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第9話 パンセ「人間は考える葦である」

インターチェンジを降りてから七滝に着いたのは16時前だった。平沢さんは、観光協会の人と漁協の人たちに挨拶や手土産を渡していた。そしてパック詰めのアユの塩焼きをもらってきた。平沢さんと一緒にイベントの片付けを手伝ったので日没まであと1時間ほど。僕らはプロショップの縁側で焼きたてのアユに舌鼓を打った後「段々畑」に立っていた。段々畑は湖全体の流れが避けられる逆ワンドの地形だ。湖底は粘土質で岸際にはパラパラと草が生い茂っている。

先日のまとまった雨で湖は久々に増水し草が冠水している。草が浸水した周りには小魚が群れを作っていた。

やがて日陰は濃くなり足元に夜が伸びてきた。

正直、もっとたくさん釣りをしたかった。アユなんか食べずに。キャストをたくさん繰り返し魚を釣りたかった。美味しかったけど…

カナカナカナ…

ヒグラシが遠くで鳴いている。夕闇の訪れとヒグラシは秋の匂いを含み
夏のノスタルジーを掻き立てる。

夏が永遠に続かないことを僕に自覚させてくる。

平沢さんはマージナルゲインのウェイクベイトスタウトプレミアムを投げていた。カションカションと音を立て水面をゆったり泳いで引き波を立てている。ジョボっ!とルアーにバスが食いついた。レギュラーサイズの元気なバスだ。

「いい魚だ。今日はこれで終わるよ。」
平沢さんは満足したようだ。

僕はというとマージナルゲインの名作ポッパー、ミッチェルを投げていた。

ポコン、ポワン…ポッパーらしいコミカルな音がする。

アクションをつけようとしたときロッドがズンと引き込まれて僕のミッチェルにもバイトした。ものの数秒後、バレてしまった。かかりが浅かったんだろうか?

「あー!もう!」じれったい。だけど、バイトが見える、続く。むちゃくちゃ楽しい。再度キャストすると着水と同時にバスがバイトした。今までは帰りの渋滞を考慮していたからこんな夕暮れどきまで七滝で釣りをするのは初めてだ。夕暮れの七滝はまるで楽園のように魚が遊んでくれた。


本当に面白い釣りだった。マスタングをしこたま巻いても釣れない時があれば延々とバイトが続く時もある。これは何故だ?「これはこの湖だけの傾向なのか多くのフィールドに共通することかは分からないし、僕の偏見かもしれないよ?朝マヅメと夕マヅメを比べた時、決定的な違いは魚たちの天敵の行動だと考えている。」
ほう、天敵というと誰のことだろうか?

「鳥類、この湖では主にミサゴさ。上空にもよく飛んでるよ。そして鳥たちは、夕方には必ず巣へ帰る。夕方はその天敵がいなくなるから活性が上がるんじゃないだろうか。鬼の居ぬ間に洗濯とはよく言ったものさ。魚たちもそれをよく知っているんだろう。」
平沢さんはあくまでも持論だと話した。朝マヅメと夕マヅメはどちらも魚の活性が上がる。しかし、詳細は微妙に違うのだ。そうやって説明をしてもらえたら単純な朝マヅメと夕マヅメではなくそれらが持っている意味や機能も
想像がついてくる。だとすると、天敵から身を守るカバーの存在であるとか
ディープにあるカバーの有効性、リスクを冒してでも浮いている魚、彼らの行動や習性の目的も想像がつく。こうやって僕の思考は少しずつ広がっていった。

平沢さんはさらに続けた。「フフフ。さっきの僕の話からでも、色々な魚の釣り方が想像できるだろう。人間は考えることに特化した種なんだね。
考えることに特化した種族…か。まぁ確かにワンちゃんは
黙々と思考を巡らせているようなことは無いだろうし。匂いや仕草でコミュニケーションはとっているだろうけど。僕らのように言葉を使いこなして
思考しているかは、分からない。

