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【地方紹介5】ブルターニュ地方

 <地方データ>
■【francerでの地方名呼称】:ブルターニュ地方
■【旧地方圏区分/地方庁所在地】:
ブルターニュ地方(Bretagne)/レンヌ(Rennes)
■【現地方圏区分/地方庁所在地】:
ブルターニュ地方(Bretagne)/レンヌ(Rennes)
■【旧地方圏区分における所属県と県庁所在地】
●コート・ダルモール県(Côtes d’Armor /22)県庁所在地:サン・ブリウー(Saint-Brieuc)
●フィニステール県(Finistère /29)県庁所在地:カンペール(Quimper)
●イル・エ・ヴィレーヌ県(Ille et Vilaine /35)県庁所在地:レンヌ(Rennes)
●モルビアン県(Morbihan /56)県庁所在地:ヴァンヌ(Vannes)
 
★地方概要★
 
まわりを海に囲まれ半島のような形になっているフランスの北西部、ここがブルターニュ地方です。フランスの端というだけであれば、北はノール・パ・ドゥ・カレー、北東はアルザス、南東にプロヴァンス、南西にアキテーヌやミディ・ピレネー地方がありますが、ブルターニュはこれらの地方とは根本的に異なる部分があります。他の地域は後から引かれた国境線によりフランスの端にはなっていますが、ヨーロッパ大陸で見れば、他の国々と繋がっており、アルザスのストラスブールといえば、国境の町でありながら西欧を見渡せば、ちょうど中心の位置にあることがわかります。しかし、ブルターニュは北も西も海。名実ともに果ての地なのです。
 
ブルターニュ地方は、「フランスの中の異国」「地の果て」「カトリックの地」「ケルト文化の残る地」などと呼ばれ、一般的なフランスのイメージとは一線を画すのがブルターニュです。意外とブルターニュという言葉は知られているようなイメージなのですが、やはりアクセスしづらいなぁというのが本音です。特にブルターニュを旅するときによく耳にするのが「ケルト」、ブルターニュを知るために切っても切れないテーマとなります。

数千年前に作られたカルナックの巨石遺跡は神秘的なブルターニュの象徴のひとつ

ケルトは、ローマ帝国やギリシャ人たちがフランスにやってくるもっと前に東欧から西へ西へと進みフランスに進んできた民族、ケルト人のことです。彼らはブルターニュだけではなく南から北までフランス全土に定住していたのです。紀元前1000年頃からケルト人はフランスに定住し始めますが、なかなかその証拠になるようなものがないのです。イギリスのストーンヘンジのような巨石文化があったようで、フランスの各地にはメンヒルやドルメンが残されているところもありますが、はっきりしたことはわかっていないのです。その中でものすごい規模のものが、ブルターニュにあるカルナック巨石群です。(ただし、これはケルト人たちよりももっと以前に造られたものだそうで、直接ケルトに関係はしていないのですが・・・)何の為なのかわからないからこそ、神秘のブルターニュなのかもしれませんが、ほどなくフランスには違う民族が徐々に入ってきます。ギリシャ人は地中海沿岸が主でしたが、次のローマ人はフランスを南から北へ次々と制圧していきます。
 
ケルト人はどうしたかといえば、多くの住民たちはローマ人に同化してゆきます。そして一部のケルト人たちは、まるで押し出されるかのように、北へ逃げていきます。行きついたところがグレート・ブリテン、今のイギリスでした。実際、イギリスもこの後ローマ帝国に支配はされるのですが、フランスには、ローマの駐屯兵が多かったからか、フランスのケルト人たちは、次第にローマ化していくのです。しかし、イギリスにはローマの駐屯兵が少なかったからか、ケルト語がそのまま残って行きます。しかし、ローマ帝国の力が衰えてくると、次は東からゲルマン民族がフランスに入ってきます。この時フランスに定住したのが、フランク族でしたが、イギリスの方に向かった民族もいました。アングロ・サクソン族です。またしてもケルト人は押し出されるように西へ逃げます。そこでようやく安泰となったわけです。西に逃げた場所とは、すなわち現在でもケルトの国として名高いアイルランドです。

しかし、実は西に逃げた以外に、南へ戻る形で逃げたケルト人もいました。イギリスから南へ降りた場所に住みついたのです。この場所こそ、ブルターニュ。一度追い出されたケルト人が帰ってきた場所がブルターニュなのです。

ケルト人の文化は元来口承で、音楽、踊り、歌、衣装、伝説など、いかにも証拠として残らないようなものとして、伝えられてきました。例えば、今ではフランス語ですが、ブルターニュの町の名前の起源となっているのはケルト語であったり、フランス語の前に使われていたブルトン語は、ケルト語系の言葉であったり、またバクパイプを基にした楽器で奏でる伝統音楽は、アイルランドのそれと共通している雰囲気があります。お土産屋や町のふとしたところで目にする、手裏剣のような3つの波のようなマークは、トリスケルといい、大地、火、水を表すケルトのシンボルで、今でも目にすることができます。目に見えるものは少ないです。しかし、信仰、言葉、音楽、など目に見えない部分でケルト人たちの文化は未だにブルターニュに息づいていると言えるでしょう。

