成長の呪縛

人類資金

福井晴敏、講談社文庫

    資本主義は、成長し続けなければならない、という呪縛に囚われている。
 経済や金融に疎い私は、『人類資金』を読んで初めてこの呪縛に気がついた。

国家も企業も個々の家庭も、右肩上がりを続けるという前提の下に組まれた資本主義社会には、もとより根本的な欠陥があったのではなかったか。(中略)
この世に永遠に成長し続けるものなど存在しない。(中略)
成長し、発展し続けることによって未来を保証されてきた資本主義社会は、その未来が担保価値を喪失したいま、投資対象にはなり得なくなったとでも言うように。
引用元:人類資金、福井晴敏、(2015) (合本版の電子書籍につき巻数、ページ省略)

 この小説の物語には神と呪縛が大きく関わってくる。神は、呪縛を与え、また解放する。そしてこれは連鎖していく。
 明治天皇は、玉音放送によって国民に呪縛与えた。フィリピンでM資金を奪ったマレーの猛将、山下奉文はこの呪縛を受け、M資金の呪縛を笹倉雅実に託す。この呪縛は物語の中心となる笹倉一族に脈々と受け継がれ、貧国の王子である石、詐欺師の真船などにも伝染していく。伝染の過程で各々が神となり、当人を啓蒙する。呪縛と共に。
 物語で呪縛は、個人を超え、血縁を、組織を、人種を、思想を超えていった。ときに活力を、ときに不自由を与える呪縛は、個人の生き方に大きな影響を齎していた。
 我々も、もちろん個人によって異なるものだろうが、大なり小なり呪縛を纏って過ごしているのではないか。それも、連々と受け継がれてきた呪縛を。

 私の中にある呪縛に思い巡らす。1つ思い当たった。
 それは、資本主義と同じく、成長の呪縛である。例えば、
・就職せず理系の院に行くのに脈絡なくビジネスコンテストに挑戦する
・Webライターの有給インターンに飛び込む
・学科の役員になってみる
・ころころとバイト先を変え様々な業務を経験する
 無意味とも言える挑戦。全ての原因を委ねるつもりは毛頭無いが、自分を成長させようとする呪縛かもしれない。

 この呪縛は恐らく、数年前の恋人によってもたらされた。
「口にした目標くらいは成し遂げろ」
「努力を怠るな」
「私と付き合ったことで、君を駄目にしてしまったと思わせないで」

 これらの言葉に、自分で深く納得したからこそ呪縛は今でも続いている。無為に自分に負荷をかけるような挑戦を続けてきたが、どれも結果を残し、成長に繋がったと思う。自分が壊れない程度の、心地よい呪縛、これを持ってから少し強くなった。
 みなさんも、一度自分の呪縛を見つめ直すと、思わぬ人に繋がっているかもしれません。


あとがき

 自分に呪縛をかけた人の呪縛はどこからきているか考えるのも面白いと思います。







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