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映画学校の意義

私は一貫して映画人になるなら映画学校へ行くべきだと言ってきた。
今日はその理由の一つを書いてみたい。

全国には映画や映像を教える学校はたくさんある。しかし、多くの学校ではビデオで映画を作ることを学ぶ。私は古いタイプの人間なので、ビデオで作った作品を映画と呼ぶのは抵抗がある。
日大藝術学部と日本映画学校は今でも頑なにフィルムで撮影する授業がある。日大に至ってはフィルムの現像もやると聞いたことがある。


映画の基本はフィルムなので、これはとても重要な授業だ。映画は1秒間に24コマの静止画を連続して回して画が動いているように見せる。一方、ビデオは約30コマの静止画を撮る。もちろん、ビデオキャメラには24コマで撮る機能はある。そして、あたかもフィルムで撮ったかのような質感を作り出すことが出来る。これはこれで素晴らしいことだ。

問題はここからだ。現在、多くの映像作品はビデオやデジタルシネマで作られる。これは予算がフィルムよりもかからないからだ。だが、フィルム撮影にこだわる監督が少数だがいる。そんな現場に入ったら、フィルム撮影を経験していない独学で学んだ人は圧倒的に不利だ。

現在、フィルムで撮影される映画の殆どはイーストマン・コダック社のフィルムが使われる。コダック社の発表によると映画用にフィルムの出荷高は年々増加しているそうだ。カネと手間をかけてでもフィルムに戻ってくるクリエーターが多いということだ。

映画学校でフィルムでの撮影を経験しておくと、いつかそれを使うチャンスがやって来るかもしれない。そしてそれはハリウッドでの撮影かもしれない。そうなると、本場のアカデミー賞も夢ではない。

亡くなった映画監督の新藤兼人は撮影所の現像部門で映画人としてのスタートを切った。その時、フィルムを光に透かしてみて便所の落し紙として使われていたシナリオのあの場面がこの様になるのかと驚いたそうだ。
ディスクやメモリーカードは機械にかけないと中身が見えない。それらを光に透かしても、映画的な発見は絶対に出来ない。


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