見出し画像

【基礎教養部】ロシアによるウクライナ侵攻と,日本が採るべき選択肢-「現代ロシアの軍事戦略」を鑑みて

まず,ゼレンスキーウクライナ大統領,及び国家の存亡に際し自ら立ち上がった数多のウクライナ国民の人たちに対し格別なる敬意を表します.また,差し迫った生命の危機を感じ国外に避難したウクライナ国民の人たちに対し深く同情いたします.ウクライナとその国民の人たちが,危機からいち早く抜け出し,その生命,財産,名誉を守り抜くことを切に祈念しています.

個人的に,ロシアは思い入れが深い国である.私は10年来の比較的年季が入ったミリオタである,特にWW2~冷戦期に対する興味が強いということもあり,いわゆる「共産趣味」と呼ばれる,旧ソ連時代に代表されるロシアに関する数多のネタには大変笑わせていただいた(笑えないのも入ってるけど…スターリン時代のネタとか……)

また,3年ほど前にサークルの先輩たちと二週間ほどロシアを旅行し,ウラジオストクからモスクワまでシベリア鉄道を乗り通し,そしてサンクトペテルブルグまで訪れた.シベリア鉄道の中では基本的に乗客はみんな暇なので,客は思い思いに本を読んだりスマホをいじったり人と喋ったりして時間を過ごす.私も様々なロシア人や外国人と喋った.例えば,ロシア人の子供にipadを殴られながら強奪されたりしたし,船大工をしているというお兄ちゃんとロシアの音楽や,金正恩は何を考えているかなど政治の話をした.乗客の中には移動中のロシア陸軍の歩兵もいて,ひまわりの種の食い方を伝授されたり半分腐りかけのレーションをもらったりした.そうした牧歌的な「ロシア」を体験したのちに,モスクワやサンクトペテルブルグでは優美で,かつ力強い「ロシア」を目の当たりにした.モスクワからサンクトペテルブルグまで走る気品のある赤に統一された車体を持つ寝台列車「クラースナヤ・ストレーラー」号の芯のある上品さ,ネヴァ川にかかる橋から見た日本では絶対に味わえないサンクトペテルブルグ旧市街の雄大さは今でも覚えている.

さて,そんな私にとって思い入れがあるロシアは,つい先日(執筆時2月28日)全面的にウクライナへ侵攻した.もちろん,私は今回のロシアによるウクライナ侵攻は,国際秩序への重大な挑戦であり,法と公正さ,民主主義や人権尊重といった事項を基本的価値観とする日本国民,及びその価値観を共有する国々の一員として一片たりとも看過する余地はないと考えている.このような,力と威圧で自国の要求を実現しようという行為がもし国際社会に蔓延してしまったならば,私たちが日々享受している繁栄,自由,そして先に述べた基本的価値観は簡単に失われてしまうだろう.

もちろん,これは「日本」という史上類を見ない幸運と国民の努力によって経済発展を遂げた国の一員からの意見というポジショントークでしかない.現在の豊かな生活をこれからも続けていきたいだけだと指摘されれば閉口するしかない.しかしながら,確かに,地域により適応の形は変えていくべきであるけれども,「法と公正さ,民主主義や人権尊重」という価値観は今までにおいても,未来においても確実に,全人類にとり保証されるべきものであり,逆向する行為は絶対に許されるべきものではないと私は信じている.これはまさに私の信念であり,それを譲るという選択肢はあり得ない.これらの価値観のためなら命を投げ出す覚悟があるとは到底言えないが,奪われようとするこの価値観を守るためにどれだけの血が流れてきたか,失われたこの価値観を再び取り返すためにどれだけの血が流れてきたかに思いを馳せれば,そう簡単にこの信念を曲げる気にもならない.

さて,ここまでは理念的な話で,ここからは現実的な,実務的な話である.

「戦争」つまり軍事力による実力行使は最悪の手段であるが,結局のところ政治的目的を実現する究極的な手段でしかない.その意味では戦争は常にその目的とその必要性,発生する損益を鑑みる必要があるのである.確かに,ロシアの目的,つまりロシアの安全保障環境を改善するためにウクライナのNATOからの離間を図るという目的は確かに理解できる.しかし今回の戦争に伴う損害,例えば国際決済網からの排除などはそれこそ国家経済の存亡に関わるし,安全保障という目的を達成するために国家の運営を脅かす「戦争」という手段を取る合理性は私の中では見つけることができなかった.