ケルト文化の名残が残るトリスケルのシンボルマーク

ちなみに、少し話は脱線しますが、イギリスから戻って来たケルト人たちが作ったのがブルターニュだということを書きました。ブルターニュはその後公国となった時代もあり、発展していくのですが、やはりイギリスからやって来たというのがわかる言葉があります。

日本語で、大ブリテン島と呼ばれるのは、「Great Britain(グレートブリテン)」ですが、このグレートとは、何を意味しているのでしょう?やはり「偉大な」ブリテン島、ということでしょうか?
答えは、グレートですが、これは偉大ではなく、「大きい」という意味合いです。現在のブリテン諸島を指す言葉として「ブリトニ」という呼び名が生まれ、次第に定着して、その最大の島であるこの島がラテン語でブリタニア(Britannia)と呼ばれるようになりました。それが語源ですが、ブリテン島が最大の島なので「グレート(大きい)・ブリテン」と呼ばれました。

日本はざっくばらんに「イギリス」という言葉を使います。これに相当するフランス語は「Angleterre(アングルテール、こちらはゲルマン民族のアングロ・サクソン族が語源です)」ですが、大ブリテン島(Great Britain)に相当するフランス語をご存じでしょうか
グレート・ブリテンがブリタニアと呼ばれているのはラテン語、つまり、この頃、グレート・ブリテン島には、ケルト人を中心とした人々(総称としてブリトン人と呼ばれる)が住んでいました。ローマ人たちは、このブリトン人(要するにケルト人たち)が住んでいる場所そのものを、「ブリトン人の住む地=ブルターニュ」と呼びました。そのため、英語のGreat Britain(グレート・ブリテン) はフランス語だと、Grande Bretagne(グランド・ブルターニュ)となるのです。ブルターニュ地方以外で、ブルターニュという言葉が使われているなんて、意外な印象を受けますが、ブリトン人(ケルト人)の住んでいる場所という意味が語源なのでこれも当然です。同様に英語では、フランスのブルターニュ地方のことをBrittany(ブリタニー)と呼びますが、もう一つ呼び名があり、それがグレート・ブリテンに対する呼称で、Little Britain(リトル・ブリテン)と呼びます。イギリスのロンドンには、今でもリトル・ブリテン・ストリートが残っており、この場所は昔、ブルターニュ公国の大使館があった場所であるようです。
 
ちなみに、フランス語にはケルトを表す言い方が2通りあります。1つはゴロワ、もう一つがセルトです。2つの言葉は同じ民族を指します。つまりケルト人。しかし、ゴロワはローマ帝国がケルト人のことを呼んだ言い方で、日本語では、ゴロワではなく「ガリア人」と言った方がわかりやすいでしょう。つまりこの言葉に「自らがケルト人である」という自意識は少ないのです。しかし、ブルターニュ地方では、自らの先祖をゴロワではなく、セルト(ケルト人)だと言います。自らをブリタニアから来たケルト人だ!という意識がここでも感じられます。
 
基本的には土着信仰であったケルト人は、自然の中に神様が宿るという考えをもっていましたが、その後、ヨーロッパがキリスト教化されることで、後にブルターニュでもキリスト教が信仰されるようになります。古くから信仰心が篤いことで知られるブルターニュ地方は、現在でもフランスで最も敬虔なキリスト教信者が多い地方としても知られています。この信仰心の篤さに、元来のケルト的なものが融合したのか、ブルターニュ地方には他の地方では一切見ることができない独特な宗教施設「聖堂囲い地(Enclos paroissial)」が見られます。町や村によって、その規模は異なりますが、特にギミリオーやサン・テゴネックにある聖堂囲い地は、その装飾の素晴らしさも相まって、有名になっています。

教会や納骨堂など、複数の施設が石垣で囲まれた「聖堂囲い地」

ブルターニュには、ケルトの文化が見えにくいと書きました。確かにお城や遺跡や闘技場が残されているわけではありません。でも、ここはブルターニュ、この「ブルターニュ」という言葉こそ、間違いなく、ここが「ケルト人の地」であったことを証明している言葉なのです。
 
★町や村★
 
では、ブルターニュの中心地は、というと現在では、レンヌとなるでしょう。県庁はもちろん、ブルターニュ地方の地方庁が置かれているのもレンヌです。しかし、歴史的にみると、ブルターニュの中心地は、ナントなのです。今でも比較的大きな街となっているナントですが、実はこのナント、2016年以前の旧行政区分でも、現在の行政区分でも、ナントの所属は、ペイ・ドゥ・ラ・ロワール地方。つまりロワール地方に分類されているのです。ブルターニュの大公城を筆頭に、この街はブルターニュにとって非常に重要な街であるのですが、ナントの紹介はロワール地方に譲ることにします。
 
