見出し画像

松本俊彦著"「助けて」が言えない---SOSを出さない人に支援者は何ができるか" 書評-「人間ひとりひとりが生きやすい社会」を目指して

「自己実現」,「自己責任」…昨今の社会はとかくこういう「自己」を強調した単語が並ぶ.受験や就活などはその風潮の極地である.まるで万人が「なりたい理想の自分」などという存在を明確に言語化しなければいけないと言われているようだ.…この傾向を息苦しいと感じるのは私だけではあるまい.もちろん,人権という概念はこれまで国家や家族,社会的偏見といった暴力的な要素を含む存在からどれだけ「自己」を確立するかといった観点で発展してきた.しかしながら,現代社会,および資本主義社会は,今まで確立された「自己」の概念から自身のシステムをより効率良く運用でき,膨張できる要素しか抽出してこなかったように思われる.その結果が,本書で紹介されるようなさまざまなものに依存し,また病気の症状で困っている人が「助けて」と言えなくなってしまう事実であろう.現代社会,および資本主義社会はあらゆる人から物質的にも搾取するし,精神的にも搾取しているということである.

元来,私は人文社会科学に興味があることもあり,奨学金(日本学生支援機構から借りた借金)返済やブラックバイト/企業などで「困っている人たち」を扱う書籍をある程度読んできた.また,SNS上などで度数が高いアルコールや市販薬のオーバードーズが問題となっていることもあり,本書の編者である依存症回復を専門とする松本俊彦医師の名前も耳にしていたので手に取った次第である.
そして,通読した感想としてまず感じたのが,「人間は生きているだけで尊い」という事実と,いかに「自己が持つ偏見を解体するか」という姿勢,そしていかに「自己の弱みを曝け出せる環境/社会を構築するか」という意志である.まず大前提として,人間に「価値」など付けられない.付けられるはずもない.もちろんいくつかの評価指標は存在するが,それは「その物差しで測れるものを測っているだけ」であり当然「その物差しで測れないものは測れない」.また本質的に,その幾らかの評価指標だけ,その物差しだけで人間の「価値」が測り切れるはずもない.金銭的,物質的な評価指標はわかりやすいが,あくまで「わかりやすいだけ」であり当たり前だが,金銭的,物質的な評価指標で測れるものは金銭的,物質的なものでしかない.そう,「価値がつけられない」という時点で人間は「生きているだけで尊い」のである.また,人間が持つ観点や評価軸というものは元来非常に「偏見」に塗れているものである.なんらかの症状を持つ人や,社会的弱者などマイノリティに対する「偏見」は特に顕著であろう.悪意ならまだ解消も容易だろうが,「善意で」その偏見を持つに至っている場合もある.その場合は偏見の解体が困難になるどころか,より強化されてしまう場合もある.

本書で扱われているような,「助けて」と言えないような人たち,そして社会において,人に接するにあたり以上の二つの観点がなければ,他者を抑圧してしまう結果となるだろう.それも,「無意識の」うちに.目の前の他者に接するには,まず「生きているだけで尊い」とある種の無条件に肯定されるべき要素があるという前提に立ち,そして自己の思考がいかに歪んでおり,偏見に塗れており,議論可能性に満ち溢れているかを念頭に置く必要があると私は考えているのだが,本書にてよりその考えが強くなったといえる.例えば,「自己責任論」で言われているような「自己」とは,それこそ定義の仕方など千にも万にものぼり,それによって論説の内容が変化するであろう.…少なくとも,私は「自己」の定義から議論している自己責任論をあまり目にしたことはない.

この世の中すべての事象,存在に対し常にあらゆる観点から議論可能であるということを忘れてはいけない.目の前の事象,存在について自己がどのような視点で見ているのかまず把握することが,「理解」への第一歩だと私は考える.つまりは,本書で挙げられている様な「スティグマ」の解体である.
そして,そのような思考を続けていくうちに,「自己とは,人間とは常に誤りを含むものだ」という結論に至る.人間とは失敗を前提に設計されていると言い換えてもいい.「自己実現」,「自己責任」といった言葉からはなんとなく「強い,自分でなんでも差配できないといけない」といった語感があり,失敗を,ましてや失敗を共有し「弱みをみせる」ことは控えるべきだという意味が感じ取れる.しかしながら,人間は必ず失敗するのだから,失敗しても許容され,戻ってこられる環境/社会を構築した方が「救われる」人間はより増えるのではないか,そう思えてならない.

もちろん,私も「物質的にも,文化的にも豊かな社会や生活」を望んでいる.しかしながら,それは「属する人間ひとりひとりが,生きやすい社会や生活」が大前提であると考えている.その「生きやすい社会や生活」に対し一歩でも半歩でも進むために資する本として,本書をこの文章を読んでおられる読者諸兄に対し薦める次第である.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?