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第3話 課題の分離

あの日から何度か釣りに出かけたが、実は魚が釣れていない。
思考が大切、情報が大切、判断が大切と平沢さんから教わったが
いざ一人で釣りに行くとあの人のように釣ることができないでいる。
僕は、あの人と何が違うんだろうか。

先週は、僕のホームフィールド「手塚池」に行っていた。
自宅から車で1時間ほど走ったところにある、農業用の巨大なため池だ。
江戸時代に整備された「野ダム」と言ってもいい。
矢板や杭、石積みがあちこちに残っている。水草もたくさん生えている。
なかなか自然豊かで、実はバスが入ってこれない浅瀬にはメダカなんかも泳いでいる。
現在は農業の衰退から観光利用へと舵を切り、池の周囲は親水公園として整備され、遊漁券を購入することで釣りができる。
そして最近はアウトドアブームで利用者が増えキャンプ場も併設された。
とにかく、人が増えた。
そのせいかプレッシャーにさらされた「デス化池」と呼ばれるようになった。

大学に入学した頃はまだ広く存在が知られておらず、「都会からほど近い田舎で、のんびり遊べる池」といった感じだったのだが、ここ最近はびっくりするほど釣れなくなってしまった。マージナルゲインのパーティークローラーでウィードの上をゆっくりと引くだけで、バスが延々と釣れた過去が嘘のようだ。

僕は今日も手塚池で10分ほどパーティークローラーを投げた後、早々と切り上げ七滝ダムへ向かった。
3時間ほど車を走らせ平沢さんのお店に行き、手塚池の惨状を話した。

「手塚池ね。聞いたことはあるよ。遊漁券もあって、いいフィールドじゃないか。」

平沢さんは相変わらず穏やかでポジティブだ。
僕は、自分のパラダイスを侵された気分でムカムカしてるんだが。

「そういえば手塚池だけど、昨年に雑誌のロケがあったんじゃないか?」

そうだ、思い出した。とある雑誌で『釣りとキャンプが一度に味わえる、ちょい田舎のアウトドア生活!』なんて特集がされてからだ。
ついでに、別の雑誌では『キシカラ選手権』というオカッパリのトーナメントでフィールドに選ばれてメディア露出したこともあった。
あの頃からだ。手塚池に人がめちゃくちゃ増えてきたのは。
どうすれば、人との距離感に気を遣わずにあの池で遊べるんだろう。どうやったら、あの頃の手塚池に戻るんだろう。なぜ、僕の楽しみを消し去るんだ。もううんざりだ。

「あの頃の手塚池、よかったな・・・」

僕がボソッとつぶやいたのを、平沢さんは見逃してはくれなかった。

「よし、雪平君。釣りに行こう。今日はオカッパリだ。」

またも平沢さんの気まぐれでプロショップななたきは臨時休業になった。
よくこんな働き方であの店はつぶれないな。

平沢さんは前回の釣りからさらに減水し、前回釣った岸際は歩けるようになっていた。
ブレイクは以前として水中だ。

僕は、先ほど平沢さんのお店で買ったターミネーターを10分ほど投げた。
今日もシャローフラットには魚はいないようだ。
いないんじゃ、仕方ない。僕は早々とターミネーターを外した。

「なるほど。いい判断だ。」

一度もロッドを振らなかった平沢さんは、相変わらず褒めてくれる。
こんな人が上司だったら、仕事もしやすいだろうなと思う。

「その様子だと雪平君は、岸際に魚がいないと判断したんだね。」

「ええ、そうです。この前よりも減水していますよね。」

「その通り。厳密には、減水した後に少し増水したんだよ。」

増水したけど、以前よりは低い水位ということか。うーん、ややこしいなぁ。いまいち増減水とバスの動きが分かっていないから、またイライラしてくる。

「雪平君。君はこのダムの天候や増減水を管理できるかい?」

「いや、無理ですよ。だって神様でも管理者でもないんですから。」

そりゃそうだ。世の中のどこを探しても、天候を思い通りに操作できる人間はいない。

「雪平君が馬に乗れたとして、馬を水辺に連れていくことはできるかい?」

馬を?なぜ急に馬が出てくるんだよ。と思ったが素直に会話を進める。

「できるんじゃないですか?乗馬の経験はありませんが。」

「じゃあ、馬に水を飲ませることはできるかい?」

え、そんなの馬次第でしょ。無理やり飲ませることはできるかもしれないけど。天気と同じだろう。

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「馬を水辺に連れていくことはできるが、馬に水を飲ませることはできない。魚がルアーに口を使うかも、一緒だ。結局、魚次第なんだ。」

