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映画「漁港の肉子ちゃん」を観て焼肉のミスジが食べたくなった話(後半にネタばれあり)

映画「漁港の肉子ちゃん」を観ました。
西加奈子さんの同名小説のアニメ映画化されたもので、小説は未読なのですがタイトルを見た時に頭の中をZAZYが通り過ぎながら「なんそれ?」と言ったような感覚でした。

肉子ちゃんって…
漁港で肉子って、字ずらからくるイメージは「魚肉ソーセージ」。

明石家さんまさんが小説を読んで感銘し、映像化して残しておきたいと制作されたそうで、そこばかり大きく報道されて肝心の作品についてはマスコミでも語られいなかったなと記憶しています。

すでに劇場公開は終わっており、サブスクで昨夜、観たわけです。
正直まったく期待はしていませんでした。

キャッチコピーが炎上した、らしい

一時、宣伝キャッチコピーが偽善的だと炎上したらしい。
劇中の台詞でも出てくる言葉で、一般公開前でまだ誰も見ていない時だったので、複雑な家庭環境の人もいるぞと憂えた一部の人達が、宣伝文句に文句をつけたくなったということです。

私は炎上の件を知らなかったけれど、この出来事で観に行かなかった人もいるだろうなと思います。

焼きイワシを食べながら(匂わせ程度のネタばれあり)

まったく期待せずに、原作本も読んでいない私は、気軽に夕食の焼きイワシを食べながら観ました。
まあ漁港の話だから、魚でも食べようかと。

いったいどんな話なんだろう。

結構ハードな内容のお話ですが、アニメーションにすることでポップに見せながらも、メッセージは伝わってくる。
西加奈子さんの小説は好きだけれど、絶対に手に取って読まないタイトルだけに、アニメーション映画化してもらえてよかったです。

生身の人間が演じる実写だったら、内容が暗すぎて逆に引いてしまう系の映画になっていたかもしれません。
日本の漁港や海の暗さが、演歌の世界にしてしまって東北へ流れ着いた女の涙みたいな… 

演歌を愚弄しているわけではないですが、苦労しまくる肉子ちゃんの悲惨な人生を最初からお涙頂戴テイストにしてしまい兼ねないので。

そこをカラフルでやわらかいタッチのイラストが織りなす世界の物語に昇華されることで、主人公たちの未来を明るい方向へ予見できるのです。


見須子 菊子と喜久子、女の子が3人みたい(本格的なネタばれ①)

宣伝時ではわからなかったのですが、まず肉子ちゃんは本名じゃなくてあだ名でした。
本名は見須子菊子(みすじ きくこ)。
イラストでは年齢がわからず、肉子ちゃんは子どもだと勝手に思ってましたが、娘もいる母であり、当然大人の女性。
そしてイラストだけの判断で勝手に大人だと思っていたもう一人の喜久子(見須子喜久子:みすじ きくこ)が小学生の女の子で、肉子ちゃんの娘でした。
宣伝をちゃんと見てなかったので、勘違いしてましたがアニメーションの表現はなんでもできる分だけ、完成品を観て驚くことも多くそれが楽しいのです。

私は映画を見る時、原作ものの場合は先に本を読まないようにしています。
映画は時間制限があるので、原作のすべてを事細かく映像化することができない場合は、削除部分が発生します。
だからどうしても小説の面白さを超えられないことが多く、先に読んでしまうと幻滅してしまうことも多いのです(個人的見解です)。

映画の前半部分で、肉子ちゃん親子が港町に暮らすまでの経緯が出てくるのですが、わかりやすくかつ肉子ちゃんの人柄も見えてきます。
クズ男たちに騙されまくるのですが、テンポの良さで物語にぐっと入り込めました。


小学生も人間関係で悩んで気づいて成長する(本格的なネタばれ②)

小学5年生の娘・喜久子の学校での女子友達の関係なども共感すぎて、そんなことあったなと自分の小学生時代を思い出させました。
友達のマリアちゃんのバスケともだち分裂事件などは、子どもにとっては大事件だし、私ならどうしていただろう…とか。

同級生たちのキャラクターも魅力的で、女子も男子も子どもたちの心情や友達同士間での立ち位置なども共感です。
そして子どもにだけ動物や自然の声が聞こえるような、違うような、あいまいな感じも。

クラスメイトの二宮くんの存在と、友達同士の距離感も柔軟で良かったです。
二宮くんが作る港町の模型は紙粘土で作っているのかな。
彼の経験や感じたことが日記のように再現されていて素敵でした。

小学5年生の女子という少女から女性へ身体の変化が著しくなる思春期の機微など、全体を通して喜久子の成長物語でもありました。

主人公の肉子ちゃんは、能天気で惚れやすく抜けたところもあるけれど、優しさで作られているような人物。
彼女は母としての顔、焼肉店の店員さんとしての顔、純粋に生きる事を楽しんでいる様がこの物語の鍵になるんだろうなと思いました。
水族館にペンギンを観に行くところなどは、まさにトトロのよう、否、子どものよう。

娘の喜久子が誕生するまでの物語で、幼い女の子の歌声がBGMとして流れるのですが、自然に涙が出てきました。
そこからは、エグイぐらいに号泣。

女の子の素朴な歌声が映像に重なって観客はここで気づくんです。
誕生物語だけではない、肉子ちゃんの優しさに。

なぜ肉子ちゃんが喜久子をひとりで育てることになったのか。
ラスト近くで喜久子が盲腸になって入院するのですが、ここで友人に託された子であることを肉子ちゃんが告白することになります。
産みの親は亡くなったのかと思っていたら生きており、新しい家庭も持って子どもも生まれたと。

自分は生みの母親に捨てられた子なんだという現実が、喜久子に突き付けられた瞬間でした。
望まれて生まれた人間ではないんだと。

ここからは肉子ちゃんが、喜久子が生まれて来てくれたことへの喜びや、産みの母親へのフォローを鼻水も気にせずに喋って、喋って。
嘘偽りからくる言葉ではなく、純粋な肉子ちゃんが喜久子のために聞かせたメッセージです。

炎上騒ぎに乗じた人も、映画を観ればあのキャッチコピーの意味が分かるんじゃないかな。

盲腸になってお腹が痛むことを言い出せなかった喜久子の心情。
優しい大人たちに囲まれながらの暮らしを崩したくない、子どもなりの気遣いも垣間見れる出来事になっています。

最後に…
深読みせずにアニメーションの画たのしむと…

焼肉が、特にミスジが食べたくなります。
焼きそばも食べたくなります。
フレンチトーストも食べたくなります。

あと変顔してしまいます。

【 はな 】

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