となると、やはり中心地としてはレンヌとなります。レンヌはブルターニュ地方の東に位置し、地方最大の都市となっています。地図を見ると都市と都市を結ぶ中間地点に位置し、サン・マロとナント、ブレストとル・マン(さらに進むとパリ)を結ぶ道路が交差する位置にあります。現在でも、各地へのアクセスがよい街であるのですが、これは昔からこの地が交通の要所になっていたということです。
 
レンヌは第二次世界大戦などで、多くの歴史的建造物が焼失し、そこから復興を遂げた町ですので、古い街並みが少なく、比較的現代的な印象が強い街ですが、かろうじて戦禍を免れた15~16世紀の建物が残るのが、大聖堂の周辺で、ここがレンヌの旧市街。コロンバージュ(木骨組み)様式の感じの良い家々が立ち並ぶ界隈で、散策するのであれば、この辺りが最良かと思います。

素朴な街並みも残るレンヌ

東部では、港町サン・マロが有名です。旧市街は、細い帯のような道で本土とつながっていますが、昔は亀の甲を伏せたような形をした岩島でした。そして花崗岩のどっしりした城壁で囲まれ、陸地と繋がっている所はひときわ頑丈な城壁になっています。旧市街と本土との間にはいくつものバッサン(舟停め)があり、漁船やヨットのマストが群がり立っていて壮観な場所となっています。

海沿いに完全な城郭都市として旧市街が残っているサン・マロ

そして、パリから遠く離れたブルターニュ西部。このあたりが個人的には最もブルターニュ地方らしさが感じられる地域かと思います。カンペールを中心とした、西部の地域は、フィニステール県(Finistère)という名が付けられてますが、この名は、finir(終える)と、terre(土地、地面)から来ており、日本語に訳するとすれば「地の果て県」。まさにフランスの最果ての地なのです。カンペールの街は、陶磁器の里として知られ、橋も花で飾られている美しい町です。訪ねてみると、「この様な最果ての地に、なぜこれほどまでに美しい都市があるのか?」と不思議に思えるほど整った街です。しかし、さらに西へと向かうと、まさに地の果てといった雰囲気たっぷりで、伝統的にフランス最果ての地とされているラ岬があります。この岬はまさに最果て感を感じられる場所で、昔の人々は、まさに「地の果て」を感じたのだろうなと思ってしまいます。

古くからフランスの西端で、地の果ての象徴とされるラ岬

★名産品と郷土料理★
 
地域柄、フランス名産のワインをほとんど作っていないブルターニュ地方ですが、ワインの代わりとしての飲み物は、お隣のノルマンディー同様、リンゴの発泡酒、シードルが愛飲されています。地ビールも豊富で、飲み歩きも楽しみです。

お椀のようなボウルを使って飲むシードル

そして、ブルターニュ地方の郷土料理の代表格は、何と言ってもガレット(Galette)。ガレットとはソバ粉を使ったクレープのことで、通常のクレープをフランス語で、クレープ(crêpe)と表現し、そば粉のクレープは、ガレット・ブルトンヌ(Galette Bretonne)または、クレープ・サラザン(crêpe sarrasin)と呼びます。
ガレットは主に軽食として食され、ハム、チーズ、野菜など様々なものを中にくるんで、ナイフとフォークを使って食べます。シードルと相性がよく、軽食にはぴったりの品。通常のクレープであれば、小麦を使うわけですが、ブルターニュの痩せた土地では小麦もうまく育てられないため伝統的にそば粉を使ったガレットが発展していきました。

ランチの軽食などにもピッタリなガレット。卵、ハム、チーズが入ったコンプレットが人気

三方を海に囲まれたブルターニュでは、シーフードも高品質なものが多いのですが、中でもブルー・オマールと呼ばれるオマール海老(ロブスター)やカンカルの牡蠣などが有名です。沿岸部では、シーフードの盛り合わせなどもよく見られます。

ブルターニュでは、新鮮なシーフードも食してみたい

日本でもしばしば名前を見るようになったクイニー・アマンは、ブルターニュ地方が発祥。伝統的な焼き菓子ですが、クイニー・アマンというのはブルトン語(ブルターニュ地方の土着言語)で、「クイニー」が、ケーキ、「アマン」がバターという意味があります。有塩バターをふんだんに使った焼き菓子で、外側はパリッと焼き上げてあり、中はデニッシュのようなしっとりとした生地です。

クイニー・アマンはブルターニュ各地のパン屋さんなどで、よく目にします。

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