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不敬なる親愛? ――昭和における「天ちゃん」呼称について
ナレーター「天皇陛下、縮めて「天ちゃん」。この国の不思議な不思議な象徴。歴史、文学、思想、政治の至るところで、その姿を見ることができる」
畏れ多くも天皇陛下を「天ちゃん」呼ばわりするとは何事かッ! とぶん殴られそうな、「天ちゃん」という呼び方。これは戦前から存在した。公式の場で言ったり活字にしたりはできないが、人々の会話の中で散見された言葉で、戦後になってようやく活字の上に現れる。
論説や文学に出てくる用例を少し見てみよう。
天皇陛下のことをいう場合にも「天スケ」だとか、「天ちゃん」などの言葉が巷間によく使われるが、あれは親愛の情をあらわすものとしてよいかもしれぬ
会社では、長屋をまわって奉迎書名をとろうとしたが、「天ちゃん一人がなんだい。そんなことでさわぐ金があるなら、長屋の便所でもなおしてくれよ」と、便所をなおさせた
何しろ、マッカーサーってのはお天ちゃんよりえらいんだ。さからっちゃいけねえ
「天ちゃん」は天皇を好きな人も嫌いな人も使っており、前者の場合は親しみが、後者の場合は侮蔑が込められているのは言うまでもないだろう。そして、そこまで好きでも嫌いでもないが、ほどほどに天皇を軽く見つつ、天皇制に反対する訳でもない層の人もざっくり使っている。
続けて、戦前の用例を知る手掛かりとして、強固な尊王思想を持つ歴史学者の回想を見てみよう。
学生に至っては天皇陛下とか天皇という言葉を使わない。天ちゃんです。これはかなり失礼なことばですね。みんなそれを笑いごとにしておったという時代です。それはまだいい。自由主義者のやることで、もっとひどいのは、もっとひどいことを考えていたでしょう。共産革命を企図するものがおる
これは1932年ごろの出来事を語る中での発言である。「天ちゃん」呼ばわりを「かなり失礼なことば」としつつ(それはそう)も、「それはまだいい」と、意外にも寛容である。皇国護持の信念に燃える「忠臣」でもなければ、共産主義を奉じて皇国転覆を企てる「逆賊」でもない、その中間の「自由主義者」をよしとしないまでも、彼らの天皇への親しみの念(そこに天皇の軽視が入っている場合もあるにせよ)は認めていたかのかもしれない。
本稿では、戦前から戦後にかけての「天ちゃん」呼ばわりに関わる言説を、特に体系立てるでもなく、面白いものを拾って紹介していきたい。
軍隊の「天ちゃん」
わりと平気に「天ちゃん」なんて海軍士官が言っていましたからね。生き神様だと思えって言ったって、狭い軍艦の中で「ぼくはタバコは喫わないから」なんて陛下が言われるのを聞いていると、現人神と思えと言われても思えないですよ
阿川弘之は1920年生まれ。1943年に海軍少尉に任ぜられた。対米戦争中の海軍でも「天ちゃん」は「天ちゃん」だったのである。
戦争中「天皇陛下のおん為に」で死地に追い込まれ、奇蹟的にはい上がってきた連中は、よくわかっていると思う。捕虜友達が、よく“天ちゃん”という言葉を使う。私には、それが罵倒や憎しみの言葉とはとれない。ロボットはロボットだが、あんなことにされちゃってかわいそうに、といった人間的なあわれみが感じられた。私は、ロンドンの場末の酒場で、死んだジョージ六世が「オールド・ジョージ」と呼ばれているのを聞いた。「ジョージのやっこさん」というところだ。“天ちゃん”の呼び方に、もうちょっと明るさが入ったのが、“オールド・ジョージ”だと思う。このくらいの親しみがなければ皇室制度は必ず失敗する。
著者は戦争中に日本兵捕虜と親しく交わった人物。なお、国会図書館本には、この引用文のくだりに鉛筆で印が入れられている。図書館の本に落書きした不届き者氏の明察は、ここを君主制を考える上で重要な記述だと見抜いたのであろう。
学校の「天ちゃん」
授業の時間でも、陛下の話となると、話す方も聴く方も不動の姿勢をとった。しかしこれもいわば習慣的儀礼式にそうしたものであり、天皇を神だと思ってそうした人は、中学の高学年以上では余り多くはなかったのではないか。というのは、生徒同士の間では、天皇のことを「天ちゃん」と呼ぶことが多く、それは、侮辱的ではなく、むしろ親しみを込めた愛称であったからである。
