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ドイツ語ゼロなのに、いきなりステージに立つ → でも、なんとかなった

前述のとおり、僕は生まれこそドイツですが、幼稚園に入る前に日本へ帰国し、小学3年の夏に再びドイツに戻ってきました。生まれた頃のドイツの記憶は当然なく、自我が芽生えたのは日本であり、最初に覚えた言語は日本語。そのため、1983年にドイツに戻った時は、ドイツ語をゼロから学ぶ必要がありました。その状況を鑑みて、現地校は学年を一つ下げて、小学2年に編入しました。1989年9月のことです。

初登校でいきなりピンチ

そんな僕を、いきなり試練が待ち受けていました。現地校に編入した早々、歌とダンスのお披露目会が開催され、自分も参加することに。 しかもそのお披露目会は学校内ではなく、そこそこ収容量のあるコンサートホールで開催されるというのです。

歌詞や振り付けを知らないのはもちろん、ドイツ語などまったく解せない状況です。なので、リハーサル中に先生から細かい指示が容赦なく飛んでくるも、理解できるわけがない。今思えば、先生はよくも、こんな僕も参加させようと決断したものです。まぁ、曲が短いのであれば何とかなるのでしょうが、その歌、長い!5分もある。夏休み前から、つまり、1年生の頃から練習を重ねてきたであろう同級生が余裕の演技を見せるのに対し、自分はただただ困惑するばかり。始まったばかりのドイツ生活、さっそくつまづくか?!

ピンチはチャンス

・・・と思いきや、結局なんとかなりました(なんとかしました)。どうしたかというと、ドイツ語の歌詞を短期間で覚えるのはさすがに不可能であったため、本番ではずっと口パクで通し、ダンスは見よう見まねで乗り切ったのです。その結果、ダンスについては回りの子と比べ、動きに1秒ぐらいの差が生じていたのでしょうが、全体的に見て違和感はなかったのかな、と。

大人にもなれば、この程度の困難はいくつも克服するものですが、子どもであった当時の自分にとっては、まだ右も左もわからず、相当ハードルが高かったのではと、今では思います。この時点で、ドイツでの生活が嫌になってしまう可能性だってあったはず。それでも乗り越えようとしたのは、「こんなことで怖気づくわけにはいかない」と、子どもながらに思ったからでしょうか。

その答えはもはやわかりませんが、今、自分の子ども達と同じ歌を歌う度に、当時の記憶が鮮明に蘇るのでした。まぁ、さすがに振り付けは忘れましたが(笑)。

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