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第6話 星の王子さま

梅雨が開けた。僕は、夏が好きだ。
夏のボーナスが振り込まれ、強気になる。新しい釣りをするんだ!
と意気込み、1本タックルを増やした。

6フィート1インチULパワーのソリッドティップリールは2000番のハイギア
ラインはフロロカーボンの3lb。マージナルゲインから満を持してリリースされたロッドを手に入れた。
正直、かなりフンパツした。でも大丈夫!これだけ高価なタックルを揃えたんだ。釣れるに決まってる。

七滝ダムをもっと遊びたい。サイトフィッシングに挑戦するのだ。新しいことに挑戦することはこんなにも気分が高揚するのか。

サイトフィッシング用にルアーやフックも購入した。マージナルゲインのワーム。シャンプレインシャイナー2.8インチだ。鱗を模した細かく乱反射するフラッシング。ピンテールとシャッドテールの中間的な絶妙な形状のテール。水平姿勢を保つためにソルト含有量を調節したマテリアル。比重を水に近づけるために専用設計されたオフセットフック、なまめかしいロールアクションを出せる専用ジグヘッドもある。

いやー、参ったね。さすがマージナルゲイン。僕がバスなら踊り食いしちゃうよ。ご機嫌なヒップホップをかけながら、高速道路を走って南へ向かう。
濃いめのエナジードリンクを飲んで、気分もギンっギンだ。

今日こそはロクマルが釣れるはず。今日は、平沢さんの店には寄らない。
そう決めていた。僕だって、やりゃあ出きるんですよ!そんなところを見せたい!一人でもデカイ魚が釣れるんだ。

孫子の兵法にアドラー心理学。イシューからはじめよ。失敗の本質。平沢さんからこれだけ教わったんだ。僕だって、1人で釣れる。それを示したかった。

そして今は、プロショップななたきで
アイスコーヒーをごちそうになっている。釣れなかった…

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午前10時の陽射しは狂暴だが、プロショップななたきの縁側は心地よい風が通る。風鈴、蚊取り線香、日本の夏だ。

「なるほど。大曲ね。」

平沢さんはリールを分解している。オーバーホールやカスタマイズをリーズナブルな値段で引き受けているらしい。なんでもできる人だなぁ。

「なぜ、大曲を選んだんだい?」

でたぁ~!なぜなぜタイム。もう質問されるのは慣れてきた。でも、釣れていないときはイライラする。

「この前釣れたからですよ。あの魚がまだ付近にいるかもしれないじゃないですか。あんな魚、そう出会えませんよ。」

我に返る。大きな魚を釣って自慢したいという欲求が強いよなぁと思う。

一応、根拠はある。今日の水位は標高113流入は毎時4.5立法メートル。放流も毎時4.5立法メートル。つまり、水の動きは一定だ。それなら全域に魚が散る。だとすれば、だ。大曲のようなバックウォーターには、夏ならではの魚が陣取っているはずだ。

「前にも言ったが、バックウォーターでプレッシャーに晒された魚は難しいよ。それでも敢えて挑んだわけだ。」

「そうです。梅雨も開けたことですし。バックウォーターには大きな魚が集まるでしょう。」

「雪平君は、七滝へ来るようになってどれほどになるんだい?」
「えぇっと、今日で4回目です。」
「・・・そうか。」
マスタングで釣った、キャロライナリグを見せてもらった、スピナーベイトで釣った。そして夏は、バックウォーターでサイトフィッシングが楽しい時期だ。そう信じていた。もちろん、魚は居た。しかし魚たちに元気はなかった。ルアーが飛んだだけでビクッと動き底へ沈んでいく。エサになる小魚を追い回す様子も無い。そういう、難しい魚をどうやって釣るのか。魚との知恵比べだと思っていた。そして僕は負けた。

ロッドやルアーの使用感も良かった。軽いルアーが軽い力で飛ぶ。ボトムの小さな凹凸も分かる。それでも、魚は釣れなかった。何が原因なんだろうか。

「高価なタックル、ルアー、最新の設備。それを使って雨上がりの水たまりに投げたら釣れるかい?」

平沢さんは分かりきった問いを投げてきた。

「いやー。それは無理ですね。」

どんな名人でも、魚のいないところに竿を垂れていては、魚は釣れない。ましてや僕のような一般人はどうだろうか。それは、言うまでもない。高価な道具は釣りを快適にしてくれる。しかし、よくよく振り返る。魚が釣れるかどうかは魚次第だったのだ。お金を使えば魚が釣れる!なんて保証は無い。
道具だけで、釣りは成立しないんだ。

「とはいえ、夏のサイトフィッシングはエキサイティングだ。それも事実だと思うよ。」

平沢さんは決して否定はしない。ルアーのアクションが見えること、バスの反応が見えること、バイトシーンが見えること、釣りの一連が見えることはサイトフィッシングの大きな魅力だと思う。

