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縁切榎に願掛けをした話

ついこの間、縁切榎を参拝して願掛けをした。

この夏からずっと、私が負った苦しみや悲しみのこと、それに寄り添ってくれる音楽のことをウダウダと書いてきたけれど、あえて核心には触れてこなかった。
でも、縁切榎を参拝したこの機に乗じて、この夏の大事件のことを綺麗さっぱりさせようと思う。

長く愛した相手から、私は婚約破棄を突きつけられた。あまりにもあっけない最後だった。
思うに、私はずっと相手のことを愛していたけれど、相手の方はそれほど私のことを愛していなかったのかもしれない。
でも、なまじ長く続いてしまったばかりに手放すこともできず、惰性で関係を維持していたんだと思う。

結婚準備の最中、ひどく傷つけられたことがあった。
相手の家族から、私の家族を揶揄するようなことを言われた。
そのような仕打ちを受けるとは思いもよらず、私は悲しみに打ちひしがれたけど、
それでも私は結婚したかったから、気持ちを切り替えて再び前を向こうとした。
けれど、気持ちがピッタリと噛み合うことはないまま、婚約破棄されるに至った。

いざ婚約破棄されてみると、愛されていなかったんだろうなと思い当たる節が次々と湧き出てきた。
私がささやかな幸せと思っていたことは、相手にとって釣った魚に餌をやらなくてもよい口実になっていたように思うし、
何よりも、私があの仕打ちを受けたとき、相手は私の全面的な味方になってくれなかった。

それを考えれば、あんな相手に私の大切な後半生を捧げずに済んで良かったとなるわけだけど、
そこに至るまでにあまりにも長い時間を費やしてしまったことが私は悔しくてたまらない。
たしかに幸せだった瞬間もあったはずなのに、自分がそれほど大切にされてないことに気づけなかったことが私は腹立たしくてたまらない。

ここでやっと本題に戻ると、私はそんな恨みつらみを抱えて生きていくのもお終いにしようと思って、板橋にある縁切榎へ向かった。

縁切榎とはその名のとおり縁切りにおいて霊験あらたか場所で、京都の安井金毘羅宮と並ぶパワースポットといわれている。
かつて皇女和宮が中山道を通って江戸へ降嫁するときにはわざわざ避けて別の道を行ったともいわれていて、何とも曰く付きなイメージを抱いてしまう。
私も行きたい気持ちはありつつ変なものを持って帰ってきたら嫌だと尻込みしていたけど、いよいよ半ばビビりつつ行ってみた。

都営三田線で板橋本町まで行き、そこから歩いて5分ほどで縁切榎に到着する。
道もそれほど複雑ではなく、駅からのアクセスはなかなかよいと思う。
普通の商店街に溶け込んだ小さな神社と榎の木が現れ、交差点にも「縁切榎前」の看板が出ていた。
行った日が日曜日だったからかはわからないけど、私以外にも参拝者は結構いて、
「みんなそんなに縁切りを願うもんなんだな…」と思った。
私も人のこと言えないけど!

本当に小さな神社なので勿論社務所はなく、絵馬は道を挟んで向かいにある美容室かお蕎麦屋さんで購入できる。
絵馬は1枚¥1,000で、絵馬の他に根付けと個人情報保護シールが付いてくる。
(昔、安井金毘羅宮で他の人の絵馬をチラッと読んでみたことがあるけど、縁切り・縁結び関係は個人名どころか住所・生年月日のオンパレードなので、
個人情報保護が叫ばれるこのご時世なら必要不可欠なアイテムだと思う…)

私もお蕎麦屋さんから絵馬を購入し、神社で参拝した後に境内に備え付けの油性マジックで願い事を書いた。
用途が用途だからか、滲みにくく、とても書きやすかった。
書き終わった後は絵馬をくくりつけるんだけど、既に夥しい数がびっしりとあるので、空いてるところを探すのに少々手間取った。

無事にくくりつけられたところで鳥居を出ると、不思議と爽快な気持ちになった。
行く前まではもっと鬱蒼とした禍々しい風景を思い浮かべていたけど、
実際は全くそんなことはなく、むしろ清々しい風が吹き抜けていくような場所だった。
おそらく集まってくる恨みつらみを浄化する力がきわめて強いのだと思う。

縁切榎で私は悲しみや怒り、恨みに区切りをつけて、気持ちを新たに生きていこうと思う。
悪縁を断ち切り、今度こそ私のことを心から愛してくれるような人との良縁を結んで、幸せとともに生きていけることを願いながら。

(とはいえ、時には「明日にでも地球に巨大隕石が落ちてみんな滅んでしまえばいいのに」とか思ってしまう瞬間もあるから、少しずつ浄化されていこうと思う…)

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