「平沢さん人間の持ってる『考える』って力はすごいんですね。」
僕は何の気なしにつぶやいた。よくよく考えてみたら人間と魚は言葉を交わすことは無い。しかし、岸際を泳いでいるかどうか、エサを見ているかどうか、それらの様子から、色々と予想し察することはできる。

「考える力のすごさか…そうだ。その通りだ。人間は考える葦だからね。」
聞いたことのある言葉だった。
「誰の言葉でしたっけ?」
僕は今までの反省から素直に聞くことにした。
「ブレーズ・パスカル。フランスの哲学者だ。」
平沢さんは答えた。

人間は一本の葦にすぎない。
自然の中でもっとも弱いものである。
だが、それは考える葦である。
これを押しつぶすには、
全宇宙が武装する必要はない。
一吹きの蒸気、一滴の水だけで、
殺すには十分である。
だが、たとえ宇宙が押しつぶそうと、
人間は彼を殺すものよりも尊いだろう。
なぜなら人間は自分が死ぬこと、
宇宙が自分よりもまさっていることを
知っているからである。
宇宙は何も知らない。
 だから、われわれの尊厳のすべては
考えることにある。
われわれが立ち上がらねばならないのは
まさにそこからであって、
われわれが満たすことのできない
時間や空間からではない。
だから、
よく考えるようにつとめようではないか。
そこに道徳の原理がある。 

ブレーズ・パスカル パンセ

ということは、弱くても考える力があって思考を巡らせることで宇宙の果てや始まりを想像し包み込める。だから、よく考えよう。ということなのか。考えて、釣りをする。それが大事なんだろうな。

平沢さんは静かに続けた。
「考えることに、人間の尊厳がある。その言葉だけを切り取ればよく考えることを勧めているように思えてくるが、それだけじゃない。」

え、そうなのか?考える葦って、もっと深い言葉なの?
「パスカルの思索にはもう少しだけ続きがあるんだ。」

人間は明らかに、考えるようにできている。
考えることが、人間の尊厳であり、
人間のなすべきことでもある。
人間の義務は正しく考えることである。

ブレーズ・パスカル パンセ

正しく考えるって、どういうことだろうか。思い込みを排除し、論理的に考えること世のため人のため利他の心で考えることか。「正しさ」とはそもそも何だろうか。世の中に絶対的な正しさはあるんだろうか。

「パスカルの言った正しさとは、『人間には必ず死がやってくる』
ということだ。それは誰にも避けられない。いつか、『釣りができなくなる日』がやってくることも、僕たちは簡単に想像できるだろう。」
平沢さんは今まで考えたくも無かった真実を放り込んできた。

確かにそうだ。今のように自由に釣りができる時間は、決して永遠に続かないのだ。盗難にあうかもしれないし、事故に遭うかもしれないし、足腰が弱るかもしれない。もしかしたらバスフィッシングが禁止されるかも…UFOが大軍で地球に攻めてくるかも…

「いつか必ずやってくるバスフィッシングを終える日に『バスフィッシングに出会えて良かった。』とか『バスフィッシングに貢献できた』と思えるように今この瞬間にできることがあるかそうやって考えることが『正しさ』だと思うんだ。」

いかにして釣り人生を終えるか?このような議論がなされることはほとんど無い。満足して納得して釣り人生を終えるために今、この瞬間に何ができるかを真剣に行動するのも大切かもしれないな。多くの人は自分の気晴らしに釣りをする。いつもはそれで良いんだろうけど、本当に釣りが好きなら釣りを愛しているなら、いつか釣りができなくなるという悲惨な運命にも向き合った方が良い。悲惨さに向き合える人間は、偉大だ。

例えば不治の病で余命三か月だったら…安静にベッドで寝ていれば病気は寛解できるとしたら、どうだ?バスフィッシングを諦めるか、それともバスフィッシングをするか。家族は長生きしてほしいだろうけどバスフィッシングをしない自分は生きてるのか死んでるのか…となると、自分の幸せは他人に決めてもらってもいいんだろうか。残された時間でバスフィッシングに何かできないか、僕の頭の中で、思考がグルグルと渦を巻いた。


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