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ハイソサエティ

21歳の時だ。
赤坂にある有名な能楽師の家の前でバイクが壊れたことがあった。
夏だったと思う。汗を流して一生懸命に修理をしていると能楽師の御内儀さまが出て来て助けてもらった。当時はまだ携帯電話はショルダーフォンの時代。電話を拝借して、救助を求めた。

身分の高い人はツンケンしているという印象があった。それなのに下賤な私に温情をかけてくれ、優しくしてもらったことに感動した。
その能楽師の近所には普通のおばさんになった演歌歌手や100歳まで映画を撮り続けた映画監督、柔道物のヒットドラマで鬼コーチを演じた俳優も住んでいるが、同様に優しかった。

反対に、私と同じ下賤な民は妬み、僻み、やっかみが多くて付き合うのに苦労した。

カネを持っている、身分が高い、責任のあるポジションに居るというのは精神的に余裕があるのだろう。

そういえば、ノブレス・オブリージュという言葉がある。高貴なる人は社会に対しての責任を追うべきであるという考えだ。諸外国ではそのような人は積極的に社会貢献をしている。

しかし、本邦を顧みれば、金持ちは自分の実力だけでのし上がった、底辺にいる者は努力不足、自己責任と言う人が多くなった。嘆かわしい。
その金持ちも、ビンボー人も払った税金で整備されたインフラを利用してたまたま運良く成功したに過ぎない。

人生はほぼ100%運だ。そういうと「いや、努力だ」などと反論する人がいるが、第二次世界大戦下のヨーロッパで生まれたユダヤ人だったらどんなに努力をしようと思っても叶わない。産み落とされてすぐに捨てられる子供も世界にはまだたくさんいる。その人達は努力のしようがない。
私達は幸いに平和な時代に日本に生まれた。それは自分が努力したからではなく、運が良かっただけだ。

政界、財界に跋扈するカネと権力の亡者ども、いずれ裁きを受けるだろう。首を洗って待っているがよい。




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