また,今回のロシアはおおよそ対外的には到底理解できない大義しか掲げていない.その内容の稚拙さは本当にあのソ連の後継国家かよと思うほどである.故に,世界中に暴力を振りまいたとしても,卑しくも「自由や正義や民主主義を世界に輸出する」というある種子供じみてはいるが理解はできなくもない大義は掲げていたアメリカの行為と現在ロシアが行なっている軍事侵攻は一線を引かれるべきである.

日本の安全保障に関しても,ロシアによるウクライナ侵攻は見過ごせない事象である.つまり,今回の侵攻は台湾有事や沖縄有事と極めて類似する事態であり,ここでの日本の対応如何によって有事の際NATOやEU諸国からの支持や支援を受ける円滑さが異なってくる.ロシアや中国共産党政府に代表される自己の権力のためなら権利を強力に抑圧する態度を隠さない国々に対し,「法と公正さ,民主主義や人権尊重」という価値観を守りきる覚悟を示しておかねば,有事の際におけるNATOやEU諸国の信頼を失ってしまうだろう.様々な国による連帯の威力は,今回の侵攻に関するNATOやEU諸国の対応を見れば明らかである.また,純軍事的,純政治的に見ても伝統的に優れたインテリジェンス能力を持つイギリス,独自の路線で外交を行えるほどの政治力を持つフランス,安全保障関連の技術力に長けるドイツ等と連携を深めることは中国共産党政府やロシアといった基本的価値観を全く鑑みない国家や政府と対峙していく上で意義が深い.

話が長くなってしまった.本題に入ろう.今回のロシアによるウクライナ侵攻に対し個人レベルでできる有効性の高い行為はただ一つ,「理性的(rational)に情報を集め,理性的に判断する」こと,平たく言えば,考え続ける姿勢を取る行為である.先ほど私はロシアのことを強く批判したが,だからと言ってロシアに住む個々人の人に対し非難する気は全くない.むしろ,侵攻に伴う経済の混乱を想像し同情すら覚える.ある国家と,そこに住む人々に対する志向を分けて考えることができない人をよく見かけるのであるが,それは理性的でない判断であるとしか言えない.どのような国家に関わらず,大抵の国の大抵の人は「いい人」である.まあ「地獄の道は善意で舗装されている」という格言も存在するが.

また,なるようにしかならないなどと思考を放棄する判断もまた理性的ではない.客観的に見て,ユーラシアから太平洋を抜ける途中に位置する日本は地政学的に極めて重要な位置にあり,またその国力はいくら停滞しているとは言え世界有数の規模を有し,軍事力(各自衛隊の正面戦力)もまた世界有数の規模がある.そのような国の国民として,国際秩序を根底から揺るがすこの事態に関し態度を明らかにしないのは,国際社会における責任の放棄と言っても過言ではない.いわんや,大学という高等教育を受けられる幸運に浴する人においてはその責任の放棄は許されるべきではないだろう.もちろん,意見の内容,及び質の是非はここでは問わない.自分なりに思考して,意見を表明する行為自体に価値があるのだ.

今回の侵攻によって,つい数年前まで牧歌的でさえあったもはや世界史の流れは根底から覆り,剥き出しの力による威圧が飛び交う19世紀以前の帝国主義時代に戻ってしまったかのように思えてしまう.そのような世界では,自国の生命,財産,基本的価値観を守る確実な方法は存在しない.常に思考を巡らし,情報を仕入れ,自国の国益を確保するために最適な判断はどういうものなのか考えるより他はない.まさに「武器を使わない戦争」の形容が似合う,情が入る余地など欠片もない世界である.ただ,本来外交とはそういう行為なのであり,「〇〇は親日国だから」などという何の価値もない情報に触れて一喜一憂しながら行う行為では絶対にない.ある意味,日本はそう言った「外交」についてあまり考えずに過ごして来られた幸運な国ではあったが,もはやその幸運も期限切れであろう.

そして,全ての事象に共通することであるが,何をするにしてもまず行うべきことは「敵を知る」ことである.この「現代ロシアの軍事戦略」は,ロシアが今何を考えどういう行動をしているのかを把握するのに大変役に立つ良書である.今回のウクライナ情勢について日々真偽不明かつ大量の情報に圧倒される前に,まずはこの本を手に取ってみることを勧める.


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?