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家永三郎は晩年、吉田清治の慰安婦ねつ造に関して後悔していたかもしれない。

 家永三郎は晩年、吉田清治の従軍慰安婦のねつ造に関して彼自身も後悔していたのではないか?

 家永三郎も吉田清治に関して何もコメントを残してはいなかったが、彼自身も吉田清治が済州島で慰安婦のねつ造が発覚した際に私の大学で教鞭を取っていた芹沢長介のような気持ちになっていたのではないか?と思った。

 家永三郎ももちろん歴史学者であり、かつては日本古代史や考古学もそれなりに学んでいたわけであり、私のいた東北福祉大学が関与したFの遺跡ねつ造事件ももちろん知っていたと私は思う。

 家永三郎の晩年の汚点の一つに吉田清治のねつ造本である『私の戦争犯罪』の記事をそのまま載せてしまい、吉田証言は真実であるということをそのままにしてしまったことは残念ながらあるのではないか?

 家永三郎は済州島4・3事件を熟知していてが吉田清治のねつ造に乗せられてしまったのか?

 家永三郎自身も吉田清治がも慰安婦ねつ造はしていない、ということを信じてしまったことの理由の一つに彼自身も知っている韓国・済州島4・3事件の影響もあったのだろう。

 大韓民国建国当初に極右の西北青年会が済州島の住人を金日成を信奉する共産党の手先ということで虐殺事件を繰り返した韓国現代史の暗部を家永三郎は熟知していたと思う。

 済州島4・3事件に協力した済州島の韓国人が実は戦前に親日派で日帝36年の手先になって従軍慰安婦や徴用工に協力していた、と考えていたと彼自身も思い込んでいたのではないか?

 戦前は日帝に協力した親日派の済州島の住民が戦前は従軍慰安婦や徴用工問題に暗躍し、戦後の韓国では反共の極右テロ集団の西北青年団に協力して日韓癒着の悪しき人脈が今度は済州島4・3事件で暗躍したのではないか?と家永三郎自身も誤解してしまったのではないだろうか?

 そのような折に吉田清治が実は済州島で従軍慰安婦や徴用工の強制連行があったというねつ造を思いついて大々的に左翼メディアで好意的に取り上げられたのを知って家永三郎自身も吉田清治の慰安婦の記事は本当だと思い込む間違いをしてしまったのではないか?と思う。

 実際、吉田清治自身もねつ造した済州島での慰安婦強制連行の記事を見事なマスコミPRのように利用して、韓国に謝罪の石碑を立てることで遺跡ねつ造事件のFのような振る舞いをしていたのだが、家永三郎自身も吉田清治が韓国でねつ造事件をおこして石碑まで立てたことに対しては後悔の気持ちもあったのではないだろうか?

 残念ながら家永三郎も吉田清治に関しては語ることもなく、彼がねつ造した従軍慰安婦の記事を『戦争責任』で正しいことであると権威付けのように評価してしまったままになっている。

 家永三郎自身も私の大学の周囲でおきたFの遺跡ねつ造事件も知っていたが、寄る年波というか、最晩年で遺跡ねつ造事件に関しても彼自身の立場から発言する気力もなくなっていたのだろう。

 家永三郎も慰安婦ねつ造事件も遺跡ねつ造事件も事件は事件として知っていたが、周囲に語る力を失っていたような気がする。

 歴史学者の家永三郎の晩年は考古学の芹沢長介の晩年に似ていたのではないか?

 教科書裁判で左翼の大御所だった家永三郎も晩年、吉田清治の慰安婦のねつ造の影響で心は残念ながら穏やかだったとは到底、思えない。

 東北福祉大のに考古学教授だった芹沢長介の晩年もねつ造事件の影響で後悔まみれだったように、家永三郎もまた吉田清治の従軍慰安婦ねつ造事件の影響で後悔は相当、あったのではないか?

 芹沢長介は自称考古学者Fのねつ造をうっかり称賛し、日本には北京原人より、優れた日本原人が存在していると称して自分の研究の成果を自画自賛していたが、残念ながら日本原人説はFのねつ造であり、Fが第二の相沢忠洋になりたいという野心の果ての創作でしかなかった。

 同じように家永三郎も吉田清治の済州島で従軍慰安婦や朝鮮人の強制連行説もFの考古学のねつ造事件と同じ本人の名誉欲から出た学問上の間違いであって、吉田清治も自分の私利私欲のために家永三郎自身の権威を利用してしまい、家永三郎自身もまた、吉田清治のねつ造を見抜けなかったことに対しては悲痛な気持ちを持ち続けていて、周囲に事件の真相を語りたくなかったと私は思う。

 吉田清治と考古学者の双方を同時代人として家永三郎ももちろん知っていたと思われる。

 Fの事件のことも取り返しのつかない誤謬であり、同じような誤謬が立場こそ違えど吉田清治のねつ造のせいでもたらされた、となれば家永三郎自身も晩年は苦しみと苛立ちしかなかったのではないか?

 晩年、芹沢長介は『波乱の考古学を問う』ということで考古学の遺跡ねつ造事件に関して苦渋に満ちた雑感を書いていたが、同じような心境を家永三郎自身も吉田清治のねつ造事件のせいで味わっていたのではないか?と思わずにはいられない。

 家永三郎の晩年の人生を貶めた吉田清治のねつ造

 吉田清治の韓国・済州島の慰安婦ねつ造事件に関しては家永三郎の晩年の業績を貶めた行為ではないか?と私は思う。

 吉田清治が従軍慰安婦の事件に便乗して、左翼勢力の戦後補償問題に寄生するかのように慰安婦問題を利用し、勝手に謝罪碑を韓国に建立していたとなれば、Fの遺跡ねつ造事件と同じような酷い事件だったと批判が出てもおかしくはないだろう。

 Fが考古学で相沢忠洋賞をもらっただけでは飽き足らなくなり、文化勲章を欲しがったように吉田清治も家永三郎に評価された慰安婦問題のパイオニアになり、左翼文化人の大御所として君臨したいという野心を抱いていたとしか私には思えない。

 Fが著名考古学者の芹沢長介との関係を利用して日本の考古学でねつ造事件を繰り返し、海外でも最悪の事件と激しい批判を浴びたように吉田清治も従軍慰安婦問題に便乗してねつ造のために家永三郎の権威を利用したとなればやはり吉田清治のねつ造事件はお世辞にもいい事件とはいえない。

 吉田清治の慰安婦ねつ造事件は残念ながら教科書裁判で国際的にも有名な左翼学者の家永三郎の晩年を貶めた悪しき事件だったと考えてもいいのではないか?

 もちろん、一部には吉田清治の従軍慰安婦の告発記事がねつ造ではない、という反論が出ていることは否定しないが、残念ながら吉田清治のねつ造した一連の慰安婦や徴用工に関する謝罪事件も考古学者Fと同じようなタイプの知恵のある用意周到なねつ造であり、残念な事件だっというしかない。

 私個人はFのねつ造した土器・石器に考古学の権威であった芹沢長介が騙されたように、家永三郎もまた、吉田清治の手の込んだ従軍慰安婦ねつ造事件の記事に騙されてしまい、晩年は家永三郎本人からも後悔は消えなかった、と思わずにはいられない。

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