筆者の関嘉彦は1912年生まれの法学博士、参議院議員。
荒又 ある人から聞いた話です。旧制中学の連中が、人に絶対に聞かれてはならないことですけれども、自分たちの間では天皇陛下のことを「天ちゃん」と呼んでいたということを後から聞かされて、私なんかは、驚天動地でした。そういう心の余裕は我々にはなかったですね。
田中 小学校五、六年のときに友達とよく議論したんですが、その問題の一つは、天皇もセックスをするんだろうかということです。天皇は神だと教えられたけれども、しかし、彼には子供がいるし、一体どうなっているんだろうということです。この問題は難しくて頭を悩ませたものでした。
これは札幌学院大学で開かれた座談会である。荒又重雄は北海道大学の経済学者で1934年生まれ。
対談相手の田中一は札幌学院大学の物理学者。彼の小学生時代は1931~1937年であるため、彼が天皇のセックスについて学友と世紀の大論争をしていたのは1936~1937年ごろにあたる(注1)。(田中の発言は「天ちゃん」呼び用例とは関係ないが、戦前の子供の天皇観の一事例として参考に供するため(不敬ながら)引用した。『古事記』のイザナギとイザナミの国産みや、『日本書紀』雄略天皇の記事(元年三月)を国定教科書であけすけに教えていれば防げた論争である)
おわりに
簡単ながら、以上で「天ちゃん」を巡る旅は終わりとしたい。他にも、ほのぼのした用例から不敬極まりない用例までたくさんあるので、興味のある方は国会図書館デジタルコレクションで「天ちゃん」と検索してみてほしい。
注1:偉い人の生理現象について
「アイドルはウンコしない」式の“偉い人信仰”が戦前にもあったことが分かるお話である。余談がてら、別の史料も見てみよう。
時は日中戦争時。敵兵の狙撃を防ぐため、用便をみんなの見えるところでやれと命令したものの従う者はなく、それを憂えた旅団長・牛島満少将が率先垂範、自らみんなの前で排便をしたときの話である。
なにせ、少尉以上は神様みたいな顔をしている軍隊だから、少将閣下は神様と同じだ。そのころの子供は、小学校に入りたてのとき、先生はウンコもオシッコもしないと思っていた。先生ほどの偉い人が、ウンコやオシッコなんてするはずはない、と思っていたのである。兵隊の場合はみんな大人だから、閣下も他の大人同様、排泄することぐらいは知っていたが、心情的には子供が先生を考える場合と同じように、自分たちよりはるかに高い存在と考えていた。
それ以後、みんな道端で排便するようになり、牛島旅団から用便のため敵に殺傷される者はなくなったという。『今昔物語』にでも出てきそうな説話である。
著者の小松は1916年生まれ。相対的に「リベラル」とされる大正デモクラシー期の教育も、偉い人はウンコしないという、児童たちの心情を根本から変えることは困難であったらしい。
余談 「天ちゃん」と「アメちゃん」
本日は7月7日。七夕の日であり、盧溝橋事件の日であり、ゲーム「NEEDY GIRL OVERDOSE」の主人公「超絶最かわてんしちゃん」、略して「超てんちゃん」の誕生日である。「超てんちゃん」の本名は「雨(レイン)」で、通称は「あめちゃん」である。
一方、「天ちゃん」の用例とセットで「アメちゃん」という言葉が出てくる史料も存在する。何といふ奇遇であらうか! と思ったので(は?)、蛇足ながらそれも紹介したい。
アメちゃん、天ちゃん、アメリカの番犬の召し使い、戦争挑発者、こんな言葉は、さいざんす位のばらまきものの価しかないと思ったりする。戦争に敗れた時文化国家を立て看板としな、戦争放棄を世界に宣言しながら、外貨導入の金で兵器を生産し、その兵器と黄変米とを交換し、それを国民に配給する
中野鈴子は1906年生まれの詩人で、プロレタリア作家・中野重治の妹であり、自身も日本プロレタリア作家同盟に加入していた人物である。この引用は、吉田茂批判の中にある。「天ちゃん」は「アメちゃん」と並べられ、敵意を向けられている。「NEEDY GIRL OVERDOSE」で「あめちゃん」がインターネットを救う為にやってきたという天使「超てんちゃん」に仮装して動画配信を行うように、中野にとって「天ちゃん」は「アメちゃん」の分身的な傀儡だったのであろう。
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