「見えることは、人間に沢山の情報をくれるからね。」

「そうなんですよ!見えるって、便利ですもんね。」

「その通りだ。ここ最近は、見える化という言葉がよく使われている。仕事の見える化、テレビ番組でのテロップ、カーナビで経路が赤く表示されることもそうだろう。
『メラビアンの法則』のような心理学、『百聞は一見に如かず』といったことわざもある。人間が多くの情報を目に頼っていることは事実だと思う。

サイトフィッシングを楽しいと思うのは、事実なのだ。
魚が見えると、人間は安心できるのだ。

「しかし、だ。目に見えるものがすべてじゃない。」

平沢さんは、また意味深なことを言いだした。今は、正午を少し回ったところ。七滝ダムの湖上だ。今日は平沢さんがエレキを踏んでいる。スロープの周辺を流し終わったところだ。一匹も釣れていない。ボートの上の僕たちは、自販機で買ったスポーツドリンクを飲みながら会話をしていた。

「僕はね、ここのところ週末が楽しみなんだよ。」

「僕もですよ。というか、週末が嫌な人はいないんじゃないですか?」

「休日に釣りが楽しめる、という意味ではそうかもしれないな。でも、僕はそれだけじゃない。雪平君が訪ねてくるからね。こうやって君と語れることは本当に楽しい。うちの店に来てくれてありがとう。」

平沢さんはサラッと言ってのけた。照れくさいやら恥ずかしいやら。でも、こんなしょうもないアングラーに時間を割いてくれるんだから、本当にありがたいと思う。よくよく思い返すと、僕にも思い当たる節があることに気づいた。単純に釣りができるという意味以上に、僕もこの週末に意味を感じている。

七滝ダムや平沢さんに出会えて沢山学べているのは事実だ。
週末が近づくたびに、七滝はどんな状況か気になってくるようになった。
日本には沢山のダム湖があり、七滝よりもアクセスしやすいダムは沢山ある。それでもこのダムに来るのは、きっと、このダムが好きだからだ。ふと、中学生の頃に読んだ本を思い出した。星の王子さまだ。

「関係をつくる?」
「ああ、そうだ(中略)ところがおれがあんたと仲良しになると、(中略)あんたはおれにとってこの世にたったひとりの男の子になるし、おれはあんたにとって世界にたった一匹の狐になる…。」

サン・テグジュペリ 星の王子さま 106頁~107頁

「なんだか、星の王子さまみたいですね。」

僕は思い出して平沢さんに言う。平沢さんはハッとしていた。

「そう、その通りだ。目に見えないものを大切にすることもそうだし、相手に思いを馳せて仲よくすることもそうだ。僕もあの本は大好きなんだよ。」

ほんの1か月前は、ここはただのダム湖だった。それがどうだろう。ただのダム湖は好きなダム湖になった。釣具店でルアーを見たら、七滝では使えるかな?と考えるようになった。天気が崩れると、七滝や平沢さんは無事だろうかと思いを巡らせるようになった。

「おれの暮らしは単調だ。(中略)麦なんてまったく役に立たない。(中略)だけど、あんたは金色の髪をしている。おれがあんたと仲良しになったら、麦畑はすばらしいものになる。金色の麦を見ると、おれはあんたを思い出すわけだ。」

サン・テグジュペリ 星の王子さま 108頁~109頁

僕たちはロッドを振り、そしてスポーツドリンクを飲み、熱中症を防ぎながら下流へ向かった。そこはダムサイトよりも100メートルほど上流にある岩盤だった。山肌には古い建物が見えた。

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「ここは、取水口だ。ダムの水はここから下流へ放流されているんだよ。」

取水設備なのか。この七滝ダムは電力会社が管理している発電用のダムで、かつ、下流の地域の水害を防止する目的も兼ねてある。

「七滝のバスを釣るには、まず七滝と仲良しにならなきゃいけないな。」

平沢さんはタックルを選びながら話した。これまでの話からも分かると思うが、平沢さんはびっくりするほど魚を釣る。そして、大きい魚も小さい魚も同じように丁寧に扱う。仲良しになるとは、そういうことだろうか?

「愛情深く魚を取り扱うということですか?」

平沢さんは首を横に振った。

「そういうのは、仲良くなる以前の基本さ。仲良くなるとは、失敗することだ。」

「でもどうすればいいの?」と王子さまは尋ねた。
「辛抱強くすることだよ」と狐が答えた。(中略)幸せにはそれなりの代償もあるということに気がつくだろう。

サン・テグジュペリ 星の王子さま 110頁

「僕はこれまで、数えきれないほどボウズを経験した。ラインブレイクもした。無知な頃はそんな失敗ばかりだったんだ。
そして、そのたびに同じ失敗はしないと努力し続けた。そういう、目に見えない積み重ねがあったからこのダムで釣れるようになったのかもしれないな。」

あれだけ美しく魚を釣り続ける平沢さんでさえ、沢山の失敗をして成長した。無難な釣りでなんとなく満足するんじゃなくて、もっといい方法があるかもと七滝と向き合い続けた。その積み重ねがあっての、今なのだ。

