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得られなかったが生きていく

かつて私の周囲は心の治安が酷いものであった。もし自分の学生時代に柔和で誠実な人間が存在し、その人となりに接していたらと思うと哀しみが湧いてくる。もはや実生活では決して交わることはないタイプの人を「表現」を通じて知ることができるのは有難い。

誰も頼りにならなかった。誰も助けてはくれなかった。そして自分も彼ら彼女らと同じように誰の苦しみにも寄り添えず助けもしない冷酷な人間になっていた。悲惨は連鎖する。私は独りを貫くことでその連鎖を断つことにした。そう決めた。だから作品の向こうは別世界。

生身では何もできない。断片的な言葉をこぼすことしかできない。

誰からも優しくされないまま育った。私には親族はいても家族はいない。

それでも今、美を愛でながら生き永らえているのは、まずは学生時代に出逢えた恩師の真摯さと温かみを覚えているからに他ならない。

社会人になってからは自分で「稼ぐ」ことにより他者の優しさを当てにしないで済むようになった。そのような薄情な人間にも関わらず、これまでお世話になってきたどの職場でも良くしていただいた(それは現職でも)。

友人はいないが恩人はいる。

そしてTwitterから流れてくる言葉たちも私に生気を与えてくださる。あまつさえこのような至らない人間をフォローしてくださる方々には感謝しかない。

自分が「生かされている」ことを忘れないために、ここに独白を記す。