禁断の恋というジレンマ。

 おそらく、今は精神的な性の理解の過渡期にあるのでしょう。そして、映画の製作者も長らく性的マイノリティを題材にしてきた。

 最近思うんだけど、そろそろ性的マイノリティを題材にするときに禁断の恋やら愛とかいってると取り残されてる感が出るのでは?(『アンモナイトの目覚め』の予告編でたしか言ってて気になった。)

 僕個人の意見だけど、なんというか、もう珍しいとかじゃなくて、ある種普通の話になってきてると思うんですよ。僕からしたらそれだけじゃそろそろ薄いな~と思うレベル。多分色々学んで僕の中で珍しいことじゃないなと思ったからで、良いことなんじゃないかなと客観的には思ってるが。そんな珍しそうに取り上げるものではないと思ってるし、未だに主題だと思っちゃう制作側は少し時代遅れなんじゃないかなと。

 ……と書いてて思ったけど、『アンモナイトの目覚め』は古い時代だから当時そんな理解さらにないのかな。当時目線でいえば禁断とは言えなくもないけど、うん……。なんか、最近こういう映画が多くて、もしや上の人たちが未だに物珍しさから製作にGOサインを出してるのではないかと気になっただけである。

 よくよく考えたら、今も差別を受けてきた黒人を題材にした映画が多く撮られてるね。このような差別があったという歴史を描く映画は、今の社会にどう差し向けられているのか。今の社会情勢とは切り離されて『酷い時代があったけど今はよくなった』と明示するのか。それとも、まだ作中の問題は無くなっていないのか。悲しいことに、おそらく後者が大きいんだろうな。最近もBLM騒動もあったしまだ解決とはほど遠い問題なのかな。僕は関心が薄くて、昔よりマシになったんじゃないかなと思ってたけど、なんか同じこと繰り返してね?世界。

 話が逸れたけど、言いたいのは、もし、性的マイノリティを主題(ありふれたこととしてとらえずに、作中で最も注目されるという意味)にして、それこそオスカーなんて取ったら、世界が変わった……!と思うと同時に、これで賞とっちゃうとはまだ理解進んでないのかな……?と思ったりしそう。現状だとね。具体例を思いつくわけではない。だけど、なんか普通にあり得そうだなと。

 「今は完全に無くなったけど、忘れてはならない歴史」として映画が機能してくれる未来が来てほしいね。差別とか題材にしてるなら。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?