「ええ??そうなんですか??」

「これは、アドラー心理学の考え方の一つで『課題の分離』というんだ。知っているかい?」

アドラー心理学か。たしか「嫌われる勇気」っていう本があったっけ。
たしか、めちゃくちゃ売れてたっけ。
発売からかなり経つけど、いまだにお店では平積みされてるな。

「僕たちは、ルアーをバスに届けることはできる。これは自分にできることだ。しかし、バスがルアーにバイトするかは、バスの状況次第なんだよ。だから、釣れない魚に未練タラタラで『どうやったらあの魚に口を使わせられるのかな?』なんて悩むのは、実は危険でもったいないんだよ。」

確かにそうかもしれない。前回の孫子の兵法でも、同じような考えがあった。自分にできることをやる。「負けない準備をする」この徹底こそが、孫子の兵法の考え方だ。

「理屈は分かりますよ。でもだからといって、全てはバス次第って考えちゃ成り立たなくなりませんか?」

平沢さんは、少し考えてから、また説明してくれた。
「例えばの話だ。お腹がいっぱいの人を焼肉に連れて行っても喜ばれないだろう。
だが、同じ人に一口大のアイスをあげたら、食べてもらえるかもしれない。」

なるほど、それなら分かる。逆もそうだ。
お腹が空いた人にお金を渡して焼肉に連れていけば、勝手に注文して食べるだろう。僕は平沢さんの言いたいことを当てに行ってみた。

「つまりそれって、相手の興味や関心をしっかり考えて、ルアーを届けることだけに集中するってことですか?」

平沢さんは拍手してくれた。

「そうだ。それでいい。相手のことを純粋に考え、相手の求めるものを差し出すだけなんだ。それが上手くいくと、思いのほかあっさり釣れるんだよ。」

平沢さんはようやくロッドを手にした。
7フィート1インチのミディアムヘビーロッドに1/2オンスのヘビーキャロライナリグが結ばれていた。
ルアーは、マージナルゲインのスワニークロー3.5インチらしい。

「たしかあそこだよな」

平沢さんはそう言うとキャロを遠投した。丁寧にズル引き、ラインスラックを作って待っている。

「見てるといい、答えはすぐだ。」

ほどなくして、ツツッとラインが引っ張られる。沖へとラインが伸びていく。
平沢さんは、ラインスラックを巻き取り、スイープに合わせた。
ゴリゴリと巻き取る。沖の方で魚が何度もはねた。

「おっ、そこそこあるかも。」

平沢さんは慎重にファイトしてランディングした。
フックを外して手をあてがい、そしてリリースした。

「40センチは無かったかな。本湖のキャロの魚はよく引くから、サイズ感を間違えやすいな。」

平沢さんはロッドを置いた。僕は平沢さんにたずねた。

「どうしてキャロなんですか?」

「今ねらったのも沖のブレイクだ。増水傾向だから岸には寄りたいが、そこまでの水深は無いし、ルアーを積極的に追うアフターから回復した魚は、そもそも上流へと動くんだ。ならば、スローに誘えるキャロをブレイクの美味しいスポットに留めておけば、回遊する魚が勝手に見つけてくれるのさ。」

キャロライナリグは、沖の地形変化をスローに誘うにはうってつけとのことだ。実は、僕はキャロライナリグを使ったことが無かった。リグを作るのが面倒だから。しかし、目の前で釣られたら信じるしかない。

興味関心が狭い魚を相手に、いかにその魚の興味を引くかを考える釣りもできる。しかし、無邪気に色んなことに興味を示す魚や、油断している魚を狙って釣る方法もあるんだよ。相手の課題ばかりに気を取られ、自分のやりたい釣りができないと、それは自分の釣りと言えるかな?アドラー心理学の考えを応用すれば、僕は後者の魚を釣る方が好きだな。」

