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河童と遭遇した祖父に描いてもらった河童絵から気づいたこと

私には祖父がいる。

昭和2年4月生まれで2020年現在で93歳になる。

今は青森県つがる市柏で近所の温泉に通う生活を楽しんでいる。

今をさること7年前の夏に祖父を青森県にたずねた際、かねてより聞いていた話をあらためて切り出してみた。

というのも祖父は若いころに河童と遭遇したというのだ。

遠野物語や水木しげる漫画でお馴染みのあの河童である。

こういった話の場合、「信じる?」「信じない?」から入ると思われるが、のんきな私は「河童がいる前提の世の中の方が楽しそうだ」と漠然ととらえていたふしがある。

そこでそのままストレートにお願いをしてみたわけで。

「見た河童を描いてほしいです」と。

祖父はやや考えこんで、「いきなり描いてと言われても」というようなことを津軽弁でつぶやいていたので「これは難しいかな」という雰囲気だった。

それが翌日、さっと色紙に描いた河童絵をくださったわけで。

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「昭和拾六年最夏ノ河童」と書かれていた。

祖父は当時14歳。

西暦にして1941年。

第二次世界大戦のさなか。

7月にはアメリカが世界初となるテレビ放送を開始した夏。

田んぼの近くの小川のほとりでこの河童と目があったという。

「目がきらきらしていた」というのが印象的だったらしい。

そして、休んでいるようにも見えたと。

気づくと河童は川に飛び込んで消えたそうな。

柏のあたりでは川のそばに河童の絵が描いてある看板などがあり、川遊びへの注意を河童をもちいて呼びかけていたりするところがある。

河童が人々にとって身近な存在であったのであろう。

この絵から気づくことはまず、髪の毛があること。そして、腕や背中、腰のあたりにも体毛がありそうであること。

そしてなにより人間的な意思をもった瞳である。

この河童の姿に思いをはせずにはいられないわけで。

そこで急に現代の現実生活に立ち返ってみるとどうだろう。

「今までの実例ですと~」「これらの統計から出したシミュレーションとしましては~」「客層を具体的に描いていないと~」「この外部環境と今の持っている資産をかけ合わせまして~」「アメリカやヨーロッパではこういう例が出ていまして~」

大人な話、既にある情報の中から常識的なものを選んで組み合わせながら話していることがほとんどでありまして。

そういった前例からの分析の大切さは身に染みてわかっているものの、この河童絵を前にすると「現実生活での前例主義はなんとも広がりのないスタンスだなぁ」と。

もっと大きく深く世界を楽しもうよ、と河童が誘ってくれている気になる一枚なわけで。

「そんなまさか」「これって映画以上じゃん」「前代未聞」「ここにいる自分たちだけが味わっている」みたいな熱狂ゾーンが生まれるしくみにはこの「河童はいるよ」エッセンスが大切だと筆者はいつも企画立案時に考えて加えるようにしている。

どんなに前例主義に凝り固まった企画でも「まてよ、この企画に河童はいるかな?」と立ち止まって企画書を眺めなおすことによって新たな気づきが生まれ広がりのあるビジョンが生まれてくる。

祖父が河童に遭遇したというエピソード自体がもたらしてくれる気づきと高揚感が私にとってなによりの宝物であり、それを皆さんと分かち合いたく記事とさせていただきました。

ああ、自分も河童に遭遇したい。

今年も皆さんに素敵な「日本の夏」が来ることを願いつつ。


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