき事、
数字(信頼)をとる(得る)にはどうしたらいいかという事を、考えるという発想がなかった気がする。

関係ができていないお客が相手だと特にそういうトラブルが起こりやすい。だから新規や、掘り起こしが大の苦手だった。結局、会話は数字に直結するような内容しか出来ず、ベックセールスになっていた。

恐れずに、素直に、完全に理解出来るまで聞く事が出来たのなら、またはその場で聞かずとも本気になって考え、自ら調べれば、違う結果にもなったかもしれない。例えバカでも、人は素直に学ぶ姿勢に心惹かれるものなのだから。
しかし、私は過去の経験から、また恐怖のあまり素直になれず、思考が停止しやるべき事が出来なかった。

そのくせ、当時は辞める事も出来なかった。
他人の敷いたレールの上から外れた事のなかった私は、ここを辞めたら人生終わる、くらいに本気で考えていた。
その時の私は、ここを辞めたら再就職できないとか、転職で収入が下がったら結婚出来ないとか、生活できないとか本気で思っていたのだ。
人間の思い込みとは恐ろしいもので、一度そうと思考が決まってしまうと、どれだけ他人から辞めた方がいい、離れた方がいいと客観的に言われても、離れられない理由をこじつけて離れようとしない。まさに洗脳、まさに自縄自縛だ。
しかもなお厄介な事に、一度そうと決まるタイミングは明確なものではなく、自分でも気付かない内に、いつの間にか決まっているのだ。だから自覚しにくいし、気付いた時にはもう逃げられない。

働き始めて8年、幸いにも私はうつになり、半ば強制的にそのレールから外れる事となった。当時は人生で一番落ち込んだが、今となっては、うつになった事は本当に「幸い」だったと思っている。
そうならなかったら、確実に壊れていたから。
そして、辞めた途端にうつの症状はなくなり、今までの洗脳が解けたかのように上記の事すべてに気付いたのだ。

洗脳から8年、もっと言えば、子どもの頃に自らがかけた一番太い縄の縛りから、その時ようやく解放された。
よく見れば、私の身体にはまだ細い縄がいくつか残っている。しかし今の私は、過去の私や世間の常識に囚われず、自分が本当にしたい事は何なのかを考える事が出来る。
今は、昔とは見える景色が大分違う。

もっと自分の身体をよく見て、細い縄を一本ずつほどいていって、いつか、なるべく早く、本当になりたい自分になりたい。

この記事は、かつての自分の失敗を思い出す為に書いたものだ。しかし最近、同じような事で悩んでいる人が一定数いる事を知った。
だから、もし今、悩んでいる人がこの記事を読んでいたら、気付かないまでも、心の片隅に置いておいてほしいと思う。
過去の経験と世間の常識が、今の自分を縛っているのだ、と。
自分を縛っている縄は、自分自身がつくりだしたもので、
自分が「ある」と認識している限りどうあがいても解けないし、
自分が「ない」と認識した瞬間、嘘のように消えてなくなるものだと。

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