そうか。手塚池では釣れにくい魚、つまり難しい相手の興味をどうやって引くかだけを考えていたけど、そうじゃない方法だってあるかもしれない。
どっちの魚を選ぶかは自分の課題だ。魚の課題に踏み込んだら、悩んで袋小路に入ってしまうこともあり得る。
そして僕は、ホームの手塚池を思い出していた。

「平沢さん、もう一回お店を開いてくれませんか?キャロのリグを買いたいんです。」

「フフフ。いいよ。もう一度、手塚池に行くんだね。」

僕は平沢さんのお店でシンカーとリーダー、そしてスワニークロー3.5を買い、車を走らせ手塚池に戻った。
時刻は午後4時だった。釣りエリアの閉園まで、あと1時間ある。
池のほとりまで行くと、動画を撮影している二人組がいた。
マスタングを投げていた。

「マスタングならきっと釣れる!ボーズ回避いけるいける!」
「諦めなかったら、絶対に釣れるから!これ真実!努力はウソをつかない!」

きっと人気の配信者なんだろう。遠くで人だかりもできていた。

僕は気になったが、少しだけ離れたところに降り立った。
釣り可能エリアで唯一、張り出した岬がある。

僕はキャロを遠投した。岸際の魚は難しいのは事実だ。
でも、沖のチャンネルを泳ぐ魚なら、もしかしたらチャンスがあるかもしれない。もしかしたら、魚たちも油断しているかもしれない。

ズル引きをしていると、遠くで配信者の悲痛な叫びが聞こえる。

「あー!なんで食わねえ!このやろー!ちっくしょー!」

僕は一度だけ彼らを見た。チェイスがあったんだろう。それでもバイトは無かった。
岸際のバスの課題を解決しようと躍起になっているんだ。
もしかしたらあの人たちは、僕と同じかもしれない。
マスタングを魔法のルアーと思いこんで、きっとこのルアーなら・・・と考えていた、あの頃の僕だ。

以前の僕は、あちら側だった。
釣りにくい魚にどう振り向いてもらえるか、という釣りもある。
しかし、今は自分の釣りを選べる。それは間違いなく平沢さんのおかげだ。
僕は、僕の釣りを決めることができる。

ズル引きをしていると、手元の感触が変わった。
そこでルアーを止めた。実はここに大きな岩が露出している。
留めてすぐにラインが動いた。ツツッとラインが走る。
平沢さんが七滝で見せてくれたのと、まったく同じだ。
慌てずに平沢さんの真似をしてラインスラックを巻き取り、ジワッとフッキングした。

ズシッ・・・
久々の手塚池の魚の感触に心が躍った。
しかし、慌てずにまき続ける。何度も沖でバスがはねる。
僕は不思議なほど冷静にバスをいなして釣ることができた。
44センチの立派なバスだった。

3枚ほど写真を撮り、リリースした。
あれだけ苦労していたのが嘘のような釣れ方だった。

手塚池は、変わってしまった。
もう昔のように簡単には釣れない。
しかし、池を過去に巻き戻すことはできない。
多くの釣り人で賑わうようになったことも、やはり変えられない。
なぜなら世の中は変化していくし、変化を止めることはできない。
それは、自分がどれだけ努力しても変えられない事実だからだ。

しかし、自分も変わることはできる。
新しい釣りを覚え、考え方を学ぶこともできる。
バスの習性を知って活かすことができる。
それは、自分が努力できる、自分の課題だ。

自分が成長すれば、必ず魚は僕に応えてくれる。
でもいつか、それでも釣れなくなる日も来るだろう。
その時は、また自分が成長していけばいい。

僕はまた、平沢さんに背中を押してもらえた。
まだまだ知らないことだらけだけど。僕ならきっと大丈夫な気がする。
僕はスマホを取り出し、平沢さんに写真を送った。
平沢さんから、すぐに「ナイスフィッシュ」と返事が来た。
待っててくれたんだろう。

また、あのお店に行こう。

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