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映画学校の是非について考える

映画関係者の中には、映画学校は不要であると考える人が一定数存在する。
そして、映画学校においても講師が「映画は教えられるものではない」という発言をすることが多い。

かつて、映画人の育成は撮影所が担っていた。東大や京大といった一流大学を出て、映画会社の撮影所に助監督として入社して、師弟制度、徒弟制度のなかで映画監督が生まれてきた。撮影技師や編集者も然り。
しかし、映画が斜陽産業となり、撮影所システムが崩壊すると映画人の育成は外部の学校が担うことになった。

現在、日本では日大藝術学部を筆頭に、日本映画大学、そしてその他の映画製作のコースがある大学や専門学校が映画人を育成している。

テレビジョンの世界ではまだ育成のシステムが生きているが、これは社員として放送局に入社した者が対象で、番組制作会社に入社した者は現場で経験を積んでディレクターや各分野の専門職を目指すことになる。

このような現状においては、映画学校は必要不可欠である。現に映画を全世界に輸出している米国においては映画教育が盛んだ。多くの先進国では官立の映画専門大学が存在するが、日本では東京藝術大学の大学院に映像研究科があるが、これは純粋に映画人を育成する教育機関とは言い難い。

このように、日本では映画教育が手薄いことから優秀な映画人はなかなか生まれてこない。そのため、日本映画を海外に輸出して外貨を獲得することは稀だ。ましてや海外の映画賞で賞を取ることは新聞記事になるくらい珍しい。

日本にも国立の映画専門大学が必要だ。そして、映画産業に対して十分なカネを注ぎ、日本映画を世界に出せるレベルまで引き上げる必要がある。
映画を志す若者が、映画だけで十分に生活できるようになれば、日本の映画の質は向上するだろう。このまま斜陽産業で終わるか、あるいはテレビ局と組まなければ映画が作れない現状に甘んじるか、それとも映画が立派な産業になるかはこれにかかっている。ちなみに映画の市場規模はおよそ2,200億円。これはヨーグルトの市場規模よりも小さい。

本場のアカデミー賞を取った韓国映画『パラサイト』は模倣版の日本(テレビ)アカデミー賞で満足している日本人には衝撃が走ったと思う。韓国には、当然のように国立の映画人養成機関がある。
もちろん、中国やインドも然り。日本映画は本当に衰退してしまうだろう。


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