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【表現研】ここではない,どこかあの世界へ

最初に述べておくが,これはごく個人的な文章である.特に結論なども用意せず,ふと浮かんだ考えの連なりをそのまま文字に出力している.下調べも碌にしていないので,他にはない何か独自の視点が含まれているというわけでもない.議論の解像度もおよそ満足しえないものだろう.ただ,私という個人の形成に際しかなり深い問いが存在していることは事実である.


 「表現」−絵画,音楽,建築その他およそありとあらゆる形での表現物があり得るが,ここでは議論が判明となることを期待して現代的メディア表現,つまりアニメや漫画,ゲームなどを主な対象とする.我々は何らかの「表現」に触れたとき,面白いにせよ,つまらないにせよ何らかの感情を発露する.「感想が思い浮かばない」も一種の感情の発露である.しかしながら,そのような感情の発露は,一体どのような「行為」なのか?どんな「行為」によって感情はもたらされるのか?−ありきたりな解答ではあるが,私はそれは「”物語の世界”に没入する」行為であると考えている.その表現が提示する物語の登場人物,背景,メディアや画風や運筆などおよそありとあらゆる要素によって構成される一つの世界,原義に照らせば,一種の「Virtual Reality」である世界に没入しているのである. 

(ここで一つ,個人的な確認から補足しておく.先ほど私は「世界」という,言ってしまえばかなり稚拙な言葉を用いたが,もちろんこの言葉の使用に私は今のところ満足していない.「空間」という語の使用も考えた.しかしながら,それだとどうしても「Space」の無機質な印象から逃れられない.「場所」という語はその点無機質さは排除できるのだが,どうも深みに欠けている感がしてならない.未だ「色」を見ていて本来の意味である「空」かつ「間」を見極められていないだけかもしれない.) 


ただ,「物語の世界」と述べてしまうと,どうしてもこのことが思い浮かんでならない…つまり,その「物語の世界」は一体「どこ」に存在しているのか? 「表現」を生み出した製作者の頭の中だ,と答える人がいるかもしれない.本当にそうなのだろうか?「表現」とは,「物語の世界」とは解釈者の解釈によってその相違が発生する.解釈者という因子を完全に排除することはできないだろう.では「物語の世界」は解釈者が今まで得た経験の総和から構成され演算されているのではという人もいるかもしれない.本当にそうなのだろうか?例えば,魔法や超科学が飛び交う異世界をどうやって今までこの現実で得てきた経験から演繹すればいいのだろう.そのような異世界を扱った「表現」は今まで数多く接してきたという人もいるかもしれない.では,その数多く接してきたという「物語の世界」はどこから来たというのか?私は一体,「表現」を通じて一体「何」を観ているのか?  


前に「物語の世界」は原義に照らせば一種の「Virtual Reality」である,と述べた.「Virtual」という言葉には,自ずから「Virtualではない」原初的な存在が要請される.しかし,「物語の世界」ではその「Virtualではない」存在の姿形がようとして知れない.もしかしたらないのかも知れない,でも,「ある」ことは事実だと思う.

 「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている」(以下,「俺ガイル」とする)というライトノベル作品がある.作品の詳細や感想などは割愛するが,いわゆる青春群像劇モノという範囲に分類されるだろう.私は「俺ガイル」を中学二年生頃に読み,恐らく「人生を変えた表現」上位ランキングトップ3に入るくらいには深い印象を受けたのだが,その時,なんとなく彼ら彼女らの世界が「どこかには存在する」とふと思った.もちろん,(時間軸は比較的幅広く撮れる作品なので別にしても,また「俺ガイル」の舞台は千葉市海浜幕張周辺で私の実家,また出身中学校は明石市周辺である)地理的な要因や各登場人物の特徴などから「ここではない」ことも事実かなとも思った.高校生の頃,東京周辺を一人で一週間ほど旅行する機会があったので,「俺ガイル」の舞台となっている海浜幕張周辺,及びアニメで彼ら彼女らが通っている高校のモデルとなっている学校周辺を散策してみたのだが,その時も「ここではない」なという感想を持った.しかしながら,たまたま「ここ」と彼ら彼女らの世界がすれ違わなかっただけで,より一層「どこかにはある」という実感もより強くなっていった.


 私は結局,様々な表現がもつ「ここではない,どこかあの世界」を知り,どうにかしてそれを目に見える形で出力したいのだと思う.それに際し情報科学が一番大きい知識を提供してくれるのではという直観のもと今の学部も選んだのだろう.もちろん,「ここではない,どこかあの世界」を構成している構造,概念,言語も何もわからない.今,私の手元には幾ばくかの本や論文はあるが,それらの情報を全て統合したとしてもその概要すら掴めないように思われる.まるで三次元の住人である我々の視点から高次元の図形を想像するという行為に近しい.しかしながら,それは確実に「ある」.存在する.「ここではない,どこかあの世界」に思いを馳せながら,私は今生きている. 

参考文献 : 岩波書店「岩波講座 文学(1975)2 "創造と想像力"」,猪野謙二他編集

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