取水口に近づいた。

「そういえば、なぜここを選んだんですか?」

「雪平君は、放流と放水の数値をしっかりチェックしてきたね。よく学習したと思う。じゃあ質問だが、流れてくる水はどこから来るか分かるかい?」

「バックウォーターや流れ込みだと思います。」

「そうだね。じゃあ、そのバックウォーターはいくつある?」

「地図上では4つあります。」

七滝川本流、黒川、平川、野田川の4本だ。よくよく考えると、あちこちに小さな谷があって流れ込みもある。そんな小さなものまで含めると、無数な気がする。

「流れ込む場所って、思った以上に多いですね。」

「そうだね。じゃあ逆に、放水する場所はどこだろうか?」

それは決まっている。放水口だ。まあ、湖面から蒸発することもあるだろうが。それ以外は、無い。

「そうか、流入は無数ですが、放水は一か所ですね。」

平沢さんは拍手した。

「その通り。増減水が同じ数値であれば、無数の入り口より一か所の出口のほうが水は動く。そこに大きい魚が陣取る可能性はあるだろう。」

なるほど。数値の裏を考えていけばなんとなく分かる。
目に見える具体的なものを手がかりに、目に見えないものが想像できるのかもしれない。

「おれの秘密を教えようか。簡単な事さ。(中略)肝心なことは目には見えないということさ」

サン・テグジュペリ 星の王子さま 106頁~107頁

僕はシャンプレインシャイナーのタックルから、マスタングのタックルへと持ち替えた。岩盤ギリギリへキャストする。しばらく巻いたが、魚が来る様子はない。

「どうやら浮いてこないようです。」

「夏のバスはサスペンドするからね。おそらく、水温の境目があって、そこの居心地がいいんだろうね。エサになる小魚もそういう場所を好む。」

僕が持ってきたタックルは、たった2本だけだ。マスタングを結んだベイトロッドとシャンプレインシャイナーを結んだスピニングロッドだ。中層にバスがいて、上がってくる様子が無いのなら、届けるしかないだろう。僕はボックスをかき回してみる。ふと気になって平沢さんを見た。平沢さんはロッドを握っていない。僕に釣らせてくれるということか。無言の応援に感謝し、さらによく考えた。

まるで砂漠のような暑い日差しが照り付ける、初夏の昼下がり。僕たちは井戸水を欲しがるように魚を求めている。そして実は、平沢さんは湖に出る前から魚の居場所を知っていた。七滝ダムのどこに魚が集まるのかを知っていたということだ。でもそれは、途方もない失敗や苦難の末に手に入れた、七滝ダムと『仲良し』になったから知っていたことだ。平沢さんのエールに応えたい。

「…これなら。」

僕が手にしたのは、オービタルピリオドのストレートワーム、スネーク6.5だった。細くてシンプルな形状だが、張りが強い丈夫なマテリアルを使っている。ノーシンカーでは浮力が強すぎて水の上に浮く。そしてシンカーを付ければ張りのある素材がサイズ以上に水を押すのだ。今日の謎は、すべてスネークが解き明かしてくれるのかもしれない。

取水等へのジグヘッドワッキー

僕は、1/20オンス(約1.3g)のジグヘッドワッキーリグにして岩盤ギリギリめがけて投げながら、僕は平沢さんに尋ねた。

「ここ、水深はどれぐらいですか?」

「そうだなぁ、取水口付近なら、7メートル前後だろう。」

平沢さんの返事と同時にルアーが着水した。7メートルか。このジグヘッドワッキーなら3秒で1メートルほど沈むぐらいだろうか。10秒も経たずに糸ふけが止まった。僕はフッキングをしていた。糸がふけが止まったのは、バスがルアーを食いあげたからだろう。ロッドの先には確かな生命感があった。慎重にファイトをし、バスを釣った。

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サイズは40センチ弱だったが、すごく嬉しかった。僕は平沢さんに写真を撮ってもらった。その一本で、僕たちは帰ることにした。もう帰る時間が来たのか。この時ばかりは本当に寂しい。しかし、仲良くなるということは、いつか別れがやってくることと同じだ。平沢さんは一本も釣っていないのに、ずっと笑顔だった。何が楽しいのかを尋ねた。

「何度も言うが、大切なことは目には見えない。僕は雪平君にこの七滝ダムの釣りを教えただろう。だから僕は、雪平君の釣りに責任があるんだよ。
そして今日、雪平君が魚を釣った。そういうことだ。」

全国には沢山のダムや池、川があり、魚がいる。そしてそれを狙うアングラーも沢山いる。ただの通りがかりの人からすれば、なんてない釣り人なんだろうが、七滝ダムや平沢さんは違う。釣りの楽しさや厳しさを再び教えてくれたし、仲良しになろうとしてくれている。

仲良しになれるかどうかの秘訣は、相手にかけた時間や情熱、あるいは注いだ愛情だ。失敗もまた、仲良しになるためには避けられない。仲良しになればなるほど、傷つきもする。そして目に見えない色々なことが見えてくる。魚が釣れるようになるために、お金も大切だけど、まずは仲良しになろうと思う。

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